第八幕 ありがとう
第八幕 ありがとう
君と過ごす誕生日が、こんなに嬉しいなんて知らなかった——
十二月に入り、一つのニュースが僕たちの学年に流れた。
芸能コースが創立される。ダンス部のメンバーを中心に、アイドルグループを育成するため、校内オーディションが行われる。
ただし、外部のオーディション活動は原則禁止。すでに芸能事務所に所属している生徒は対象外。
学校主導でのアイドルプロデュース——前例のない試みだった。
「すげぇ、学校だな」
守の感想に、僕も頷くしかなかった。
「普通の学校じゃないね」
黒崎くんの目は、セリフとは裏腹に好奇な光を讃えていた。
沙友里はプリントをじっと見つめていた。少し指先が落ち着かない。
隣で神楽さんも目を見開いていた。
「ねぇ、沙友里……やるしかないよね?」
「うん——やろう」
沙友里と神楽さんが顔を見合わせた。心が浮き立つ一方で、拭えない不安が表情を曇らせる。
それでも、二人は最後に——微笑んだ。
しばらく僕たちの学年は、ちょっとした熱狂に包まれた。ダンス部の顧問、上野先生の元には結構な数の申し込みが提出されたらしい。
書類審査合格者は、年末に個人面談が行われ、年明け早々には合格者が決まるとのことだった。
ついに沙友里たちの夢が動き出す、そんな予感が実感として迫る中、十二月は慌ただしく過ぎていった。
十二月二十日の深夜、ちょうど日付が二十一日になった頃、スマホが沙友里からの着信を知らせてきた。
「直哉、起きてた?」
「うん、まだ起きてたよ」
「良かった……直哉、誕生日おめでとう!」
「ありがとう」
もしかして、と思った気持ちが満たされた。
「私が最初にお祝いしたかったの」
「本当に、嬉しいよ」
窓の外には、鮮やかな月が見えていた。
「直哉、イブの夜、空いてる?」
「う、うん。予定は無いよ」
「じゃあ——パーティするよ!」
十二月二十四日、クリスマスイブの夕方。
いつもの喫茶ひかりに、いつもの六人が集まった。
「桐谷くん、誕生日おめでとう! アーンド、メリークリスマース!」
高瀬さんが、はしゃいだ声を上げた。
「梢っち、声でかいな」
守と高瀬さんのやり取りが、今日も繰り広げられていた。
「「乾杯!」」
ジュースの入ったグラスを合わせ、チキンを食べ終わると、ケーキが登場した。沙友里の誕生日の時と違うのは、今日は僕がその中心にいることだった。
顔も身体も熱くなる。だけど、今はそれが心地いい。僕はずっと声を出して笑っていた。
「直哉、これ……プレゼント!」
「あ、ありがとう」
沙友里が僕のために選んでくれたのは、少し背伸びした万年筆だった。
「漫画の道具って、何か分からなかったから……」
「うん、使わせてもらうよ……ホントにありがとう」
黒いシンプルな万年筆は、少し重さがある。僕の手の中で、その存在感を示してくれていた。
「すごく……持ちやすい」
「ホント? 使ってくれると嬉しいな」
「もちろんだよ」
高級感のあるケースに、慎重に戻した。
胸の奥が、じわりと熱くなる。僕のことを考えて選んでくれた。それが何よりも強く伝わった。
ジュースを飲み、ケーキを食べて、クリスマスイブの夜は過ぎていく。みんなの話は色々な方面に飛んでいき、話題が尽きなかった。
「そういえば……これから麻衣とさゆりんは、個人的にオーディションを受けなくて良くなったんだよな?」
ふいに、守が芸能コースの話題に触れた。
「校内オーディションに受かれば、ね」
「いや、受かるだろ」
「私も沙友里も書類審査は通ったから、後は面談ね」
「うぅ、緊張する……」
元々ダンス部に所属していた沙友里たちに、書類審査とかが必要なのかという思いがある。黒崎くんが、僕と同様の疑問を口にした。
「それって、今更結城さんたちには不要じゃないのかな?」
みんなの頷きが、同意を示していた。
「なんか特別講師として、プロデュースのプロを呼ぶらしいよ。その人のためでしょ」
「麻衣ちゃんたちも、まだ会ってないの?」
「面談で初対面よ」
「だから——緊張するのよ!」
最後の沙友里の声は、ほとんど雄叫びになっていた。それを聞いて、またみんなが笑った。
解散の時間が近くなり、店の外に出ると雪が降っていた。降り出したばかりの淡い雪が、僕たちに降りてくる。
「雪だー」
高瀬さんの声が高くなり、夜空に響く。自然とみんな空を見上げていた。
顔に落ちた雪が、ゆっくりと熱を冷ましていってくれていた。
「麻衣、面談前に風邪引くぞ。送ってくから、帰るぞ」
「……うん」
「高瀬さんも送っていくよ」
「いいの? ありがとー」
みんなが笑いながら、それぞれの道へ行く。そして僕と沙友里の二人が残った。
夜道に街のイルミネーションが、光を落としている。それだけで僕にとっては、特別な夜だった。
僕は沙友里の冷たくなった手を、なるべく包み込むように握っていた。
「直哉、実は私も、もう一つ渡したいものがあるの……」
いつもの公園に差し掛かった頃、少し硬い声で沙友里が囁いた。
「えっ……ホントに?」
「ちょっと……恥ずかしいんだけど」
ベンチに腰を下ろし、鞄から新しいスケッチブックを取り出した。
「あ、スケッチブック? ありがとう」
(けど……恥ずかしいって?)
「最初のページ……開いてみて」
スケッチブックを受け取り、新品の感触を指で感じながら表紙を捲る。
すると——笑っている僕がそこにいた。
上手くはない。
でも、一生懸命描いてあるのが分かった。眉毛の形、少し伏し目がちな目。丁寧だけど意外に力強く、たどたどしい線。だけど、確かに僕だった。
僕はいつの間にか、頬を緩ませていた。
「あ、やっぱり笑った……」
沙友里は頬を膨らませる。
「違うよ」
「笑ってるじゃん……」
「嬉しくて」
指先で線をなぞる。何度も入れた線を感じて、瞼の裏が熱くなった。
「直哉は、私の未来を描いてくれたから……」
沙友里は、照れたように笑った。
「私も、直哉を描いてみたかったの」
街灯の光が沙友里の横顔を照らしていた。
「直哉……」
「ん?」
「生まれてきてくれて——ありがとう」
その言葉が、僕の胸の奥へと落ちていく。
僕は何も言えなかった。
思わず力を込めて、沙友里の手を取った。少し驚いたように僕を見るが、沙友里の口は動かない。
その瞳から、目を逸らせなかった。
僕は、強く肩を引き寄せて——二度目のキスをした。
沙友里に祝われる誕生日が、今までの誕生日を全て塗り替えていった。
万年筆とスケッチブックを抱きしめながら——僕は、その先の未来を描いていた。




