第九幕 私からあなたへ
第九幕 私からあなたへ
私からあなたへ、あげられるものは何だろう——
「沙友里、早く寝なさいよ」
「……分かってる」
校内オーディションの面談を、明日に控えた夜。ママにそう言われても、寝れないものは寝れない。
机の上には、直哉からもらったスケッチブック。何度も開いた最後のページには、アイドルになった私が描かれている。
ネックレスに触れながら、私はじっと見つめた。
眠れない夜には、よく直哉とのことを思い出していた。
最初に気になったのは——直哉の手だった。
入学してすぐの頃、窓際の席でいつも絵を描いていた。
(キレイな……手だな)
その手で鉛筆を持ち、迷いなく動く。何を描いているのか分からなかったけど、滑らかに動く指から目が離せなかった。
(何を描いてるんだろ……)
ずっと気になっていた。
だからある日、少しだけ覗き込んでみた。そして、私は見てしまった。
——アイドルの絵。可愛い衣装で歌う彼女は、とても活き活きとした表情をしていた。
「……それ、桐谷くんが描いたの?」
何も考えず、思わず口に出していた。そんなの当たり前なのに。
素直に凄いと思った。そして、アイドルが好きな理由を「輝いてるから」と、直哉は言った。
その答えに、私はますます直哉と、直哉の手が描く絵が気になり出した。
「もう、この頃から恋……だったのかな」
少し仲良くなった頃、私がずっと思っていたことを思い切って伝えた。
「実は私……アイドルに憧れているんだよね」
何度も笑われてきた夢。それを久しぶりに口にした。
「向いてると思う」
ドキッとした。真面目な顔で見つめられたから。
「人を惹きつけるの、上手いから」
直哉は笑わなかった。私は……笑顔だったと思う。
「いつか……ステージにいる結城さんを、描いてみたいな」
その言葉は私を直撃した。胸が高鳴り、瞼の奥が熱くなった。
(描いてもらえる女の子になりたい)
初めて、そう思えた。
気づいたら、いつも直哉を探していた。
教室で、廊下で、帰り道で。
考えるまでもなく、もうすでに分かっている。
(私は、この人が好き)
きっと、あの手で描かれた絵を見た時から。
多分、直哉も私のことを……だけど、確かなものは何もない。
少しだけ、直哉の背中を押すことにした。
「私たちって——付き合ってるの?」
さぁ、どうする。
「僕は——結城さんのことが——好きだ」
直哉の気持ちを受けて、私の頬を涙が流れていった。
「やっと……言ってくれた」
待たされたから、私からは好きと言わなかった。これくらいは意地悪じゃないと思う。
だけど、その日の帰り道で、直哉から手を繋いでくれた。
思ったより細くて骨ばった指の感触。
(男の子……なんだなぁ)
この指で絵を描いているんだと思うと、全身がゾクゾクした。
直哉が一度だけ手に力を入れた。その力強さに、私は胸の鼓動が治らなかった。
付き合うことになってから、なぜか直哉は学校で距離を取るようになった。
それにみんなには内緒にしたいようで、私にもそうするように勧めてきた。
何で隠すの、何で言わないの。私はみんなに言いたかった。好きなんだって、大声で言いたかった。
でも、直哉が望むなら、我慢しようと思っていた。
だけど、ある日の放課後、私は爆発しそうになった。みんなに悪気がないのは分かってる。だけど自分の中の感情が、どんどん冷えていくのを感じていた。
(もう、言ってもいいよね)
直哉を見つめる視線に、私の気持ちを込めた。
言ってやれ、言ってやれ。
「僕が、僕が結城さんの——『彼女』なんだ!」
間違えた直哉が、可愛くて、面白くて、ちょっと泣きそうだった。だから、いつもより声を出した。
「私の——『彼氏』ですっ!」
あの瞬間、世界が私たちを認めてくれた気がした。
それからは、更に欲張りになった。
(今日は、絶対に名前で呼ばせる!)
花火大会で、「沙友里」と呼んでもらえることに成功した。
それどころか、花火の下で——キスまでしてしまった。
あの時の直哉の顔。私を見つめる直哉の目が……私を求めているのが分かった。あんな顔するんだ。
(進展、しすぎたかも……)
今、思い出しても顔が火照ってくる。でも、幸せだった。
海では悩殺してやると、意気込んでいた。
新しい水着を見せて、ドキドキしながら待っていたら—
「め、めちゃくちゃ可愛い!」
若干、言わせた気もする。悩殺とも違う気もする。でも、まぁいいか。
それに、直哉が私の手を見ていたというのは知らなかった。きっかけが、お互いの手……それは運命だと思った。
そのまま、海イベントはお泊まりイベントになった。
みんなとのバーベキューや花火は、最高の思い出になった。
いつもクールな麻衣の、違う一面を見ることもできた。
何だか相沢くんを見る麻衣の目が、いつもと違う。きっと、好きなんだと思う。応援したくなった。
麻衣は可愛い。梢も可愛い。それは分かってる。分かってるけど——
(私が一番って、言ってよ)
言わないけど。でも、繋いだ手にちょっと力を込めたら、ちゃんと気づいてくれた。
「この頃だな……ちゃんとアイドル目指し始めたの」
直哉のおかげで、幸せだったから。ちゃんと自分のやりたいことに、向き合える余裕があったから。
でも、楽しいことばかりじゃなかった。
麻衣に誘われて行ったオーディション、自分で探したオーディション。全て書類選考だけで落ちた。
落選。
また落選。
メールを開くたびに、同じ文字が並んでいた。
(また……ダメだった)
直哉にも言えず、一人になると考えてしまう。
……私、向いてないのかな。アイドルになんて、なれないのかな。
初めて、自分の夢が怖くなった。
ちょうどその頃、私は誕生日を迎えた。私は直哉に伝えてないのに、ちゃんと知っててくれた。パーティにプレゼントまで。
直哉からもらったのはネックレス。ハートが並んだデザインは、私の宝物になった。今でも肌身離さず付けている。
可愛い、嬉しい。すごく幸せだった。嫌なことを忘れるくらい。
でも——本当に、心を撃ち抜かれたのは、その後だった。
公園のベンチで開いた、スケッチブック。最後のページに描かれていたのは、アイドルになった私。
私より、私の未来を信じてる人がいた。
それだけで、今までにないくらい胸が熱くなり、涙が溢れた。誰かのために頑張ろうと、初めて思えた。
私は——ステージを目指す。
私のために、直哉のために。その時初めて、迷いが消えた。
そして十二月に入り、芸能コースのニュースが飛び込んできた。私も麻衣も、このチャンスに賭けた。
あれほど苦戦した書類審査は、難なく合格。後は面談を待つだけ。
そして、十二月二十一日は直哉の誕生日。私は抜かりなく準備を進めていた。
プレゼントは万年筆を選んだ。漫画を描く人だから、これがいいと思った。だけど後で調べたら、漫画を描くのに万年筆はほとんど使わないらしい。ちょっと背伸びした値段だったから、なんとか使ってもらうしかない。
それとは別に、私も絵を描いてみることにした。
上手くないのは分かってる。それでも、ずっと直哉のことを考えながら、線を引いた。
何度描いても、目が似てない。
消して、描いて。また、消した。
もしかして直哉も、未来の私を描いている時、こんな気持ちだったのかな。私のことだけ考える時間。
(そうだったら、嬉しいな……)
いつもの公園でその絵を渡した時、指が少し震えているのが自分でも分かった。だけど、心に決めていた言葉を、ちゃんと伝えたい。
「生まれてきてくれて——ありがとう」
お祝いも私が一番最初に言えた。それだけで、ちょっと誇らしかった。
そして、私の未来を照らしてくれたことにも感謝してる。あなたに会えて良かったと、本気でそう思える。
その後——キスをされた。
二度目のキスは、少し強引に引き寄せられた。
こんなに鼓動が激しくなること。
胸が温もりでいっぱいになること。
直哉は私に教えてくれた。
私からあなたへ、お願いがある。
ずっとそばで、夢を叶える私を見ていてね。私もあなたを見ているから。
「直哉……大好き」
思い出が胸を熱くする。普段口にしない言葉を、声に出してみたくなった。
ネックレスに触れて、スケッチブックに目を落とす。最後のページ、アイドルになった私と目が合った。
私は鏡の前で、ちょっと笑ってみた。
私からあなたへ、伝えたい。
「待ってて」
絵の中の自分に、そう声をかける。
「絶対に——そこまで行くから」




