第六幕 浜辺の約束
第六幕 海辺の約束
あの日の景色が、まだ僕の目に焼きついている——
翌朝、男子部屋に差し込む光で目が覚めた。
隣では守がいびきをかいて寝ている。黒崎くんはすでに起きていて、ベランダで窓の外を見ていた。
「桐谷、おはよう。よく寝れた?」
「おはよう……守のいびきで、あまり……」
黒崎くんが苦笑いした。
「けど、楽しかったね。みんないい奴だよ」
「黒崎くんこそ、色々ありがとう」
「また、誘ってくれるかい?」
「もちろんだよ」
その時、部屋の中で僕の携帯が鳴った。
『直哉、おはよー、朝の散歩行こっ!』
「沙友里は朝から元気だね」
「うんっ! 私、朝強いから」
僕たちは二人でホテルを抜け出し、朝の海岸を手を繋ぎながら散歩していた。朝の心地よい風が、沙友里の髪をなびかせている。
「朝の散歩は気持ちがいいね」
空いている手で髪を抑えながら、沙友里が言った。
「神楽さんたちは?」
「梢はまだ寝てたよ、麻衣は準備中」
犬を散歩する女性とジョギングをする男性が、僕たちの横を通り過ぎた。
「みんなと、こんな風に過ごせるなんて思ってなかった」
「麻衣も梢も、いい子でしょ?」
「うん、みんなの意外な一面も知れたしね」
一つ一つの場面を思い出すと、口元が緩みそうになる。
「みんなのこと、大好きだよ」
「ふふっ、良かった」
沙友里がコロコロと笑った。
「ねぇ……麻衣も、梢も可愛いでしょ?」
「うん、すごく可愛いよ」
「……」
(あ、あれ……)
繋いでる手に力が込められていた。即答したことを少し後悔する。
「ちょっとだけ……痛いかな……」
「——知らない」
少し膨れた頬を見て、思わず微笑んでしまった。それを見た沙友里の頬がさらに膨れた。
(沙友里が一番……だけどね)
「おーい、お二人さーん」
防波堤の上から、僕たちを呼ぶ声がした。
「朝飯の時間だぞー」
静かな海岸に、守の大声が響き渡る。その声だけが浮いていて、僕たちは顔を見合わせて笑った。
ホテルに戻ると、みんながお腹を空かせて待っていた。ホテルの朝食バイキングを利用できるようで、みんなの顔が輝いていた。
「ここのホテル、バイキングが美味しいって評判なのよ」
「えっ、マジで?」
「まさか、黒崎くん家のホテルだとは思わなかったけど」
「いや、それな! マジで、修司に感謝だわ」
それぞれがお皿を持って、好きなものを取りに行った。和風と洋風が並ぶバイキングはとても豪華で、見ているだけで心が踊る。
お皿を山盛りにした守が、みんなが席に着いたのを確認してから、今日一日のスケジュールを発表した。
「今日は昼まで海で遊んで、飯食ってから帰るぞ」
「えー、昼までしか遊ばないの?」
守を超える山盛りの皿を前にして、高瀬さんが言った。
「まぁ、昨日は一日遊んだしな」
「そうね、今日は早めに帰りましょ」
「……はーい」
不満そうな声を出しながらも、高瀬さんは食べる手を止めない。みんなが、それを微笑ましく見守っていた。
食事が終わると、すぐに海へと向かった。楽しい時間は過ぎるのが早い。
ビーチバレーで、神楽さんがまた無双していた。高瀬さんがまた沖へ流れていき、黒崎くんが再び迎えに行っていた。
昨日と同じなのに、全てが愛おしかった。全身で、限られた時間を受け止めている。
昨日と違うのは、みんなの距離感。お互いを昨日より、ずっと近くに感じている。
お昼前になり、帰りの時間が近づいてきた。僕たちは誰からともなく自然に、横に並んでいた。あれだけ騒いでいたのに、誰も口を開かない。波音と海で遊ぶ子どもたちの声だけが、僕たちを現実に引き戻そうとしていた。
一泊二日の冒険。だけど僕にとっては不思議なくらい濃い時間だった。
高瀬さんが、ゆっくりと口を開いた。
「ねぇ、みんな……また、一緒に来ようね」
「うん、来よう」
黒崎くんが真っ先に応えた。声には出さなかったが、僕は頷いていた。
高瀬さんが、僕たちを振り返った。その顔に満面の笑みを浮かべて。
「これから先、ずっと……だよ」
「……梢っち、ずっとっていうのは?」
「ずっとは、ずっと」
高瀬さんは笑った。
「来年も、高校生になっても、大人になっても——ずっと」
胸の奥が熱くなり、気づけば口を開いていた。
「来よう! またみんなで」
僕の声に、守が笑った。
「……どうした、直哉。珍しく熱いな」
だけど、伝えたかった。
「だって」
「こんなに楽しいの、初めてだから」
我に帰って、顔が熱くなる。だけど守は、その熱ごと受け止めてくれた。おそらく、他のみんなも。
「じゃあ、俺はホテルを受け継いで、潰さないように頑張るよ」
「私、それ手伝うー」
「ありがとう、高瀬さん」
黒崎くんと高瀬さんは、いつの間にか自然に並ぶようになっていた。
「私はアイドルになるから、お忍びになるわね。それでもいい?」
「しょうがないなぁ、いいよー」
「沙友里は?」
神楽さんに振られて、沙友里は前を向いた。その視線は地平線のかなたを見据えていた。
「私も——ちゃんと目指す」
「沙友里、よく言った!」
「じゃあ、色々含めて、みんな——約束だよー」
最後に高瀬さんが、全員を言葉で繋いでいた。その声は、みんなに強く響いた。
全員がまた笑った。
後ろ髪をひかれながら帰り支度をし、電車に乗り込んだ。
最初は元気だった高瀬さんが、ものの五分ほどで眠りについた。それに釣られて、みんなが眠りに落ちていく。
沙友里も、僕の肩に頭を預けて眠っていた。その吐息を近くで感じ、眠気は吹き飛んでいた。
そして、もう一人。神楽さんは目を閉じていない。肩に守の顔を乗せたまま、窓の外を眺めていた。
「桐谷くん」
「ん?」
神楽さんは、内緒話をするように声を落としていた。
「沙友里の誕生日、十月十四日だから」
「え……」
「知らなかったでしょ?」
電車が一度、大きく跳ねた。
確かに知らなかった。いや、意識していなかった。自分の無頓着さに、後頭部を殴られたような衝撃を受ける。
「この子、伝えるかどうか迷ってたみたいだから……」
「うん……ありがとう」
「どういたしまして」
その日付を頭に刻み込んだ。
それにしても——
「神楽さんは沙友里のこと、すごくちゃんと見てるんだね」
「そ、そりゃそうよ……大事な友達だし……仲間だし」
手で口元を隠しているが、神楽さんの頬が僅かに染まった。
「あの子、最近変わった……いい意味でね」
「……そう、なんだ」
「自分の夢を、ちゃんと口にするようになったわ」
窓の外を見つめる目が、僕を捉える。柔らかな微笑みを浮かべたその目は、初めてみるほど穏やかだった。
「桐谷くんのおかげね」
「おかげって……そんなことはないよ」
「ううん。沙友里は、誰かのために頑張れる子だから」
「まさに——アイドル、だね」
「ふふ、そうね。私も見てみたいの——だから、支えてあげてね」
また一つ、大切な約束が増えていった。
やがて、電車が日常への帰還を現実のものにする。駅を降りて、沙友里と共にみんなを見送ると、一気に力が抜けた。最後まで帰りたくないとゴネる、高瀬さんの気持ちがよく分かる。
「うえーん、帰りたくないよ」
「……そうだね」
二人になると、高瀬さんが言いそうなことを沙友里が口にした。
(帰したくない……)
そんな気持ちを隠すように、僕は沙友里の手を取った。沙友里の顔は曇っていたが、切り替えるように目に力を込めた。
「また、みんなで行こうね」
「うん」
「絶対だよ」
「うん、約束だ」
この夏が、ずっと続けばいいと思った。
友達がいて、沙友里がいて。笑い声があった。
それだけで幸せだった。
この夏は、ずっと終わらないものだと——そう本気で思っていた。




