第五幕 描きたいもの
第五幕 描きたいもの
夜が、僕たちを引き留めていた——
帰りたくないと願ったのは、高瀬さんだけじゃない。
黒崎くんの親が経営するホテルは、海から歩いて五分もかからない場所にあった。
エントランスに入った瞬間、全員の足が止まった。
「……え、黒崎、お前ん家、金持ちかよ」
「ホテルを経営してるだけで、普通だよ」
「普通じゃねぇ」
黒崎くんは苦笑いしながら、フロントに声をかけた。自慢するわけでもなく、ただ当たり前のように、手配をしてくれた。
用意してくれたのは二部屋。男子と女子に、それぞれ別れる。
まずはみんな親への連絡から始めた。
「もしもし母ちゃん? 今日は友達の家に泊まるから」
守の声が部屋に響き渡る。
僕も早速電話をかけた。母さんは特に心配することなく、突然の宿泊を許してくれた。むしろ、初めての事態に喜んでくれてるようだった。
『迷惑かけないようにね……けど、良かったじゃない』
「うん、楽しいよ」
これだけのことだけど、今日は全て新鮮だった。
その後は女子たちと合流して、買い出しへ。近所のスーパーへ向かい、必要なものを物色する。
飲み物、お菓子。トランプと着替えも手に取る。
「花火もいるだろ」
守の一言にみんな同意し、手持ち花火もたくさん買い込んだ。
ホテルへの帰り道、夕方の海岸線をみんなで歩く。本当なら寂しさを感じるような風景なのに、不思議とそんな気はしなかった。
「今日、楽しいね!」
沙友里の声も弾んでいた。
「うん、何だかドキドキする」
「そうそう! ねぇ、直哉」
「ん?」
「今日は……ずっと一緒だね」
いつもよりずっと近くに沙友里を感じて、心が落ち着かない。
「そ、そうだね。みんな一緒……」
「後で二人で抜け出そ?」
「——うん」
みんなと過ごすこの時間が、宝物のように感じていた。
夕食は黒崎くんの計らいで、海辺でBBQに決定した。焼き台とテーブルを準備すると、みんなの熱気が一気に上がった。
三人の男子で焼き台を囲む。炭に火をつけるのに苦戦したが、その後は順調に肉や野菜を焼き上げていく。
どんな場面でも、守はみんなを引っ張ってくれる。僕は焼き上がった串を、テーブルに運んでいた。
「どんどん食えよ。女子からな」
「焦げてるじゃない」
「麻衣、これが男の料理だ」
守は胸を張った。
「雑なだけでしょ」
「うっさい」
唇を尖らせる守とは対象に、神楽さんは涼しい顔をしていた。
「ほら神楽さん、こっちはちゃんと焼けてるよ」
「さすが、黒崎くん。ありがと!」
「肉、おかわりー」
「梢、野菜も食べなきゃだよ」
沙友里が母親のようなことを言うので、僕は吹き出しそうになった。
神楽さんが肉を一口含んで、感動の声をあげる。
「おいしー。やっぱ、イケメンに焼いてもらうと違うわ」
「だろ?」
「あんたじゃないわよ。黒崎くんよ」
「おい」
黒崎くんが不思議そうに言う。
「え? 相沢、イケメンだよ」
「うん、私もそう思う」
「僕もそう思う」
僕と沙友里は、即座に同意した。
「それに、麻衣も相沢くんのこと、カッコいいって言ってたじゃない」
「……っ! い、言ってない……」
昼間のお返しとばかりに、沙友里は意地悪な笑みを浮かべていた。
「ほほう。さゆりん、詳しく!」
「あんたは黙ってて……」
「肉、おかわりー」
「そうね、梢! 肉取りにいこ!」
慌てて神楽さんは席を立つ。
「逃げたな」
守の呟きが、僕たちの笑い声と重なった。
その場の空気が、食事の美味しさを加速させる。あっという間に食材は減っていき、残るは締めの焼きそばだけ。
最後は女子たちが焼いてくれたので、僕は味の濃い焼きそばを頬張った。
(これも、沙友里の手料理だな……)
限界に近い胃が、幸福感で満たされていく。
「直哉、どう?」
「美味しいよ、ありがとう」
「ホント! 良かった」
その時、一人焼き台で格闘していた神楽さんが、小さな声を上げた。
「熱っ!」
「麻衣、大丈夫か?」
真っ先に守が反応した。持ってきたクーラーボックスから、氷を取り出して袋に詰める。
「こんなこともあろうかと思ってな」
「……用意がいいのね」
「まぁな。どれ、見せてみろよ」
守が神楽さんの左手を取って、顔に近づける。
「……お前、器用な場所、火傷してんな……」
「……うっさい」
ひとまず氷で冷やすことになり、守が袋を押さえていた。
「ヘラを持ち上げたら、熱くなってたのよ」
「慣れないこと、するからだぞ」
「ホント、麻衣頑張ってたもんねー」
「そ、そう?」
「麻衣、大人しくしてろって」
神楽さんは守から離れようとするが、左手を押さえられているので逃げられない。
「けど、ホント美味かったぜ。麻衣、ありがとな」
「……うん」
「ほら、絆創膏貼ってやるから」
「……うん。あ、ありがと」
薬指の付け根に、守が丁寧に絆創膏を巻いた。神楽さんは小さくなって、下を向いている。沙友里のニヤニヤが止まらない。
「そういう麻衣、好きだなぁ」
「沙友里……うるさい」
「焼きそば、おかわりー」
高瀬さんの無邪気な声が、全てを飲み込んだ。
「ぷっ!」
下を向いている神楽さんの、肩が揺れている。黒崎くんが、真剣な表情で高瀬さんを見た。
「……高瀬さんは、ずっとそのままでいてね」
「えっ? うん、そうする」
「私は変わらないよ」
そんな二人のやり取りを、みんなでお腹を抱えて笑った。夜の海を波立たせるような、大きな声で。
「よっしゃ! そろそろ、花火しようぜ」
「やるー」
手持ち花火に、打ち上げ花火。
様々な火花が、まるでスポットライトのようだった。
「よし、ダンス部踊れー」
「ちゃんと、私を照らしなさいよ」
「ねぇ、写真撮ろうよ」
「あはは。これ、見てー」
「そんなに持つと危ないよ」
光が弾けるたびに、笑みが溢れる。それを誰かが写真に収める。
そして、また声を出して笑う。
僕はこの光景を、記憶のスケッチブックに書き写していた。
(いつか、描きたいな……)
どんどん描きたいものが増えていった。
「直哉、みんなで写真撮ろ!」
「——うん!」
やがて、買ってきた花火も尽きて、暗闇に包まれる。さっきまでとは違い、みんな黙って暗い海を見ていた。
身体の全てで、風を感じ、塩の香りを確かめているようだった。そして、穏やかな波の音は、僕の耳を占めている。
「ねぇ、みんな」
高瀬さんの声がした。
「来年も——またやろうね」
静かな声だった。
「うん」
誰が答えた。みんなが答えた。その答えに、胸の奥が温かくなった。
六人の声が、波の音に混ざっていた。
「片付けて、ホテル戻るぞ」
守の一言で、みんな動き出す。自然に分担して作業を進めていた。
「帰ったら、ゲームだな!」
「やるー」
守と高瀬さんは、まるで昔からの友達のように盛り上がっている。
「負けても泣くなよ」
「私、強いよ」
二人を先頭に、ホテルへと向かう。部屋に戻ると、男子部屋でゲーム大会が開催された。
「梢っち……ホントに強いじゃねぇか!」
「そう言ったじゃない」
カードでも、ゲームでも高瀬さんは負け知らずだった。
「ちょっと、梢。次、私と勝負して!」
「いいよー」
元気に盛り上がる中、僕は喉の渇きを覚えた。夜は深いが、まだまだ終わりそうもない。
「ちょっと、飲み物買ってくるね」
「あ、私も行く」
「ごゆっくりー」
守の声を背中に、扉を閉めた。
ホテルの廊下は静かで、部屋の中との差が激しい。
「こっちだよ」
気づいたら、手を差し出していた。
沙友里は一瞬だけ目を見開き、ゆっくりとした動作で手を取った。
「こういうこと、無自覚でするよね……」
「ん、どういうこと?」
「何でもない」
エレベーターで降りて、自販機の置いてあるエリアまで、ずっと手を繋いでいた。出来るだけ長く触れていたい。
「私、今日はずっと楽しかった」
沙友里がポツリと溢した。
「僕もだよ……沙友里のおかげだね」
「えっ。私、何にもしてないよ」
「ううん……沙友里がいたから、だよ」
繋いだ手は少しだけ汗ばんでいて、今日の暑さを思い出した。
(満たされてる……)
僕が肩を寄せると、沙友里もそれに応えてくれた。館内は少し肌寒いが、触れているところだけは温もりを感じた。
「こんなに……私、幸せでいいのかな?」
「どうしたの?」
「今すごく、満たされてるから」
「——」
沙友里の頬は、ほんのりと赤かった。そのまま、もたれかかるように、僕の腕に顔を寄せた。
沙友里の触れている場所が一番熱かった。
部屋に戻ると、まだみんなの熱は冷めていなかった。
「梢っち、もう一回勝負してくれ!」
「いいよー」
「相沢、諦めも肝心だよ」
「梢……もう寝ようよ」
「やだ」
高瀬さんは、高らかに宣言した。
「帰りたくない」
その言葉に、また全員が笑った。
夜は、まだ終わらない。僕たちが、こうしていられる時間も。
——ここからは、直哉の知らないお話。
真夜中のホテル。
熱いゲーム大会も、そろそろ鎮火し始めた頃に、守は一階の自販機の前にいた。
身体で燻り続ける熱を下げるように、買った水を流し込んでいる。
「一気に飲み過ぎ……」
守が声のした方へ顔を向けると、壁を背にして立っている麻衣がいた。
「しょうがねぇだろ、喉乾いたんだから」
「まったく」
「それより……火傷は平気か?」
「大丈夫」
麻衣の返事に「そうか」と呟き、守の目尻が下がる。麻衣はそっと息を吐き、腕を組んだ。
「……ホント変わらないわね」
「そうか? 最近は割と、変化を楽しんでるぜ」
「何よ、それ」
麻衣の顔が綻ぶ。
「まぁ、変わらないものもあるけどな」
「そう、ね」
足を曲げ、麻衣はその場で腰を下げた。
「ねぇ……まだ、好きなの?」
「もうとっくに、諦めてるっての」
「……嘘つき」
「ん? 何て言った?」
麻衣の囁きは、守の元まで届かない
「何でもない」
「変なやつだな」
「うるさい」
最後の一口を飲み終わり、守は空のペットボトルをゴミ箱に捨てた。
「じゃあ、俺は戻るぜ。麻衣は?」
「私も……何か飲んでから戻る」
「そか、なら先に行ってるぜ」
「うん」
守の背中が、麻衣から遠ざかっていく。振り返ることはなかった。
一人残された麻衣は立ち上がり、左手を開いた。薬指には、守が貼ってくれた絆創膏が残っている。
それを、そっと指で撫でた。
「……ばか」
麻衣の声は、誰にも聞かれていない。




