第三幕 花火の下で
第三幕 花火の下で
初めてを、二人で積み上げる——
暦は七月になっていた。もうすぐ、結城さんと初めて過ごす夏休みがやってくる。
先日の件で、僕たちの仲は公認カップルとして認められていた。
思い出すと熱が戻ってくる。だから、あの日の記憶を、頭の隅に閉じておく。
最近は、そのおかげで恋人だという実感が、少し追いついてきた。
部活後の帰り道。いつものように並んで歩く。自然と手を取り合うくらいには、距離が近くなっていた。
「直哉くん、もうすぐ夏休みだね。楽しみ!」
「夏の予定は何かあるの?」
「部活と……お盆におばあちゃんの家に行くくらいかな」
結城さんの足取りは、スキップしそうなほど軽い。
「今年の夏は、いっぱい遊ぼうね」
「うん、僕も楽しみだよ」
「夏祭りも行こうよ!」
心臓が、一拍遅れて跳ねた。
——デートだ。
まだ二人きりで出かけたことはない。夏休みの楽しみが、どんどん増えていく。
「ところで……直哉くん」
「ん、なに?」
「いつになったら、名前で呼んでくれるの?」
「えっ……」
公表した日から、結城さんの呼び方は変わった。だけど、僕はまだ踏み込むことができない。
「……もう少し待って、ね」
「えー」
頬を膨らませる彼女に見惚れていると、今後は睨まれた。
(全然、怖くないや)
僕の口元が緩んだのがバレて、さらに彼女は膨れた。
夏休みに入っても、僕たちは毎日のように学校へ行く。結城さんはもとより、僕も最近は特に創作熱が高まっている。
守や黒崎くんと集まるようにもなった。宿題を手伝ったり、ゲームをしたり。今まで一人でやっていたことを、みんなでする。自分の視界が広がっていくのを感じていた。
祭りは八月に入ってすぐに行われる。それまでの毎日は、今までにないほど充実していた。
そして、夏祭り当日がやってきた。
僕は先に約束の場所に到着する。結城さんを待つ時間も悪くない。今日も暑かったが、夕方になり過ごしやすくなってきた。
その時スマホが震えた。通知が守からのLINEがあることを告げる。
スマホを確認すると『がんばれよ』の一言だけ。僕の身体から余計な力が抜けていく気がした。
「直哉くん、お待たせ」
待ち合わせ場所に現れた結城さんを見た瞬間、言葉が出なくなった。
淡い水色の浴衣。髪が結い上げられている。いつもと違う彼女が、こちらを見て首を傾けていた。
「……どう、似合ってない?」
「可愛い、よ」
思わず口から出ていた。
結城さんの目が、大きく見開く。それから、いつもの目を細める笑い方。頬が一気に赤くなった。
「もう……そう思ったのなら、最初からそう言ってよね」
「描きたくなるくらい……綺麗だから見惚れてた。ご、ごめん」
「ふぁ」
変な声を出して、結城さんは背中を向けた。耳も赤いが、うなじまで赤く染まってきた。
「な、何でそういうことは、すんなり言えるの?」
「どういうこと?」
「もういい……行こ?」
結城さんは背を向けて歩き出した。僕は慌てて追いかける。
商店街の両端を屋台が埋め尽くしている。終点となる神社に近づくにつれ、人はどんどん増えていく。屋台の匂い、子どもの笑い声、太鼓の音。全てが混ざり合い、夏の空気になっていた。
最近は守としか来ていなかった祭りが、今日は何もかも新鮮な光景に感じていた。すれ違う人が振り返るのも、なかなか体験できないことだった。
人混みに押されて、結城さんがよろける。
僕はとっさに手を取った。結城さんは何も言わないが、少しだけ強く握り返してきた。
神社に向かってゆっくり歩きながら、屋台を覗く。結城さんは、りんご飴とたこ焼き。僕は焼きそばを買い、二人で食べた。
「結城さん、意外と食べるよね」
「うっ……言わないで……」
「いいと思うよ、ダンスって消耗するでしょ?」
「そうだけど……」
食べる姿が一生懸命で、ずっと見ていられる。僕は笑いを堪えながら、飲み物を手にした。
「はい、どうぞ」
「ありがとー」
その穏やかな横顔は、屋台の灯りに照らされて神秘的な雰囲気を纏っている。
「……また、見てる」
「うん、結城さんの横顔……本当に綺麗だから」
「うー。また、そういうこと言うんだから」
結城さんは顔を伏せてしまった。その仕草を見ていると、また口が緩む。
「結城さん。近いうちに、結城さんの絵、描かせてよ」
「えっ、描いてくれるの?」
伏せていた顔をあげて、目を輝かせる。表情がコロコロと変わるので、見ていて飽きない。
スマホで時間を確認すると、後三十分ほどで花火が上がる時刻だ。僕たちは花火が見やすい場所を探すことにした。
人混みから少しだけ離れた場所で、二人並んで座る。
夜風が、結城さんの浴衣の袖を揺らしていた。
「ねぇ」
さっきより、祭りの喧騒が遠く感じる。
「どうしたの?」
「……来年も、また一緒に来れるかな?」
声に滲む重さを感じて、僕は結城さんに視線を移す。
「うん、来よう。二人で」
結城さんも僕に顔を向ける。
「……なんで、言い切れるの?」
「ずっと、一番近くで見ていたいと思うから……」
その言葉が、僕の中から溢れ出た。結城さんは、前を向いた。そしてゆっくりと、僕の肩に頭を預けてくる。
その感触を感じた時、僕は息を止めた。
「……約束だよ」
やがて——花火が上がった。
大きな音と、瞬く光。人混みがどよめく。
僕たちは立ち上がり、空を見上げる。光が弾ける度に、その振動を身体に感じる。
「わぁ! すごい、すごい!」
結城さんは無邪気に小さく飛び跳ねている。
「うん、綺麗だね」
歓声をあげる彼女に、顔を向ける。
夜空に花火が咲くたびに、その横顔が色を変える。
(綺麗だ——)
大きな瞳に花火を映し、彼女は微笑んでいる。
もう、花火の音は——聞こえていない。
僕が見ているのは、彼女だけ。
気づけば、手を伸ばしていた。
彼女が僕に顔を向ける。
何だか、少し驚いたように目を開いた。
僕の手が、彼女の頬に触れた。
そして——
彼女の唇に、軽く触れるだけのキスをした。
ほんの一瞬、でも時間が止まった——
花火は終わりに向けて、盛り上がりを演出している。
音も、周りの歓声も戻ってきた。
彼女の顔を伺うと……真っ赤だった。でも、目を細めて微笑んでいる。
「……直哉くんが、してくれるとは思わなかったよ」
「……ごめん」
「なんで謝るの」
僕は息を整える。
「さ、沙友里のこと……もっと知りたくて……」
「えっ……」
小さな驚きの声を出して、沙友里が顔を向ける。
「やっと……やっと、呼んでくれたね」
今だけは沙友里の方を見れない。だけど、繋いだ手は離さない。
「来年も……その、沙友里と二人で花火が見たいな」
「ふふっ……じゃあ、ずっと独占しててね、直哉……」
——そうか。今夜だけは、みんなのアイドルを独り占めしていたのか。
花火の音よりも、心臓の音が一番大きかった。




