第十四幕 ありがとうを返す日
第十四幕 ありがとうを返す日
ありがとうを、どう返せばいいのか——
「ホワイトデーのお返し、俺たちも手作りで返そうぜ!」
守が、突然思いついたように言い出した。
「……守は、お菓子作りしたことあるの?」
「ない!」
「じゃあ、無理だよ……」
僕も考えなかったわけじゃない。だが、お菓子作りどころか、僕は料理にもまったく自信がない。この様子だと、守も同じだと思った。
だけど——
「いいね、やろう」
黒崎くんが、普通に賛成した。
肩を落としていた守の顔が、一気に輝き出した。
「黒崎、できるのか?」
「うん、俺は結構得意だよ」
「俺は信じてたぞ!」
そう言いながら守は、黒崎くんを抱きしめた。さすがの黒崎くんも、本気の抵抗を見せる。
「なら、何とかなるかも……守、やろうよ」
「それでこそ直哉だ! 場所は直哉の家な」
「うん、大丈夫だと思うよ」
手作りは諦めていたけど、黒崎くんのおかげで何とかなるかもしれない。黒崎くん頼みになるのは申し訳ないけど、僕は急にやる気が出てきた。
「相沢……とりあえず、離れてくれないかな」
運良くホワイトデーの前日に、三人で集まることができた。
場所は、僕の家。守と黒崎くんを連れていくと、母さんが驚いた顔をしていた。
早速、台所でお菓子作りを始めた。
守はやる気だけは、誰より高かった。
最初の五分で、小麦粉を盛大にぶちまけていた。
「料理って、こんな難しかったか?」
「とりあえず守は、黒崎くんの指示に従って」
クッキーを作ることが、こんなに難しいとは思っていなかった。守の影響で、手間が増えている点を考慮しても、大変なのは間違いない。
「相沢は、一旦落ち着いて。桐谷は、丁寧でいいね」
僕は黒崎くんに確認しながら、慎重に型を抜いた。
(沙友里、喜んでくれるかな)
型を押しながら、自然とそんなことを考えていた。
どうやら守も、落ち着きを取り戻せたらしい。
「さゆりんには星の形。梢っちには普通の円形だな」
「相沢……じゃあ、神楽さんには?」
「麻衣か、そうだな……ハートにするか」
黒崎くんは、爽やかに微笑んだ。
「本当にいい男だね、相沢」
「何でだよ」
部屋に甘い匂いがしてきた。
僕たちの作業は黒崎くんのおかげで、何とか順調に進んでいた。
「じゃあ、クッキーだけじゃ寂しいから、チーズケーキも作ろうか」
黒崎くんが、材料を手際よく並べながら言った。
「え、そんなの作れるの?」
「うん、たまに作るよ」
「黒崎、ホントにお前、何でもありだな……」
守が、粉まみれの手で呟いた。
「食べる人を思い浮かべながら作るから、楽しいんだ」
(沙友里も、こんな気持ちだったのかな)
その日は遅くなるまで、みんなとお菓子作りに精を出した。
僕たちは、声が枯れるくらい笑い合っていた。
ホワイトデー当日。
この日は自分の部室に行かずに、みんなでレッスン場へと向かった。
レッスン場に入ると、一気に室温が上がる。大音量の音楽と、お腹まで響く振動を全身で感じる。
「見物客っていうか……あれは、もうファンだな」
守の独り言は、騒がしい部屋の中でも僕の耳に届いた。
レッスンを見守る生徒も増え、その熱もメンバーの背中を押しているようだった。
見物席に座り、僕たちは練習を眺めた。しばらく眺めていると、違いが分かってくる。
(驚いたな……全然違う)
ダンスが揃っているだけじゃない。
フォーメーションの移動や切り替わりに迷いがない。ところどころアイコンタクトもある。
笑顔が自然に溢れているし、特に沙友里たち一年は笑い合っていた。
「随分と、チームらしくなってきたね」
黒崎くんが、噛み締めるように呟いた。
確かに、もうオーディションの頃とは違う。
城ヶ崎さんを見ると、腕を組みながら沙友里たちをじっと見つめていた。その口元には僅かに笑みを湛えていたように見えた。
レッスンが一区切りついた時、城ヶ崎さんが手を叩いた。
「お疲れ様です。今日はじっくり見ていましたが——」
全員が城ヶ崎さんの言葉に注目する。
「成長していますね、確かに」
メンバーの頬が緩む。
「でも、まだまだですよ。プロの入り口にも、まだ立っていません」
城ヶ崎さんは、笑顔のまま続けた。
「今の皆さんは、ダンスの上手な中学生です。それ以上でも、それ以下でもないです」
部外者である僕まで、顔が引き締まった。
「だから、まだまだこれからが本番です」
(沙友里たちは、前に進んでいる)
「今日はここまでにしましょう。毎日頑張っていますから——」
城ヶ崎さんの笑顔が、いたずらっこのような笑い方に変わった。
「大切な人から、笑顔パワー貰ってきて下さい」
その愛嬌のあるセリフに、みんなの緊張も溶けていく。最後は和やかな雰囲気で、解散になった。
僕たちは、久しぶりに六人で集まった。場所は、いつもの喫茶ひかり。
「ここに来るの久しぶり!」
高瀬さんが弾んだ声を上げた。
「レッスン始まってから、なかなか来れなくなったね」
沙友里も頷いた。
マスターには事前に、作ってきたクッキーとケーキを出すことの許可を貰っていた。それぞれ飲み物を注文して、席に落ち着く。
六人で集まると、すぐいつものように騒がしくなった。みんなと過ごすこの時間が、僕にとってはなくてはならないものになっていた。
「じゃあ、そろそろ渡すか」
守の言葉を合図に、用意していたクッキーとチーズケーキをテーブルに並べた。
「え、凄い! これ、直哉たちが作ったの?」
「そうだよ。黒崎くんに教えてもらいながら、三人で作ったんだ」
「さすが、黒崎くんね」
「美味しそうだよー」
沙友里たちの反応に、身体も心も満たされた。守が袋に詰めたクッキーを手に取った。
「これは、さゆりんの分で——」
「ありがとう、相沢くん」
「梢っちには、これだ!」
「うれしー、ありがと」
最後に守は、神楽さんの前に袋を置いた。
「ちゃんと俺が作ったんだぜ」
「へぇ……」
神楽さんは袋から、クッキーを取り出した。
ハート型のクッキー。
目を見開いた神楽さんの表情が、ふっと和らいだ。
「意外ね……」
「俺だって、やる時はやるだろ」
「美味しかったら、認めてあげる」
「……女王様なの?」
そんな様子の二人に、僕たちは吹き出した。
「……ありがとう」
「おう」
何となく神楽さんの笑顔が、いつもより柔らかい気がした。
「ねー、このチーズケーキめっちゃ美味しいよー」
「高瀬さん、これは我が黒崎家に伝わる秘伝のレシピなんだよ」
「えーいいなー。じゃあ私、黒崎くんの家に嫁入りするー」
「ケーキで選ぶんかい!」
守の叫びが、店内にこだました。
誰もが笑顔になれる。そんな空間と友達がいるだけで、こんなにも満たされることを、僕はもう知っている。
それだけで、十分だった。
みんなと別れた帰り道。
僕たちは自然に手を繋いで歩いていた。いつものように。
いつもの帰り道。いつもの公園。
何も言わなくても、僕たちは公園のベンチに向かった。
「実は、もう一つお返しがあるんだ」
「えっ、そうなの?」
僕はスケッチブックを差し出した。
「もしかして、また描いてくれたの?」
飛びつくように受け取った沙友里は、一つ深呼吸をしてからゆっくりと開いた。
僕が今回描いたもの——それは、レッスン中の沙友里たちの姿。
神楽さん、春宮さん、神前さん。そして、沙友里。
ダンスの途中で、四人で笑い合っている瞬間。一番楽しそうな顔をしていた時を切り取った。
「……私、こんなに笑ってるんだ」
「うん」
この四人でいる時の沙友里が好きだった。
「レッスンを見学中に描いたんだ。沙友里が、とても楽しそうだったから」
僕には、四人が他の誰よりも輝いて見えた。その中で笑う沙友里は、少しだけ遠く感じられた。それでも、視線を外せないほどの魅力があった。
沙友里は、瞬きもせず絵に見入っていた。その目が潤み始めた。
「ありがとう」
小さな声だったが、はっきりと口にした。
「これも、一生大事にするね」
僕は、何も言えなかった。
冬の終わりの空気は、まだまだ冷たい。その温度を噛みしめるように、僕たちはしばらく黙っていた。
ずっと絵を眺めていた沙友里が、僕に顔を向けた。
「ねぇ、直哉……」
「ん?」
「お返し、もう一個だけ——もらってもいい?」
「いいけど……何?」
沙友里は目を細めて、「ん」と僕に唇を向けた。
一瞬、意味が分からなかった。
だけど——理解した時、耳まで熱くなり、身体が固まった。
僕は頷いて、唇を重ねた。
いつもより長く——ありがとうの気持ちを込めて。
唇が離れると、沙友里はゆっくりと瞼を開く。
「……直哉。顔、赤いよ」
耳まで赤くしながら、照れたように呟いた。
「沙友里、これはお返しにならないよ」
「ふふ、そんなことないよ。ありがとう」
「こちらこそ」
僕たちは、また手を繋いで歩き出した。
冬の空気の中に、春の匂いが混じっていた。
春が、近づいていた——




