第十二幕 はじめの一歩
第十二幕 はじめの一歩
「覚悟を見ます」——その言葉の重さを、僕はまだ分からなかった。
合格発表の数日後の放課後、レッスン場には多くの見学者の姿があった。
「見られることは、仕事の一部です」という城ヶ崎さんの方針で、基本的には見学自由ということになっていた。
手の空いている先生や、アイドル好きの生徒、ただの野次馬まで。そして、部活で来られない黒崎くん以外の僕たちも、隅の方で見学することにした。
時間になると合格者二十五名が、レッスン場の中央に並んだ。そして、上野先生と城ヶ崎さんが、悠々と歩きながら入ってくる。
「皆さん、おはようございます」
城ヶ崎さんの声は、相変わらず柔らかい。
「今日から私は、皆さんの一番の味方です」
その言葉に、何人かが安堵した表情を見せた。
「でも——甘やかすつもりはありません。プロのアイドルになるのですから」
空気がスッと変わった。
「私の仕事は、皆さんをステージに連れていくこと。そのために、オーナーに雇われています」
軽い冗談のように言ったので、少しだけみんなも笑った。その笑顔は変わらない。
「だけど、スターにしてあげることは——できません」
誰も声を出さなかった。
城ヶ崎さんは、時間をかけて全員を見渡してから口を開いた。
「私が見るのは、才能もそうですが……覚悟です。その覚悟を、今日から少しずつ見せてくださいね」
その一言が、レッスン場の温度を完全に変えていた。
「では、プロの第一歩として……」
誰かの唾を飲み込む音が、聞こえてきそうだった。
「自己紹介をしてもらいましょう!」
城ヶ崎さんは、小悪魔的な笑みを浮かべていた。
指示通りに自己紹介の時間になった。全員が前に出て並び、一人ずつ簡単な紹介をしていく。
「だけどよ、ダンス部のメンバーは、みんな知ってんだから意味なくない?」
守が抑えた声で囁いた。
「相沢くん、バカでしょ。一般応募の子たちもいるのよ」
「それもそっか……梢っち、天才か!」
「むふふ」
きっと、それだけじゃないような気がする。
「僕たちへの、正式なお披露目もあるんじゃないかな?」
「それもあるかもね……まずは校内にファンを作ろう、みたいな」
「なんか城ヶ崎って、やり手っぽいもんな」
自己紹介は進み、今はダンス部の一年生が順番にアピールしている。一人一人に暖かい拍手がおくられていた。
そして、城ヶ崎さんは毎回コメントを残していた。それはアドバイスのようなものもあれば、ただ単純に感想だけの場合もあった。
「結城沙友里です。歌うのが好きで、みんなを笑顔にしたいです!」
沙友里が、いつもの笑顔で言った。僕は少し大きめに拍手した。
「その笑顔、武器ですね」
城ヶ崎さんの反応は良かった。
「神楽麻衣です。ダンス一筋でやってきました」
「自分にも他人にも厳しそうですね」
神楽さんは言葉の代わりに、目を見開いていた。
そして次は、一般応募のメンバーに順番が回ってきた。こちらも、一年生の出番は最後のようだった。
みんなよりも背の低いショートカットの少女が、一歩前に出た。
「春宮里奈です! ダンスとかは未経験ですが、盛り上げます!」
小さい身体に収まらない、元気を体現したような女の子だった。
「声でかいな、けど気に入ったぜ」
守はまるで、オーディション中の映画監督のように頷いていた。
「ムードメーカーは、とても大事です」
城ヶ崎さんも、満足げに拍手していた。
そして、次は神楽さんとは違うタイプの美少女が顔を上げた。周りも少しざわついている。
「梢っち。あんな子、いたか?」
「うん、いた……けど、暗い感じの子だったような……」
ざわめきの中、彼女は声を発する。
「神前七瀬です……」
抑揚のない平坦な話し方で、掴みどころがない。
(それだけ?)
「えっと……空を見るのと、絵を描くのが好き、です……ダンスも歌も初めてです」
神前さんが、ぼんやりとした調子で言った。
さすがの城ヶ崎さんも、少し間を置いている。
「……面白い感性ですね」
会場に笑いが起きた。その反応に神前さんが首を傾げた。
「不思議ちゃんか?」
「ヤバい! 可愛いーー」
高瀬さんの何かに触れたようで、黄色い声援を上げていた。
「俺は里奈ちゃんの方が……ぐへへ」
「相沢くん、麻衣ちゃんにチクるよ」
「なんで、ここで麻衣が出てくんだよ」
「ほんとバカだねー」
「……なんで?」
全員が自己紹介を終えて、レッスン場は大いに盛り上がっていた。
「神楽さん、綺麗すぎる。憧れるわー」
「みんな、めっちゃ笑顔じゃん」
「思ったより、神前さん可愛くね?」
しばらくの間、城ヶ崎さんはその様子を笑顔で眺めていた。
そして頃合いを見計らい、手を叩いて視線を集めた。しんと静まり返ったレッスン場に、透き通った声が響く。
「皆さん、推しは見つかりましたか?」
その言葉で、またレッスン場が沸いた。
「今日から、この子たちは皆さんに見られる側になります。プロジェクトの第一期生たちを、どうぞよろしくお願いいたします」
城ヶ崎さんは、深々と頭を下げた。沙友里たちも、それに続いて頭を下げた。
見物人たちの惜しみない拍手が鳴り響く中、みんなは長い時間、頭を上げなかった。
少しばかりの休憩の後、城ヶ崎さんの前にメンバーが整列した。背中から緊張感が漂っている。
「自己紹介お疲れ様でした」
城ヶ崎さんは、軽く頭を下げた。
「皆さん、とても個性豊かですね。それは皆さんの武器です」
メンバー同士、顔を見合わせて笑っていた。
「私は、同じ子を揃えるために、ここに来たわけじゃありません。得意も苦手も違う——」
この場にいる全員が、息を止めているようだった。
「違うから、グループになるんです」
その言葉に、誰もが背中を押されているような雰囲気に包まれた。
その後、ダンスの講師が登場し、上野先生と共にダンスレッスンが始まった。
首や肩の柔軟から始まり、基礎の動き、リズム練習。
僕らから見ても、神楽さんの動きは周りと違った。指先まで揃っていて、ブレがない。
「やっぱ麻衣は、自信に満ちた動きするな」
守の言っていることは、僕にも理解できた。
対して沙友里は、少し動きが小さい。一つ一つ確かめながら、身体を動かしている。それでも、動きの合間に見せる表情は輝いていた。
「沙友里ちゃん、何か歌ってるよ」
「……本当だ」
何だか、掛け声のようなものが聞こえてきたので、出所を確認すると春宮さんだった。
「俺の里奈ちゃん……楽しそうに踊るなー」
「……守のじゃないよ」
「ねぇ……二人とも、神前さん見て」
高瀬さんにそう言われ、僕たちは顔を向けた。
「……あの子、ダンス初めてって言ってたよな……」
守が言う通り、神前さんはリズムも動きも、他のダンス部員と比べて遜色なかった。
「神前さんね、講師の人がやっていた振り付けを、一回で覚えていたの」
「はぁー。天才ってやつか?」
あまり活発ではなさそうなのに、ダンスにはキレがあった。
やがて、ここにいる全員の口数は減り、大音量の音楽と少女たちの熱だけがそこにあった。
「お疲れ様です。皆さんのダンス、今日はじっくり見ていましたけど——」
みっちり二時間ほどのレッスンが終わり、沙友里たちは汗だくになっていた。
「ダンスが上手な人、結構いますね」
城ヶ崎さんの言葉で、メンバーの顔が緩んだ。
「でも——まだまだ上手な素人です。当たり前ですけどね」
沙友里たちが怖いと言っていた意味が、今日理解できた。
「だから、これからプロになっていきましょう。周りの大人は、そのためにいますから」
城ヶ崎さんは、最後に一人一人を見回した。
「私は、いつも皆さんを見ています」
その言葉は、優しくもあり、少し怖くもあった。
その日の帰り道。
黒崎くんも部活を終え、いつもの六人で歩いていた。
「疲れたーー」
「梢っちは、見てただけだろ」
伸びをしている高瀬さんに、守がもっともなことを言った。
「私は楽しかったよ!」
沙友里は、レッスンが終わってからも元気だった。
「私は、あれくらいなら大丈夫よ」
「麻衣は相変わらず、キレのあるダンスしてたな」
「……私の問題は歌よ……」
「確かに!」
次の瞬間、守の悲鳴が響いた。
「それにしても……神前さん、一体何者なの?」
腕組みして難しい顔をしている高瀬さんに、その場にいなかった黒崎くんが尋ねた。
「神前さん……そんなに凄かったの? 教室で絵を描いているイメージしかなかったよ」
「黒崎くん、知ってるのー?」
「うん、小学校が一緒だから」
高瀬さんが目を丸くした。
「けど——負けないけどね」
「麻衣、私も負けないよ!」
「二人とも、その意気だぜ……にしても里奈ちゃん、可愛かっ……ぐほっ」
守は最後まで言い切れずに、お腹を抑えていた。
僕たちはいつもの空気に戻っていた。それでも——何かが始まった。
あの日描いた未来が、少しだけ現実の色を帯びた気がした——




