第2話 殿、魔物が強すぎます!
戦国の敗将、異世界で初めての軍議。
ただし家臣は、空飛ぶ小さな妖精ひとりです。
「まずは、皆を生かすぞ」
政実がそう言うと、窓辺の妖精は目を丸くした。
「えっ? マサ、今なんて?」
「村の者を逃がす。あの大男がどちらから来たのか、空から見てまいれ」
「なんであたしが命令されるのよ!」
「おぬし、先ほど自分から名乗ったではないか」
「名乗ったら家来なの!?」
「違うのか?」
「違うよ!」
違うらしい。
政実は小さく咳払いした。前世では、軍議の席でこのような問答をした覚えがない。
「では、頼む。皆の命が懸かっておる」
ピピは一度だけ口を尖らせ、それから羽を震わせた。
「……最初からそう言えばいいのに!」
窓から飛び出した妖精が、陽光の中で豆粒ほどに小さくなる。
政実は改めて自分の手を見た。十歳ほどの身体。刀はない。鎧もない。そもそも先ほど立ち上がっただけで、膝が少し震えた。
(この身体であれに斬りかかれば、ひとたまりもあるまい)
村の入り口では、オーガと呼ばれた怪物が棍棒を振り回している。男三人がかりで動かす荷車を、片手で横転させた。
「……ずるくないか、あれは」
政実は思わず呟いた。
九戸城を囲んだ六万の兵も理不尽だったが、少なくとも人の形をした兵であった。あの怪物には、これまでの戦の理屈すら通じそうにない。
表へ飛び出すと、逃げ惑う村人がぶつかってきた。
「坊主! 家に戻れ!」
「井戸の向こうに子供がおる。まずそちらを――」
「そんなこと言ってる場合か!」
男は政実を抱えようとしたが、背後で家の戸が砕けた音がした。男が振り返った隙に、政実は腕を抜けた。
(まずは地の利を知る。村の者の力も、知る)
家々の向こうに、小川が見える。水車小屋があり、荷車を通す木橋が架かっていた。川はその場所だけ深く削れ、両岸は切り立っている。
ふと、幼い身体に残された記憶が浮かんだ。
あの橋は古い。去年の増水で橋脚が傷み、修繕するという話が出ていたはずだ。
ならば使える。
ただし、失敗すれば村人の逃げ道まで消える。
「誰ぞ、橋の造りに詳しい者はおらぬか!」
「こんなときに橋だと!?」
振り向いたのは、大柄な男だった。腰の道具袋から金槌が突き出ている。
「俺はベルンだ。橋を直すのは仕事だが、今はそれどころじゃねえ!」
「では、あの橋は何人渡れる?」
「荷車一台と十人くらいなら平気だ。だが重いもんが乗りゃ危ねえ」
「支えを外せば、落とせるか?」
「おい坊主。橋を壊す気か?」
「必要ならな」
ベルンが口を開いたまま固まる。
「……おめえ、熱で寝込んでから何か変だぞ」
確かに、この身体の記憶では数日前まで高熱に苦しんでいた。前世の記憶が戻ったのは、どうやら今朝のことらしい。
「熱で少し賢くなったのじゃ」
「そんな便利な熱があるか!」
もっともな話である。
「マサー!」
上からピピが降ってきた。正確には飛んできたのだが、速すぎて落ちてきたように見えた。
「大変! あのでっかいの、お腹ぺこぺこ! 倉庫の匂いを嗅いでる!」
「倉庫とは?」
「村の干し肉! あと麦! あとあたしのおやつ!」
「最後のはどうでもよい」
「よくない!」
オーガは食料を求めていた。ならば、誘うことはできる。
「ピピ、空から橋の向こうを見たか」
「見た! 南の道は森につながってる。西は畑、北は行き止まり!」
「よし。村人は橋を渡り、南の森へ。足の遅い者を先に行かせよ」
「だから、なんでおめえが仕切ってんだ!」とベルン。
「仕切る者がおらねば、皆ばらばらに逃げて死ぬ」
政実は、小さな身体で男を見上げた。
「わしの策に従えとは言わぬ。橋を守るなら、おぬしが一番詳しかろう。力を貸してくれ」
ベルンは眉を寄せたまま、村の方を見た。
そこでは老人が転び、幼子を抱いた母親が立ち尽くしていた。
「……ったく。ガキにそんな顔させんなよ」
男は金槌を握り直した。
「橋の横に古い留め木がある。引き抜きゃ床板が傾く。ただし渡る奴が残ってたら一緒に落ちる」
「ならば最後の一人を確かめてからじゃ」
作戦は決まった。
問題は、あの怪物に作戦を説明しても聞き入れまいということだった。
*
「こっちだ! 橋を渡れ!」
ベルンが怒鳴り、村人たちを南へ誘導する。
政実は井戸の脇に立ち、逃げ遅れた者を数えた。八人、六人、四人。最後に足を引きずる老人が現れた。
「先に行け、坊主」
「馬鹿を申すな。背を貸す」
「小せえ身体で何ができる」
「二人なら一人より速い」
実際には、老人を支えた政実の方がよろめいた。
「……おぬし、思ったより重いのう」
「年寄りを担ぐのに文句言うな!」
老人の笑い声に、政実もつられて口元を緩めた。
こんな時に笑う者がいる。それだけで、どこか救われる気がした。
ところが、橋の手前でピピが叫んだ。
「マサ! でっかいの、こっち向いた!」
どしん、どしん。
大地が揺れる。怪物が食料倉庫を壊し、干し肉を口にくわえたまま歩き出した。
「待て。肉を食うておるのなら、なぜこちらへ来る」
「だって、ベルンがずっと怒鳴ってるから!」
「……そういうことは早く申せ!」
政実はベルンに合図した。男は大きく頷いてから、さらに大声を出した。
「みんな、静かに逃げろぉぉっ!」
「おぬしが一番うるさい!」
もはや軍議ではない。騒がしい避難訓練である。
最後の村人が橋を渡りきった。
ベルンは支柱の留め木に手をかける。
「おい坊主! 怪物を橋に乗せねえと落とせねえぞ!」
「分かっておる」
政実は、壊れた倉庫の脇に転がっていた干し肉の小袋を拾い上げた。どうやら怪物が取りこぼしたらしい。
「ピピ、これを持て」
「わーい! おやつ!」
「食うな! あやつの前で振って、橋まで誘うのじゃ!」
「ええーっ! あんな怖いのに!?」
ピピの羽がぴたりと止まった。
政実は言葉を飲み込む。命令ならば簡単だ。だが、恐れている者に無理を強いることは、前世で幾度も見てきた。
「……怖ければ、やらずともよい」
そう言って袋を握り直した時、ピピは彼の手から干し肉を引ったくった。
「怖いけどさ! マサがやるより、あたしの方が速いでしょ!」
「頼んだぞ」
「あとでおやつ三倍だからね!」
「国の財政を圧迫する条件じゃのう」
「まだ国ないでしょ!」
ごもっともである。
ピピは怪物の鼻先へ飛んだ。
「こっちこっちー! おいしいお肉だよー!」
オーガが顔を上げる。
ぎょろりとした目が、宙に揺れる袋を追った。
「グオオオッ!」
棍棒が唸り、地面を叩く。土が跳ね上がった。
ピピは悲鳴を上げながら橋へ向かう。
「マサァァ! これ絶対おやつ三倍じゃ足りない!」
政実は橋の端で叫んだ。
「高く飛べ! 橋の真上に来たら、一気に上がれ!」
オーガは勢いのまま木橋へ踏み込んだ。
一歩。二歩。
橋板が、嫌な音を立てる。
「今じゃ!」
ベルンが留め木を引き抜いた。
ぎしり。
橋の片側が大きく沈む。怪物は足を踏み外し、身体を傾けた。
だが、落ちない。
片手で残った梁を掴み、恐ろしい力で這い上がろうとする。
「な、なんじゃと!」
「だから魔物は強いって言ったでしょ!」
ピピが上空でわめく。
政実は唇を噛んだ。人間ならとっくに落ちている。ここでは、それが通じない。
ならば、もう一手。
「ベルン! 橋の上流にある水門、開けられるか!」
「開けられるが、畑の水まで流れちまう!」
「畑はまた作れる。命は戻らぬ!」
ベルンが走った。
水門の木栓を外すと、溜まっていた水が一気に奔流となった。
橋脚が揺れる。怪物の指が滑った。
「グガアアアアッ!」
巨体が川底へ落ち、水しぶきが土手を越えて散った。
政実は勝ち鬨を上げなかった。
しばらく水面を見つめ、それから背を向けた。
「今のうちに森へ退くぞ。あやつが死んだとは限らぬ」
前世で、敵の死を確かめずに背を向けた兵がどうなるか、嫌というほど知っている。
そして何より、この世界の怪物は、人の理屈では測れなかった。
*
日暮れ、南の森の外れ。
村人たちは焚き火を囲んでいた。家は壊れ、橋も失った。それでも、互いの顔を確かめる声が絶えない。
「誰も、死んでねえ」
ベルンが、信じられないという顔で呟いた。
政実は小さく頷いた。
「勝ったのではない。逃げおおせたのじゃ」
「同じことだろ」
「違う。今日の策は、あの橋がなければ成り立たぬ。明日も同じとは限らん」
老人が近づき、政実の頭をぽんと叩いた。
「難しい顔するな、坊主。まず飯を食え」
差し出されたのは、硬い黒パンだった。
政実は受け取って、一口かじる。
「……石か?」
「パンだ!」
そこへピピが肩に止まる。
「マサ! 今日のあたし、すっごく頑張ったよね!」
「うむ。大手柄じゃ」
「じゃあ干し肉三倍!」
「橋も倉庫も失ったのに、どこから出せと言うのじゃ」
「えええっ、約束したのに!」
「おぬしが一方的に決めたのじゃ!」
笑い声が広がった。
政実も、気づけば笑っていた。
だが、火の向こうでベルンが尋ねた。
「なあ、マサザネ。次に魔物が来たら、どうすりゃいい?」
政実は答える前に、森の暗がりを見つめた。
柵は一撃で砕ける。木橋は足止めにしかならない。村人がどれほど勇敢でも、力比べでは勝てぬ。
それでも、方法はあるはずだ。
「まずは、逃げ道を造る」
「逃げ道?」
「次に、逃げずに済む場所を造る。水と食料を蓄え、見張りを置き、塀を築く。皆で守れる場所が要る」
ベルンが腕を組む。
「……つまり、村を作り直すってことか?」
「さよう」
政実は、焚き火に照らされた人々を見渡した。
「城を造ろう」
しん、と静まり返る。
次の瞬間、ピピが両手を上げた。
「やったー! あたしの部屋もある!?」
「まだ城も建っておらぬわ!」
再び笑いが起きた。
政実は額を押さえたが、その口元にはわずかな笑みがあった。
前世で失った城。
今度は、守りたい者たちと一から築く。
その決意が、遠い異世界で最初の石となった。
――もっとも、当の石を積む職人は、まだ一人もいなかったのだが。
――第2話・完――
第2話をお読みいただきありがとうございます!
戦国武将の軍略も、異世界の魔物には一筋縄ではいかないようです。
次回は村の立て直し。マサザネの「城を造る」の一言が、さらに騒動を呼びます。




