第1話 九戸政実、死す
天正十九年、奥州。
天下人・豊臣秀吉の大軍に立ち向かった、一人の武将がいた。
その名は、九戸政実。
これは、戦国の世に散った敗将が、剣と魔法の異世界で再び歩み始める物語。
まずは、彼の最期からお付き合いください。
天正十九年、九月。
奥州の空は、早くも冬の気配を含んでいた。
九戸城の物見櫓から見渡す限り、旗、旗、旗。
南の丘にも、川向こうにも、敵の陣幕が連なっている。豊臣秀次を総大将とする討伐軍。その数、六万を超えるという。
一方、城を守る九戸勢は、およそ五千。
まるで山が、蟻の群れに囲まれているようだった。
「殿、東の柵に敵が取りつきました!」
若い兵の声に、九戸政実は振り向きもしなかった。
「慌てるな。敵は川を越えたばかりじゃ。足並みは揃うておらぬ。弓を三組に分けよ。第一組は手前の土手、第二組は渡り口、第三組は射ずに待て」
「射ずに、でございますか?」
「追われて戻る兵を迎えに来る者がおる。それを待つのじゃ」
若い兵は一瞬きょとんとしたが、すぐに駆け出した。
ほどなくして、城外から鬨の声が上がる。続いて悲鳴。敵が崩れ、川べりへ押し戻されていく。
政実は小さく息を吐いた。
勝ったのではない。
今日も、一度だけ負けずに済んだのだ。
*
「南の曲輪で三十余名、討ち死にいたしました」
「……そうか」
「矢も、残り少のうございます。兵糧も、長くはもちませぬ」
薄暗い広間には、血と泥をまとった武者たちが集まっていた。
政実は手元の地図へ視線を落とす。九戸城は三方を川に囲まれた堅城である。幾度攻められようと、容易には落ちぬ。
だが、城が落ちぬことと、そこに住む者が生き延びることは、まるで違う。
城下から逃れてきた年寄りや子供も、今は城内にいる。負傷者に水を運ぶ女たちの足取りは、日に日に重くなっていた。
「殿。今夜、打って出ましょう」
家臣の一人が、膝を進めた。
「敵の本陣を狙えば、万に一つの勝ち目も――」
「その万に一つを得るため、残る九千九百九十九を民に負わせるつもりか」
家臣は唇を噛んだ。
政実とて、戦って死ぬ覚悟はある。武士として、ここで散ることに悔いはない。
だが、城に残る者すべてが、武士ではない。
「わしの意地で始めた戦と思う者もおろう。ならば、わしの意地で皆を死なせるわけにはいかぬ」
政実はそう言って、地図の上に置いた拳を開いた。
長く争った南部信直。その後ろに立つ天下人、豊臣秀吉。
いったい、いつから奥州の一族の争いが、天下の大軍を呼ぶ戦になったのか。
誰かの下につくだけで、この地の誇りは守れたのだろうか。
答えは、もう出なかった。
*
翌日、九戸家の菩提寺・長興寺の薩天和尚が城を訪れた。
和尚の袖は雨に濡れ、その顔には深い疲れが刻まれていた。
「政実殿。和議の申し入れにございます」
広間の空気が変わる。
「わしが降れば、城兵の命は助けると?」
「左様に」
「女、子供、年寄りもか」
「そのように聞いております」
「……まことに、信じられるのか」
和尚はすぐには答えなかった。
その沈黙が、誰の言葉よりも重かった。
「殿、罠かもしれませぬ!」
「敵に義などありましょうや!」
家臣たちが口々に叫ぶ。
政実も、同じことを考えていた。戦場で敵を欺くのは珍しいことではない。まして相手は、天下を手中に収めんとする軍勢だ。
しかし、城内では今夜も子供が腹を空かせて眠る。
負傷した兵が、熱に浮かされて母の名を呼ぶ。
そして明日の朝になれば、また誰かが死ぬ。
「和尚」
「はい」
「わしの首ひとつで、皆が生きられるのならば……安いものじゃ」
「殿!」
「止めるな」
政実は家臣たちを見渡した。古くから付き従った者も、昨日初めて武器を手にした若者もいた。
「わしは九戸政実。城を守るためにおるのではない。この城で生きる者を守るためにおる」
誰も、言い返せなかった。
政実は和尚に向き直った。
「開城しよう。ただし、約束は違えるなと、しかと伝えてくだされ」
*
城門が開く。
政実は降伏の作法に従い、髪を落とした。
見上げる空は、腹立たしいほど青かった。
鎧を脱ぎ、刀を置く。そのひとつひとつが、己の生きた年月を手放すように思えた。
家臣たちは頭を下げたまま動かない。
「顔を上げよ」
政実は言った。
「生きよ。田を耕せ。子を育てよ。九戸の名など忘れてもよい。生きてさえおれば、それでよい」
誰かが嗚咽を漏らした。
政実は振り返らず、城門をくぐった。
背後で木の扉が軋む。幾度も敵を阻んだ門が、今は簡単に開いている。
その音を、政実は生涯忘れまいと思った。
――生涯は、もう長くなかった。
護送の途中、兵たちのひそひそ声が耳に届いた。
「九戸の城が焼かれたそうだ」
「中の者も、ずいぶんと……」
政実は足を止めた。
「今、何と申した」
兵は目をそらした。
「答えよ。城の者たちはどうなった」
誰も答えない。
ただ、遠い空の一角に、黒い煙が上がっていた。
政実はそれを見つめた。
喉から、言葉にならぬ息が漏れた。
疑わなかったわけではない。罠かもしれぬと知っていた。
それでも、信じるほかなかったのだ。
己の命と引き換えに、民の明日を買えると。
「……わしは」
握りしめた拳が震える。
「わしは、何を守った」
返事はなかった。
*
三ノ迫。
処刑の場で、政実は静かに膝をついた。
風が吹いた。奥州の風とは違う、乾いた風だった。
故郷の山が見たい、と不意に思う。
雪解けの川。朝霧の立つ田。馬のいななき。城下で笑う子供たち。
天下など、欲しかったわけではない。
ただ、己が生まれ育った地を、己が守れる場所であり続けさせたかった。
けれど、守れなかった。
城も、家臣も、民も。
首筋に冷たいものが触れた。
政実は目を閉じる。
(もし、もう一度……)
敵を討ちたいのではない。
天下人になりたいのでもない。
(もう一度、誰かを守る機会があるのなら)
今度は、城だけを強くはすまい。
田を作ろう。道を作ろう。腹を満たそう。異なる者同士でも、背を預けられる国を作ろう。
たとえ己ひとりが倒れても、民の暮らしが続いてゆくような――。
刃が振り下ろされた。
九戸政実の、最初の生涯が終わった。
*
どれほどの時が過ぎたのか。
暗闇の底で、誰かが呼んでいた。
「……きて」
遠い。
「起きてってば!」
妙に甲高い声だった。
(わしは、斬られたはずでは……)
瞼を開くと、見知らぬ天井があった。
木の梁に、乾かした草が吊るされている。土壁の隙間から、陽が差し込んでいた。
起き上がろうとして、政実は固まった。
手が、小さい。
節くれ立っていたはずの指が、十にも届かぬ子供のように細い。腕も、脚も、見覚えがない。
「……なんじゃ、これは」
不思議なことに、窓の外に見える井戸や畑には覚えがあった。
この身体で過ごした幼い日々の記憶が、少しずつ戻ってくる。
どうやら、別の人間として生まれ、生きてきたらしい。
それがなぜ今、九戸政実としての記憶を取り戻したのか。
「わっ、しゃべった!」
声のほうを向いた。
窓辺に、小さな娘が浮いていた。
透き通った羽が背中で震え、足は地面についていない。
「おぬし……鳥か?」
「失礼ね! ピクシーよ! あたしはピピ!」
「ぴく……し?」
「知らないの? 変なの!」
娘はくるりと空中で一回転した。
政実は眉間を押さえた。
処刑されたはずが、子供の身体。おまけに空を飛ぶ小娘までおる。
夢にしては、やけに騒がしい。
「ねえ、名前は?」
「……九戸、政実じゃ」
「くのへ……まさ……長い!」
「まだ途中じゃぞ」
「じゃあ、マサ!」
「勝手に縮めるでない!」
そのとき、外から地鳴りが響いた。
家の壁が震え、吊るされた草が一斉に揺れる。
窓の向こうで、人々が悲鳴を上げて走っていた。
「魔物だぁっ! オーガが来たぞ!」
小娘の顔から笑みが消える。
「まずい! マサ、逃げて!」
政実は窓へ駆け寄った。
村の入り口に、家の屋根ほどもある人影が立っている。片手には丸太のような棍棒。足元の柵が、ひと蹴りで砕けた。
政実は息を呑む。
(……なんと大きな兵じゃ)
村人たちは逃げ惑うばかりで、まともな隊列すら組めていない。
その光景を見た途端、胸の奥で、死んだはずの武将が目を覚ました。
「そこの小娘」
「ピクシーだってば!」
「空から村全体が見えるな?」
「え? う、うん」
「ならば教えよ。逃げ道は幾つある」
小娘はぽかんと口を開けた。
政実は、砕ける柵と逃げ遅れた人々を見つめていた。
今度こそ、失いたくない。
「まずは、皆を生かすぞ」
戦国の敗将が、異世界で最初に下した命令だった。
――第1話・完――
※九戸合戦、降伏時の和議、九戸政実の処刑については岩手県などの史料・伝承を参考にしています。会話、心情、細かな戦闘描写や転生後の展開は創作です。
お読みいただきありがとうございます!
第1話は九戸政実の最期を描くため、少し重めのお話となりました。
ですが、ご安心ください!
次回からは、戦国武将マサザネと、いたずら好きのピクシー・ピピによる、にぎやかな異世界生活が始まります!
剣と魔法、強大な魔物、そして個性豊かな異種族たち。
果たしてマサザネは、この世界でどんな国を興すのでしょうか?
次回、第2話「殿、魔物が強すぎます!」
※本作は史実を題材にしたフィクションです。人物の心情や会話などには創作を含みます。
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