153 司祭が漏らした言葉
突然領事館内から現れた武装集団が、アムセルンド人の人質五人を処刑してから約一時間が経過した。
同僚たちが射殺される瞬間を垣間見たロッタは、ショックを隠しきれず膝をガタガタと震わせて狼狽するのだが、オレルに支えられらながら、そしてオレルの強い指示に従って拡声器越しに声を張り上げ続けた。
だが、語りかけるロッタの声は一切無視されたまま今に至る。武装集団は人質五人を射殺した後、ふたたび貝のように口を塞ぎ海底深くに沈んだのだ。
■事件発生から三日目 十二時二十五分
まるで進展しない交渉、この膠着状況を鑑みたオレルはロッタに休憩を命じ、二人は作戦実行本部へ戻る。
ジョーカーは領事館内に潜入して独自調査を続けており、マザーズネストやベルメル大佐そしてオスティンの目の前に広がる領事館の地図に、どんどんと詳細な内容が書き込まれている。
今現在、作戦実行本部が入手している情報は従来の情報も合わせて以下の通り。
・武装集団の正体は神聖デルフィーヌ教サイトス原理主義 バルテレミー派と思われる
・このバルテレミー派は、神聖デルフィーヌ教において歴史上の記述にのみ存在する最古の分派である。長らく耐えて等しいはずの古の宗派なのだが、この事件をもってその存在が確認された
・バルテレミー派が領事館を襲撃した理由については全くの不明。領事館関係者を人質に取って何かしらの交渉を始めるものと考えられていたが、問答無用で人質五人を射殺した事から、交渉は望んでいないと考えられる
・武装集団の正確な人数と、人質になった領事館関係者の正確な数は未だに不明。しかしジョーカーの潜入調査で、人質たちは領事館二階の迎賓の間と食堂に押し込められている事が予想される。 ──扉の前にライフル銃で武装した者たちが立ち、交代で重点警備を行なっている事が予想判断の根拠である
・ただ、ロッタの作成した見取り図に従い全ての部屋や通路を網羅した訳ではないので、人質たちの監禁された場所は分散されているのを前提とした上で、さらなる調査が必要である
・武装集団の装備は、主にアークヴェスト王国陸軍の正式小銃であるナトショヴァ43を装備しており、同じくアークヴェスト製の回転式拳銃を持つ者もいる。リグ(予備弾倉入れのポーチが無数に付いたダウンベスト)や腰ベストもアークヴェスト陸軍工廠製の正規品であり、武器供給元としてアークヴェスト王国の関与が予想される
・ファウストの魔法探査により、人質には鎮静化の魔法がかけられており、逆に武装集団側には勇猛化の魔法がかけられている事から、人質たちによる独自の脱出は不可能であると思われる
とりあえず、五里霧中の状況の中でここまで分かっては来たものの、正直なところ“だから何なんだ”と指摘されてしまうほどに情報量は乏しい。現状での人質救出は無理に等しいと判断する作戦実行本部においては、目の前で同僚たちが射殺されたショックで沈むロッタを先頭に、重苦しく沈鬱な空気が漂っていた。
「子供の頃……パルナバッシから南国の果物が届いたんだ。あれは確かスイカと言ったか。喜んで箱から出した私は、早速切って貰おうとしてそれを抱えて厨房に駆け出したんだ」
中央のテーブルから離れ、壁際の椅子に座るロッタは、オスティンが用意してくれた毛布を肩からかけて、コーヒーカップを手にガタガタと震えている。だが寒さに震える以上に、彼女の表情は悲壮感に沈んでいる。
「厨房に向かって駆け出して、そしてつまづいてスイカから手を離してしまったんだ。勢いよく床に落ちたスイカ……彼らの頭は、ちょうど床に落ちたスイカのように破裂していった」
「レベッタさん……いやロッタさん、今は思い詰める時間ではありません。あなたの力不足が招いた結果じゃないのだから。誰があの場に立ったとしても、同じく悲劇的な結末が待っていたはずです」
沈むロッタを慰めるオスティン。中央のテーブルではベルメル大佐とマザーズネストが、ロッタに気遣っているのか節目がちに沈黙を続ける。
だがオレルだけは違っていた、彼だけは思いやりの空気などお構い無しに、問題解決を大前提とした自分なりの考察構築に集中していたのである。
(あの司祭、処刑直前の説法で聖人ヤンカミルの名前を連呼していた。つまりは神聖デルフィーヌ教の正統派に属する宗派であるのは間違いないのだが、何故アムセルンド人を目の敵にする?)
処刑の瞬間を垣間見る事はかなわなかったが、やぐらに登って領事館の敷地に視線を配ったオレルは、処刑直後の光景の中で、その司祭らしき人物の言動について注目していたのだ。
(公国民族を堕天使の血族だと断罪するのは、多少理解は出来るし共感する部分はある。まさか五大貴族を筆頭としてこれ程までに堕天使の転生者たちが公国に集うのは異常だからな。ただ、このプロニスラフの領事館で騒ぎを起こして何の利益がある?アークヴェストの後ろ盾があるならば、公国内に侵入して破壊活動を行えば良いではないか)
目の前に置かれたスチール製のマグカップに手を伸ばす。もはや湯気すら立ち上らないほどに冷めたコーヒーが並々と注がれているのだが、そんな事はお構い無しに、ゴクリゴクリと炭酸飲料のように胃に流し込む。そして胸のポケットからクシャクシャになったタバコを取り出し、夢中になって火を着けて紫煙を吐き出す。
(あの司祭が最後にポツリと漏らした言葉が気になる。苦々しい表情で吐き捨てた言葉、“終焉の申し子”とは一体何だ?何を意味する?それがこの地で活動を始めた理由なのか?)
タバコを右手に、左手は頭をガリガリとかきむしりながら、ロッタが書いた領事館の見取り図を穴が開くほどの鋭い眼力で睨み続ける。
(考えろ、考えるんだ。……我が三課にもやっとジェームズ・ボンドがやって来たんだ。そう、今まではジョン・マクレーンやヴァシリ・ザイツェフやスレイン・スターシーカーはいても、要となるジェームズ・ボンドがいなかった。そのダブルオーセブンが今領事館内にいる。彼が成果を上げる道筋を作ってやらねば、それが私の使命なんだ)
──もうすぐ事件発生から七十二時間が経過する──
鎮静化の魔法をかけられた人質たちは、飲食も許されず衛生環境も悪化の一途を辿りながら、ただそこに存在する事だけを命じられて疲労の極みにあるはず。
交渉も無駄であるならば、早期に決断して突入作戦を敢行するしか方法はないのだが、分散されている人質たちの場所については、まだ完全に判明した訳ではない。
作戦行動本部も統合本部も、ただただ時間が無いと言って焦るだけなのだが、この日の夕方にジョーカーから新たな情報が届く。──それもオレル自身が夜間に潜入して調査を行う必要があると決断するほどに、何かしらキナ臭くて胡散臭い内容がだ。
“武装集団の大半は、領事館内の礼拝所にいる模様。入り口の警備が厳しく、頻繁に出入りを繰り返している”
この報告を受けて、オレルは大きく動くのだ