144 三課は女王陛下の元にあれ
コンコンコン と、部屋にいる者の神経を逆撫でさせないような、配慮に満ちた優しいノックが響く。旅支度を整えていたオレルが振り向くと、扉の向こうからは「レイザーです」の声。
その女性らしい柔らかな声を耳にしたオレルが“やっと軍人臭さが抜けて来たな”と実感しつつ入室を認めると、彼女はビシリと直立不動を整えて見事な敬礼でオレルを苦笑させる。
「ふふ、その軍人臭さが抜けるにはあと一歩努力が必要だな」
椅子に座るよう促して自分はベッドに腰掛ける。するとレイザーの座り方が面白かったのか、再びクスクスと苦笑しながら彼女に説いた。
「足を組め、背もたれに寄りかかれ。君が姿勢正しくしているだけで、相手との関係や立場が明らかになってしまう。諜報機関に身を置く者ならば、常に謎の人物を装うように」
承知しましたと返事をするものの、不満げな表情を口元に少しだけ表す。
外に向かっては自分を装うあらゆる努力はするが、敬愛する上官の前では、忠実な部下でいたい ──彼女は彼女なりの理由があるのだ。
もちろん、オレルも彼女の感情を理解している。理解しているからこそ、今までそれほど強くも言って来なかった経緯がある。だが今日この日に改めて言わなければならぬ程、オレルは“この先”を見据えていたのである。
「レイザー、聞いてくれ。そして今聞いた話は、君の腹の底にしまって鍵をかけるんだ」
真剣な表情で全てを明かす。
そう、今回の人質事件の詳細や公国軍上層部の思惑だけでなく、それこそ洗いざらい全てをレイザーに打ち明けたのである。
自分が異世界転生人である事、そして何度も転生を重ねて来た事を初めとして、前世が堕天使だった転生者を何故憎むのか、そしてこの国が今現在どう言う構造なのかと言う事までも要点を絞って話したのである。
そう、オレル・ダールベックがオレル・ダールベックでいられる理由全てを、副官であるレイザーに告げたのだ。
そして、彼の説明は今後についての話にシフトする。レイザーに託すべき未来に繋がるカギだ。
「セーフハウスに来る前に、ノルドマン准将の元に寄り、彼にも全て打ち明けてある。つまり准将とは情報を共有出来るのだが、共闘は出来ない。准将に接近するのは極力避けるんだ」
「つまりそれは、准将が完全に"奴ら"の監視下に置かれていると?」
「その通りだ。准将自身と准将が再編した参謀情報部一課と二課は、堕天使の転生者たちにより完全な監視下に置かれている。三課が合流する愚策だけは避けろ」
もしこの先三課が動くならば…… 巌のような厳しい顔付きの中、ひときわ力強く瞳を輝かせたオレルは断じるように指示を出した。
「ヤーズフェルトの命令に裏がある気がしてならない。人質事件の解決も見届けるが、奴が何を隠しているのかしっかりと見定めて来る」
「ヤーズフェルト公爵の指示……【人質よりも領事館施設の安堵に尽力しろ】ですか?」
「そうだ。堕天使代表としてヤーズフェルトがワザワザ軍令部に現れたのは、軍令部に対して圧力をかけ、訳ありの私に特命を背負わせる事が目的。そして人命よりも施設の無事を心配するあたりは、何か必ず裏がある。そしてその真相にたどり着けば、公国の未来が変わるかも知れない」
「そのお手伝いが出来ない事、ひどく歯痒く思います」
「残された君たちの方が大変なんだぞ。先程言ったように、三課はノルドマン准将の指揮下を離れ、単独行動を行え。マルヴァレフト家の身辺警護を行うのだ」
「なるほど、それならば我らが残される理由も合点がいきます。お任せください、中佐がお戻りになるまで、全力でランペルド様をお護り致します」
「違う違う、ランペルド・マルヴァレフト公爵ではなく、君たちにはアンナリーナ・アムセルンドを護って貰いたいのだ」
絶句、あの理知的で冷ややかな雰囲気を醸し出すレイザーが、目をまん丸にポカンと口を開けながら硬直する。──今何て言ったの?私の聞き違いじゃないの?アンナリーナ・マルヴァレフトじゃなくてアンナリーナ・アムセルンドって、アムセルンドって! と、自問自答を繰り返しているのだ
「今私が名を呼んだ通り、それが真相だ。良いかレイザー、堕天使の転生者たちが集う公国には悪意とモラルの崩壊しか無い。参謀情報部三課は女王陛下の元にあれ、女王陛下にアムセルンドの栄光を輝かせるのだ」
ゆっくりと立ち上がり、ハンガーにかけてあったハーフコートを羽織りながら、机の上に置いてあった帽子に手を伸ばす。
オレルとしては“これで話は終了だ、後は頼むぞ”と言う終了の合図であったのだが、レイザーの表情を見て驚き、ピタリと動きを止める。
レイザーは嗚咽を漏らさぬようにこれでもかと歯を食いしばり、目から大量の涙を溢れさせていたのだ。
「どうしたレイザー?涙なんて君らしくもない」
「中佐……これ以上私に託さないでください。まるで……まるで中佐はご自身の最後が見えているようです。先程からお話を聞いていると、これが今生の別れに思えてしまいます。死地に赴くのはいつもの事としても、私に……私に託しすぎです」
──オレル・ダールベックは帰って来ないのではないか──
帰って来ないと言っても、堕天使の転生者たちが集うこの国から逃げ出すような、逃走や遁走の類いのものではなく、死を覚悟して旅立つのではないかと考えている。そして抗う事が出来ず、その死を受け入れざるを得ない事から、未来を自分に託しているのでは?と考えていたのである。
だが、オレルもそんな彼女の寂寥感を察知したのか、椅子から立ち上がった彼女の肩に優しく手を添えながら、嘘偽りの無い晴れ渡った瞳でこう言ったのだ。
「私は必ず帰って来る。ファウストとマザーズネストも一緒なんだ、軍属の民間人を巻き込んで果てるような情けないザマを、私がしでかすとでも思うかい?」
「ですが中佐、今の私には責任が重すぎます。重すぎで心が砕け散りそうです」
「私が不在の間に、その時が来てしまう可能性があるから全てを打ち明けた。レイザー、後を頼む。女王陛下をお救いしながら三課をまとめられるのは、君しかいない」
「ご期待に添えられるよう……尽力します。私に託して失敗したと思われないように。ですが必ず……必ず……」
「ああ、もちろん帰って来る」
肩にかけたままの手に、一度ギュッと力を込める。キスでもハグでもなく、これが指揮官と副官の距離なのだと無言で伝えながら、それでは出発すると彼女に背を向けた。
「このまましばらく、この部屋にいなさい。鬼の副官が泣き腫らしたような顔をしていれば、兵士たちにいらぬ勘ぐりをされてしまうぞ」
「……はい。中佐、ご壮健で」
喉から絞り出した精一杯の言葉で見送り、やがて彼女はその場で崩れ落ちた。




