122 威嚇ではない、確実に殺そうとしたのだ
粉雪が粉雪のまま残るアムセルンドの大地
地面に降り注いだ雪の結晶が劣化する事無く、そのまま大地に堆積するほどに寒いと言う表現なのだが、それほどに厳しい寒さに晒されながらも、生き物は生きる努力を怠る事無く、日々を力強く生きている。
鹿などの大型哺乳類、そしてウサギやリスなどの小型哺乳類は冬眠に頼らずに元気に原野や森林を駆け回り、その足跡を雪面に残すのだが、ブリザードのような雪嵐がたびたび吹く事で、雪面はいつの間にか綺麗にそれを拭い去っていた。
もちろん、この冬を生きているのは動物だけではない。野生動物のように冬毛に覆われていない人間も、文明を武器に知恵と工夫で寒さをしのぎながら、日々を生きている。
だが、わざわざこの寒空に防寒着も身にまとう事無く、身体を激しく動かし汗をかいている者たちがいる。やめとけば良いのにと思う環境に我が身を晒し、ひたすら自己の向上に夢中になっている者たちがいる。
この首都バルトサーリの郊外にある参謀情報部所有の秘密訓練場。そこは今、踏み固める事の出来ない小麦粉のような雪を踏み固めながら、様々な部隊の兵士たちが訓練にいそしんでいたのだ。
射撃場で横一列にならび、小銃や自動拳銃を構える者
ハリボテのような屋内模擬施設で突入訓練を行う者
空き地を利用して行進訓練や体操に明け暮れている
……よく見れば、昨年の春先に開設したこの秘密訓練場も、ガラリと様変わりしていた。
敷地は拡張されアスレチックのようなトレーニングサーキットも出来上がり、簡素ではあるが士官用と一般兵士用の休憩所まで作られている事で、この施設の有用性が証明されていた。──それだけスポンサーのマルヴァレフト公爵も力を入れていると言う事実も浮き彫りになるのだが
そして“地獄を喰らう男”こと、マスターチーフの怒号が絶え間なく響く中、今この士官用の休憩所では鬼教官に全てを任せた者たちが集っている。
参謀情報部の司令官であるノルドマン准将を筆頭として、三課のオレルと副官のレイザーに加え、中央防衛大隊付き首都治安維持中隊のテレジア・クロンカンプ大尉と、アムセルンド陸軍軍警捜査班のヘイン・デライケ少佐もストーブを囲んでいたのである。
この秘密訓練施設がある場所ら『首都バルトサーリ近郊にあるマルヴァレフト家の狩猟用地』。つまりランペルド・マルヴァレフトの許可が下りなければ何ぴとたりとも足を踏み入れる事の出来ない私有地である。
つまりここに集った者たちは全て、互いの共通認識を持って公国にはびこる汚職を粉砕しようと望む者であり、それと同時に五大貴族のマルヴァレフト派に属しているとも言えた。
それら派閥のメンバーが集まり深刻な表情をしているのには、それなりの理由がある。懸案事項は山ほどあるが、今日だけは誰もがただ一点の問題に集中していた。それはもちろん、ラーゲルクランツ少将爆殺事件の捜査状況の確認。暗礁に乗り上げてなかなかに犯人像が浮かばないとする中で、デライケ少佐がオレルを訪ねて来たのである。
オレルがここにいる事を聞き付けたデライケ少佐が訪ねて来た理由はただ一つ。爆殺事件の捜査資料を彼に見せるため。なかなかに進展しない捜査に業を煮やした少佐は、オレルなら独自の視点で何かしら見えて来るのではと期待して、今この場にいるのである。
──オレルに手渡されたファイル、それは壮絶を極めていた。
事件発生時の目撃談や被害の詳細、証拠品として押収された物品もさる事ながら、現場検証時の生々しい白黒写真もファイル化されており、その写真が無言で伝えて来る現場の惨状に、誰もが息を飲みながら、改めて犯人の残忍なやり口に怒りを再燃させたのである。
オレルとノルドマン准将の後に写真を閲覧したクロンカンプ大尉は、その写真のあまりの凄惨さに正視出来なくなり、口を押さえて休憩所を飛び出したのだが、その行為に対して軟弱者だと責める者はいない。ちぎれた手足や首が転がる、阿鼻叫喚の地獄絵図を垣間見て、平気でいられる者などいないのだ。
その写真の中に子供の手があった事から、ノルドマン准将ははらわたが煮え繰り返るような怒りの形相で、己の自制心と憤怒の感情を戦わせており、オレルの背後から写真を覗き込んでいたレイザーは、見なければ良かったと顔を真っ青にしている。
「いかがです?ダールベック中佐。何か不審に思う点や、お気付きになられた点はありますか?」
オレルからタバコをねだって大きく紫煙を吐き出すデライケ少佐は、事前に閲覧していた事で残酷な写真に耐性がついていたのか、何とかタバコ一本で自分を落ち着かせている。
しかし、かつてアークヴェストの英雄と呼ばれていたオレルは、今まで何度も死戦をくぐり抜けて来た事もあるのか衝撃的な写真を前にしても極めて沈着冷静。まるでコピー機のスキャナーのように写真をびったりと見詰めて来る。だが、もちろん彼の内心も揺れているのは確か。ただ、せっかく同志が持ち出して来た資料だから見逃してしまったら後が無いと、彼も必死なのである。
だが、やはりその努力は結実した。現場検証・実況見聞の状況写真を見たオレルは、一つの重大な事実にたどり着いたのである。
「これは……クレイモアだな」
「中佐?そのクレイなんとかとは……?」
「いや、正式名称などはこの際関係ない。この写真に映る状況を鑑みて、新型の爆弾が使用された可能性が高いと判断する」
……新型爆弾? その場にいる誰もが想像すら出来ずに首を傾げると、オレルは自分で咥えたタバコに火をつけながら、淡々と説明を始めた。
──先ずこの、爆弾が起爆したとされる場所の写真を見てくれ。店の入り口付近、店内に入ってすぐの場所なのだが、店の内側に向かっては石造りの床がボロボロになるほど傷付いているのに、起爆した場所から店外側に向かっては驚くほど綺麗だ。つまり起爆時の爆風が指向性の性能を持つ爆弾ではと考えられる。
次に、被害者の身体のほとんどが、距離に関係無く四散している点。テーブルやイスなども粉砕されているが、人体の破壊程度が著しい。元々爆弾は起爆時の衝撃波と爆弾本体の破片で物理的に破壊するものなのだが、比較的店内奥にいた少将閣下や家族と、爆弾の至近距離にいた別グループ、更には店内一番奥のカウンターバーのバーテンダーまで被害状況が同じなのはあり得ない。衝撃波だって目の前の遮蔽物が何かあれば、それだけで減殺されるのだから。
そして結論として、現場検証で発見された無数のボールベアリング球。これらの状況を鑑みると、答えが一つ出て来る。犯人は、まだ陸軍も正式採用していない新型の爆弾、指向性対人殺傷用爆弾を使用したのである。
目撃証言によると、不審人物は重そうに手提げ鞄を持ち歩いていたと言う事から、約一万から一万五千発のボールベアリング球を装着した指向性爆弾を用意していたと考えられるのだ。
「対人殺傷用爆弾ですか?何かピンと来ないですね」
「デライケ少佐がそう思うのも無理は無い。だがこれは歩兵部隊に対する深刻なカウンター兵器になるのだよ」
さすがに、今の段階では言えない。
ボールベアリングが約四千個近く詰められた対人地雷「クレイモア」は、ベトナム戦争当時に発明された兵器である事を。
通常の爆弾や破片をばら撒く榴弾砲は、第一次世界大戦当時から当たり前のように存在するが、人体破壊に特化した兵器が開発されたのは、早くても第二次世界大戦当時のナチスドイツによる対人地雷Sマインが最初。クレイモアのように指向性対人地雷としてブラッシュアップされるのは、それよりも後の歴史になるのだ。
「これだけは言える。ヤツらは爆弾一個爆発させて、威嚇しようとしたのではない。確実に人を殺せる新型兵器を持ち込んで、殺そうとして爆発させたんだ。少将閣下とそのご家族を生きて帰さないために」
……近代兵器に精通している者がいる。その者が話すコンセプトを形にする者がいる。そしてそれらに資金を与えて背中を押すヤツらがいる。これは深刻だぞ、汚職貴族又は汚職軍人の中に、異世界転生人の協力者がいる。
額から冷や汗を滴らせるオレル、口に咥えたままだったタバコが、いつの間にかそのほとんどを灰に変えてぼとりと床に落ちた。
──古き良き大軍ロマンチシズムの陣取り合戦が、あっという間に大量破壊・大量殺人に変わって行く。この世界は変わるぞ、核兵器だけじゃない、化学兵器に生物兵器、クラスター爆弾が降り注ぎ──
「中佐、ダールベック中佐」
ついつい思い詰めてしまったオレルの肩に、レイザーの柔らかな手が添えられる。そしてテーブルを挟んで座っていたノルドマン准将も心配そうに顔を覗き込んでいる。
いやいや、私も悪魔じゃない、感情的になる事もありますよと苦笑して、オレルは新しいタバコを咥えて火を点けた。ちょうどその時、いよいよデライケ少佐がその才能の片鱗をオレルに見せ付けたのである。
「中佐、中佐の分析で思い付きましたよ!これはなかなか良い線でいけますよ。あれが中佐のおっしゃられる新型兵器ならば、兵器工廠に片っ端から査察を入れれば良いじゃないですか!怪しい金の動きを追えるはずです!」
今日、この場に沈滞する鬱屈した空気を打ち払った功労者は、オレルではなくデライケ少佐であった。