114 アムセルンド公国 プロニスラフ領事館
プロニスラフの街は大陸の東側・東海岸から西の中央台地に向かい、徐々に徐々になだらかに標高を上げて行く終着地である。プロニスラフの西にはアムセルンド公国を取り囲む中央台地の険しい山脈が行手を阻み、そして北にはアークヴェストとの国境線でもある山岳地帯が広がっている。
古くは山岳交易の中継地、そして神聖魔法に連なる神々の聖地・巡礼地として栄えて来たが、フォンタニエに近代化の波が訪れてからは、別の側面をもって爆発的に栄えるようになった。
鉄鋼業、製鉄業が近代重工業の先駆けとなって経済界を牽引し始めてからは、プロニスラフは鉄道運送の一大拠点に変わったのである。
──フォンタニエ領土の最西端、中央台地の山脈に眠る莫大な鉱山資源を掘り出し、そしてフォンタニエ東海岸に点在する工業都市にそれを運搬するために、プロニスラフは鉄道運送網の基点となったのだ。
古くから山岳民族や交易商との交流を重ねて出来上がった、多様な民族のるつぼであるプロニスラフは、多彩な文化が街に溢れている。そして自然豊かで風光明媚な景観と、神話を体感出来るような見事な歴史建造物の数々が街を彩る事から、貿易や鉄道の拠点でありながらも、観光地や巡礼地としての一面も持っていた。
その旧プロニスラフの旧市街を今、カール・オーウェンミュラーは職場に向かって歩いている。
スーツ姿に厚手のコートを羽織り、まるで熊の足のようなフカフカのブーツを履いて、膝の下まで積もった雪をかき分けて官公庁街を進んでいる。
空一面を覆う分厚い雪雲は、昨日からまったく変わらぬ光景として新鮮味は無く、今もチラチラと雪は降り続いている。下宿先の大家……あの老婦人が話してくれた説明だと、雪雲が抜けて青空が広がると、西の山々から周囲を囲む森の木々たちが、綿飴をかぶったような見事な銀世界が広がるのだと言う。
プロニスラフに来たばかりのカールにとっては、霧のような雪雲が抜けた後に見えるこの街の本当の姿が、楽しみで楽しみでしょうがなかった。
街の新聞スタンドで、プロニスラフ新聞とタブロイド紙、そして国内大手の経済新聞を購入し、いよいよ官公庁街の一角に控える、高い塀に囲まれた建物の前にたどり着いた。
外側にはフォンタニエ陸軍の衛兵が二人立ち、その背後の大きな鉄柵で作られた門の内側にはアムセルンド公国陸軍の衛兵が外に向かって睨みを効かすその門。
その門を支えるブロックレンガの支柱には、『アムセルンド公国 プロニスラフ領事館』と、刻印されたスチール製のプレートが埋め込まれている。
領事館とは、政府機関の出先として他国の領土内に開設が認められた「在外公館」の種類の一つである。他国の首都に必ず置かれるのは「大使館」と呼び、首都以外の地方都市に開設されるのが「領事館」である。大使館も領事館も、外国領土内において自国国民の保護や通商促進などの交渉を行う拠点であるのだが、首都に置かれた大使館は自国の政府代表として、相手政府との外交もその職務を行うのだが、領事館にはその権限はない。
したがって、このプロニスラフ領事館もアムセルンド国民の保護や行政事務、プロニスラフに対して情報提供や文化交流を行っている拠点の一つであった。
(背後から追跡して来た者はいない、街角を行く人々の視線も……特筆すべき事柄は無いな)
その領事館周辺で周囲をキョロキョロと……、首ごと顔を動かすのではなく、視線だけを微妙に動かして周辺警戒を行うも、どうやらカールが違和感を覚える不審者はいないようだ。
正門の前に足を進めて、スーツのポケットから出した身分証をフォンタニエの衛兵に見せる。アムセルンド公国発行の民間徴用外交官、限定外交官特権所有者証だ。
もちろん、限定ではあるが外交官特権を所有している事を証明する手帳であるので、領事館の外側を警備するフォンタニエの衛兵にカールを引き留める権限は無い。
衛兵たちは素直に通過を認めて本人を鉄柵の前へ。アムセルンド陸軍の衛兵に手帳を見せると、彼らは敬礼した後に領事館の敷地内へと迎え入れた。
「年末にプロニスラフに呼ばれて、領事に挨拶したその日に年末年始休み突入さ。顔を忘れてるかも知れないから、また最初の挨拶からやり直さないとね」
苦笑しながら衛兵に冗談を言うと、若い衛兵はつられて苦笑いし、この街は平和な街だから、その内あなたも毎日がハッピーニューイヤーになりますよと、冗談で返して来た。
確かに、プロニスラフは古来から戦乱に巻き込まれた事の無い平和な街である。貿易拠点や物流の拠点にはなっても、その広々とした地形の上にあるプロニスラフは、いざ戦争となると地政学的に戦略的拠点や要衝にはなり得ないのだ。──プロニスラフを攻略しなくとも、アムセルンドやアークヴェストは東の海に向かう事が出来るのである
(まあ、彼が言う通り平和だったんだろうな、今までは。しかし私が派遣されたと言う事は、今後の平和は保障出来ないのだがね)
カールは門から領事館の入り口まで丁寧に雪かきされた道を進みながら、チラリと左に視線を送る。領事館の隣には立派な石造りの建物があるのだが、その建物が気になったのだ。
「……ホテル・ベシュナイテバーグ(雪山)。高層階の客室から領事館の中が丸見えじゃないか……」
何を危惧しているのかは分からないが、カールはそう呟きながら領事館の中へ入って行った。