第7話 常連の騎士は、少しこわい
騎士団にパンを卸すようになってから、店にはいろいろな人が来るようになった。
巡回帰りの若い騎士たち。噂を聞きつけた隣町の人。行商の人たち。
その中に、ちょっと困ったお客さんが二人いた。
一人目は、粉を扱う行商人のルカさんだった。
栗色の巻き毛に、人懐っこい笑顔。年は私より少し下くらいだろうか。
彼が持ってくる南の地方の小麦は、粒が細かくて香りがよく、私はすっかり常連になっていた。
「ツムギさん、今日もいい粉が入ったよ。ツムギさんのために、一番いいところを取っといたんだ」
「わあ、ありがとうございます!」
「それでさ、ツムギさん。今度、隣町に新しい食堂ができたんだけど……一緒に行かない?」
「食堂ですか?」
「そう。ツムギさんと、二人で」
ルカさんがカウンター越しに身を乗り出してきた、そのときだった。
私の背後で、ぎし、と床板が鳴った。
振り向くと、いつのまにかエーリクさんが店の奥に立っていた。
騎士団の注文の受け取りに来たらしい。両腕にパンの入った籠を抱えている。
彼は何も言わなかった。
ただ、灰色の瞳で、じっとルカさんを見ていた。
冬の湖に張った氷みたいな目だった。
ルカさんの笑顔が、ぴしりと固まった。
「あ……えっと、騎士様。こ、こんにちは」
「…………」
「あ、あの、粉の代金はまた今度でいいから! じゃ、じゃあね、ツムギさん!」
ルカさんは転がるように店を出ていった。
扉ががたんと閉まる。
私はぽかんとして、エーリクさんを見上げた。
「エーリクさん、今、何かしました?」
「……何も」
「ルカさん、すごく慌ててましたけど」
「……急ぎの用でも、思い出したんだろう」
エーリクさんは籠を抱え直すと、いつもより少し低い声で言った。
「……あいつは、隣町に行くとき、いつも違う女と歩いている」
「え、そうなんですか?」
「……そうだ」
(そうなんだ……じゃあ食堂も、ただの社交辞令だったのかな)
なるほど、と納得してうなずくと、エーリクさんはなぜか少しだけ満足そうな顔をした。
二人目は、若い騎士のトビアスくんだった。
まだ十九歳。そばかすの浮いた顔で、毎日のようにお昼過ぎにやってきては、売れ残りのパンを買っていく。
「ツムギさん、このパン、本当にうまいっす! 俺、ツムギさんのパンのためなら、毎日でも巡回行けます!」
「ふふ、ありがとう。でも、ちゃんと休まなきゃだめだよ」
「ツムギさんに心配してもらえるなんて……俺、もう死んでもいいっす!」
「死んじゃだめだってば」
弟がいたらこんな感じかな、と思いながら、私は彼の話をにこにこ聞いていた。
ところが、ある日を境に、トビアスくんがぱったりと来なくなった。
心配になって、翌朝エーリクさんに尋ねてみた。
「最近、トビアスくんを見かけないんですけど、どうかしたんですか?」
「……夜の見張りに回った」
「夜の?」
「……本人の、希望だ」
「そうなんですか。体、大丈夫かな……夜って寒いですよね」
「……あいつは丈夫だ」
エーリクさんはそれだけ言って、包みを受け取った。
その日の午後、店に来た団長さんが、腹を抱えて笑いながら教えてくれた。
「トビアスか? あいつはエーリクに剣の稽古でこてんぱんにされてな。翌日から夜番に回された。本人の希望、ってことになってるがな!」
「えっ」
「いやあ、あのエーリクがなあ。がっはっは!」
(……どういうこと?)
団長さんは何がそんなにおかしいのか、ひいひい言いながら帰っていった。
私は首をかしげたまま、カウンターの端の、明日のための包み紙を見つめた。
その夜は、ひどい吹雪だった。
窓ががたがたと鳴り、隙間風が蝋燭の火を揺らす。
裏庭の薪窯が雪に埋もれていないか心配で、私は外套を羽織って様子を見に出た。
扉を開けた途端、横殴りの雪が顔に叩きつけた。
前が見えない。
一歩踏み出した足が、積もった雪にずぶりと沈み、体がぐらりと傾いた。
(あ、転ぶ……!)
そう思った瞬間、背中を大きな手が支えた。
見上げると、雪まみれのエーリクさんがいた。
「エーリクさん!? どうしてここに」
「……見回りだ」
「こんな吹雪の中を?」
「……こういう夜だから、だ」
彼は私を店の中に押し戻すと、自分は裏庭へ出ていった。
しばらくして戻ってきたとき、その腕には、窯の焚き口を塞ぐための板が抱えられていた。
「……窯は、塞いでおいた。雪は吹き込まない」
「ありがとうございます……あの、少し温まっていってください。スープ、ありますから」
彼は少し迷ってから、戸口に近い椅子に浅く腰かけた。
湯気の立つスープと、試作中のクリームパンを出すと、彼はクリームパンを手に取って、まじまじと見つめた。
ひと口かじって、また固まった。
最初の朝と、まったく同じ顔だった。
「……これは」
「お礼です。薪の。カスタードクリームっていうんですよ」
彼は黙って、クリームパンを最後のひとかけらまで大事に食べた。
それから、蝋燭の火を見つめたまま、ぽつりと言った。
「……あんたは、自分のことを『おまけ』だと思っているのか」
不意打ちの質問に、私は少しだけ言葉に詰まった。
「……そう言われましたから。でも、今はそんなに気にしてません。ここで、パンを焼けてるので」
エーリクさんは、何か言いかけて、口を閉じた。
灰色の瞳が、蝋燭の光を映して揺れていた。
「……少なくとも、この町に、あんたをおまけだと思っている者はいない」
それだけ言って、彼は吹雪の中へ帰っていった。
閉まった扉を、私はしばらく見つめていた。
胸の奥が、スープを飲んだときよりも、ずっと温かかった。




