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【完結】聖女召喚の「おまけ」として捨てられたので辺境でパン屋を開いたら、無口な騎士様が毎朝通ってきて離してくれません  作者: フトダマノミコト


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第16話 おまけではなく

 ベネディクト神官長は、その日のうちに監察官に連れられて、王都へ送られていった。

 泥にまみれた白い毛皮の外套を剥がされ、粗末な馬車に乗せられて。

 広場の人垣のあいだを通るとき、誰も、何も言わなかった。

 ただ、冷たい視線だけが、その背中を見送っていた。

 ひなたちゃんは、すべてを見届けたあと、緊張の糸が切れたように私の腕の中で眠りこんでしまった。

 辺境伯閣下のはからいで、大浄化は数日延期された。

 ひなたちゃんは館ではなく、私の店の二階で休むことになった。

 本人が、どうしてもそれを望んだからだ。


「紬さんのとこが、いい……パンの匂いがするとこが、いい……」


 寝言みたいにそう言って、私の寝台で、ひなたちゃんはまる一日眠り続けた。




 翌朝。

 午前四時。

 私は、いつもどおりに窯に火を入れた。

 丸パンを焼いて、一番形のいい三つを取り分けて、紙で包む。

 カウンターの端に、置く。

 夜明け前の、まだ薄暗い時間。

 表の扉が、控えめに叩かれた。

 いつものノック。

 私は、扉に駆け寄った。

 開けると、そこに、黒い騎士服の背の高い人が立っていた。

 焦げ茶の髪に、うっすら霜をつけて。

 冬の空みたいな、灰色の瞳で、私を見下ろして。


「……おはよう」


「……おはよう、ございます」


 声が、震えた。

 エーリクさんは、カウンターの端に置かれた包みを見た。

 それから、私の顔を見た。


「……今朝も、焼いたんだな」


「はい。毎朝、焼いてました。エーリクさんの分も、毎朝」


「……そうか」


 彼は包みを手に取らなかった。

 代わりに、ゆっくりと店の中に入ってきて、私の前に立った。

 近い。

 見上げると、首が痛くなるほど。


「ツムギ」


「……はい」


「あんたに、話がある」


 そのとき、表の通りで、馬のいななきが聞こえた。

 窓の外を見ると、王家の紋章をつけた馬車が、店の前に止まるところだった。

 降りてきたのは、監察官のハインツさんだった。神官長を部下に任せ、陛下からの言伝のために一人ノルデンに残っていたらしい。

 その後ろに、辺境伯閣下の姿もある。


(……え、今?)


 エーリクさんが、ものすごく渋い顔をした。




 ハインツさんは、店に入るなり、丁寧に一礼した。


「朝早くに失礼する。陛下からの言伝を、お伝えに参った」


 私は慌ててエプロンの粉を払い、頭を下げた。


「このたびの神殿の不始末、陛下は深く遺憾に思っておられる。あなたを『おまけ』と呼び、城から放り出したことも含めて、だ」


 ハインツさんは、懐から書状を取り出した。


「陛下は、あなたを王都へお迎えしたいとお考えだ。聖女様のお心の支えとして、聖女様付きの相談役の地位を用意する。住まいも、暮らしも、何不自由なく保証しよう」


 王都。

 城。

 何不自由ない暮らし。

 私は、思わずひなたちゃんが眠っている二階を見上げた。

 あの子のそばにいられるなら。

 そう思いかけた、そのとき。


「お断りする」


 低い声が、店の中に響いた。

 エーリクさんだった。

 彼は私の前に出て、監察官と、それから自分の兄に向き直った。


「この人は、ハルフォード辺境伯家が、責任をもって迎える。……王都へは、行かせない」


「エーリク」


 辺境伯閣下が、面白そうに眉を上げた。


「それは、辺境伯家としての返答と思っていいのか?」


「……ああ」


 エーリクさんは、私を振り返った。

 灰色の瞳が、まっすぐに私を見下ろす。


「ツムギ。順番が違うのは、わかっている。……だが、言わせてくれ」


 大きな手が、粉で白くなった私の手を、そっと包んだ。

 剣を握る、硬い手だった。

 けれど、驚くほど優しかった。


「あんたは、おまけなんかじゃない。最初から、一度も」


「……エーリクさん」


「俺は、あんたのパンが好きだ。毎朝、あんたが取っておいてくれる三つが、一日で一番楽しみだった」


 耳の先が、真っ赤だった。

 それでも、彼は目をそらさなかった。


「だが、パンだけじゃ足りなくなった。……毎朝、あんたごと、ほしい」


 息が、止まった。


「俺と、結婚してくれ」


 店の中が、しんと静まり返った。

 窯の中で、薪がぱちりとはぜる音だけが聞こえる。

 辺境伯閣下が、口元を押さえて肩を震わせていた。

 ハインツさんは、天井を見上げて、気まずそうに咳払いをした。

 私は、包まれた自分の手を見下ろした。

 粉にまみれた、パン職人の手。

 魔力もない。聖女の力もない。

 けれど、この手で焼いたパンを、毎朝、誰よりも楽しみにしてくれる人がいる。

 吹雪の夜に窯を守り、魔物の巣へ向かうはずだった道を変え、何も言わずに私を守り続けてくれた人が。


「……私、パン屋はやめませんよ」


 声が、震えた。

 笑っているのか、泣いているのか、自分でもわからなかった。


「毎朝四時に起きますし、粉だらけですし、辺境伯家の奥方なんて、きっと全然似合いませんよ」


「……構わない。薪は、俺が割る」


「……ほんとに、私でいいんですか?」


「あんたが、いい」


 即答だった。

 私は、彼の手を、ぎゅっと握り返した。


「……はい。よろしく、お願いします」


 次の瞬間、エーリクさんの腕が、ぎこちなく持ち上がった。

 抱きしめようとしたのか、肩に手を置こうとしたのか。宙で一度止まって、迷うようにさまよって。

 結局、勢いあまって引き寄せたせいで、私の額が騎士服の胸の留め金に、ごつんとぶつかった。


「いたっ」


「……! す、すまない」


 慌てて離れようとして、けれど腕はほどかずに、彼はそのまま、かちこちに固まってしまった。

 抱きしめるというより、壊れものを抱えているみたいな、ぎこちない腕だった。

 騎士服の胸から、冬の空気と、ほんのかすかに、パンの匂いがした。


「……ツムギ」


「はい」


「……さっきの返事。あとで、やっぱりやめた、は、なしだ」


(……そこ?)


 思わず噴き出すと、エーリクさんはむっとしたように黙りこんだ。

 それでも、腕の力だけは、少しも緩めようとしなかった。

 見上げると、耳どころか、首まで真っ赤になっていた。

 階段のほうから、ぱちぱちと小さな拍手が聞こえた。

 振り向くと、寝癖のついたひなたちゃんが、毛布にくるまったまま、目を真っ赤にして笑っていた。


「おめでとう、紬さん……!」


 辺境伯閣下が、とうとう声を上げて笑い出した。

 ハインツさんは書状を丸めながら、小さく肩をすくめた。


「……陛下には、相談役の件はお断りされた、とお伝えしよう。代わりに、辺境伯家への祝いの品を手配せねばならんな」

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