第10話 聖女様の一行
聖女様がノルデンに来る。
その知らせは、吹雪が明けた翌日には町中に広まっていた。
「聖女様だってさ! この冬の魔物も、きっと鎮めてくださるよ」
「領主様のお館に泊まられるんだろう? 広場で出迎えるそうだ」
店に来るお客さんたちは、口々にその話をしていた。
私は丸パンを包みながら、胸の奥がそわそわするのを抑えられなかった。
(ひなたちゃんが、来る)
あの日、私の袖をつかんで泣いていた女の子。
大事にしてもらえているだろうか。ご飯はちゃんと食べているだろうか。夜は眠れているだろうか。
会いたい。
でも、私は「おまけ」として城を出された身だ。聖女様に気軽に会いに行けるような立場じゃない。
(せめて、遠くから元気な顔が見られたらいいな)
そう思っていた翌朝、いつものノックの音がした。
扉を開けると、エーリクさんが立っていた。
けれど、その顔はいつもと違っていた。
無表情なのは変わらない。でも、灰色の瞳の奥が、どこか張りつめている。
「おはようございます。……エーリクさん、何かありました?」
「……聖女の一行が来る日は、店を閉めて、中にいてくれ」
「え?」
「広場には、出ないでほしい」
私はきょとんとして、それから少し考えた。
「神官長さんも、一緒に来るんですか?」
エーリクさんの肩が、ほんのわずかに強張った。
「……ああ」
(そっか。私があの人に会ったら、また嫌なことを言われるかもしれないって、心配してくれてるんだ)
あの日の「おまけ」という言葉を思い出して、胸がちくりとした。
でも、それ以上に、エーリクさんの気遣いが嬉しかった。
「わかりました。その日はお店を閉めて、中で騎士団のパンを焼いてますね」
「……頼む」
彼はいつもの包みを受け取ると、いつもより少しだけ長く、私の顔を見ていた。
何か言いたそうに唇が動いて、けれど結局、何も言わずに帰っていった。
聖女様の一行がノルデンに着いたのは、三日後の昼だった。
約束どおり店を閉めた私は、焼き上がった騎士団のパンを窯から出し終えると、二階の窓のカーテンの隙間から、そっと広場をのぞいた。
広場には町中の人が集まっていた。
騎士団が列をつくり、その先頭にゴットフリート団長と、エーリクさんの姿がある。
やがて、白い旗を掲げた馬車の列が、雪の街道から現れた。
真ん中の、ひときわ立派な白い馬車が、広場の中央で止まる。
扉が開いて、まず降りてきたのは、銀色の髪をきっちり撫でつけた老人だった。
ベネディクト神官長。
あの日と同じ、穏やかな笑み。
その笑みを見ただけで、私は思わずカーテンを握る手に力をこめていた。
神官長に手を引かれて、もう一人、小さな人影が降りてきた。
白い聖衣に、金糸の刺繍の外套。
ひなたちゃんだった。
私は、息をのんだ。
(……やせてる)
あの日、制服の袖からのぞいていた手首は、もっとふっくらしていたはずだ。
頬はこけ、目の下には青黒いくまがある。
町の人たちが歓声を上げて手を振っても、ひなたちゃんは小さく頭を下げるだけだった。
笑っていなかった。
その目はどこか遠くを見ていて、まるで、ここにいないみたいだった。
(大事に、してもらえてるんじゃなかったの……?)
『ひなたちゃんは聖女様なんだから、ここの人たちがちゃんと大事にしてくれる』
あの日、私が言った言葉が、頭の中で何度も響いた。
神官長が、ひなたちゃんの背中に手を添えて、何か耳打ちをした。
ひなたちゃんの肩が、びくりと震えた。
そして彼女は、まるで糸で操られる人形みたいに、ぎこちなく顔を上げて、町の人たちに微笑んでみせた。
私はカーテンから手を離して、窓辺にずるずると座り込んだ。
胸の奥が、ぎゅうっと痛かった。
その夜、私は眠れなかった。
寝台の上で何度も寝返りを打ち、とうとう起き上がって、一階の厨房に下りた。
蝋燭を灯して、粉の袋を開ける。
(何か、してあげられることはないかな)
私には魔力もないし、聖女の力もない。
ひなたちゃんの代わりに魔物を鎮めることなんてできない。
あの神官長に言い返すことだって、できないかもしれない。
でも。
私は、パン職人だ。
あの日、横断歩道で見たひなたちゃんのスポーツバッグを思い出した。
朝練に行く途中の女子高生。きっと、コンビニやパン屋で、甘い菓子パンを買って食べていたはずだ。
(……メロンパン)
日本の菓子パンの、定番中の定番。
パン生地の上に、さくさくのクッキー生地をかぶせて焼く。
この世界にはきっと、まだない。
バターと砂糖と卵、それに粉。材料は、なんとか揃う。
私は袖をまくって、ボウルを引き寄せた。
窓の外では、雪が静かに降り続いていた。




