52ヘルツのクジラたち
何個か前の記事でも書いたんだけどさ、このエッセイでは自分の好きな物を存分に語りたいなとも思ってんよ俺。おっさん自虐ばっかやってもただ自分が傷つくばかりやからね。読む人もきっと辛い。皆が不幸になる。俺の不幸はいいよ。他人には蜜だから。でもみんなの不幸は俺にしか蜜じゃないからね。
で、俺さ、音楽も小説も映画も漫画もアニメもスポーツも動物も星も月もまあ大体なんでも好きなのよ。好きな人や物が多すぎるって椎名林檎みたいなこと言ってんのよ。いい年して。
エッセイならそれを存分に1人語りできるって気付いたからさ。今日はそれをやるよ。
もうこれは完全にオタクの早口だけどまあええよね別に。これエッセイやし。ほぼ日記みたいなもんやし。ていうかそもそも読む人のことなんて考えたことないし。みんな不幸になっても全然OK!
というわけで今日は小説「52ヘルツのクジラたち」の話。
【52ヘルツのクジラとは】
そもそも52ヘルツのクジラという言葉の意味だけど、よく言われているようにクジラという生き物は海の中で歌うようにしてコミュニケーションを取るのよ。
人間もそうであるように種類によって動物は甘受できる周波数が違う為、クジラの種類によって別の周波数があるわけさ。ちなみに俺なんてもう10年以上前には博多駅のモスキート音が感受できない個体になってたよ。
10から40くらいの低周波でコミュニケーションをとる種類もいれば、100以上の高周波を得意とするクジラもいるらしい。なんかあれだね、docomoとかソフトバンクみたいな話だね。プラチナバンドってなんやったんあれ。
で、52ヘルツという周波数帯を感受する種類のクジラというのは現在まで発見されていない。
でも、52ヘルツのクジラは存在しているらしいのよ。
わけわかんねえこと言うなっつー話やけど、これはね、姿は観測されてないけど鳴き声だけが観測されてるんだって。
なにせ広い広い海の中、現代の技術をもってしても海の中の隅々までなんてまだ全然見えてねえのよ。でも鳴き声だけはさ、ソフトバンクの電波みたいに伝ってくるから観測できるらしいのよ。
そんな風にして、52ヘルツの鳴き声だけがもう30年以上も同じ場所で響いている。
しかも、諸説あるものの生息領域や行動パターンから、その声を出してるのは常に同じ1個体だけと考えられているんだとか。
つまりそいつしかいねえのよ。52ヘルツのクジラ。世界にさ。
52ヘルツの周波数帯を放つクジラの種類があって、その中の一匹が迷子になってるってわけじゃなくてさ、シロナガスクジラとかのヒゲクジラの中の1個体がたまたま突然変異で52ヘルツの声しか出すことができない個体だと予測されてんのよ。
それが先述の「52ヘルツを感受する種類のクジラはいない」の意味ね。
ってぇことはつまりあれかい?
この52ヘルツのクジラちゃんは30年以上もの間、どの仲間にも聞こえない声で必死に歌い続けているということになんのかい?たった独りで?誰かに声が届くと信じて?アカン、泣きそう。悲しすぎやろ。いくらなんでもひどくない?神様さ。
このクジラがさ、醜いアヒルの子だったらどれだけ幸せだったことだろうと思うよ。
だってさ、まだ仲間が発見されていないだけの新種のクジラだったなら、人間が知らないだけで必ずどこかに仲間がいるわけじゃん。でも52ヘルツのクジラは新種じゃないのよ。突然変異なのよ。
つまり彼にはちゃんと仲間がいる。その中で独りぼっちなの。
宇宙で孤独なんじゃないの。教室で孤独なの。悲しいったらないよ。
つまり52ヘルツのクジラというのは仲間はずれでありマイノリティな存在なわけだ。
【小説の内容】
で、みんながクジラ博士になったところで、ここまでの知識を前提に、ここからは物語の内容について触れていきたい。
ちょっとここからは真面目な感じで話すよ。でも大丈夫AIじゃないからね。いや別にAIでもいいんだけど。それだとエッセイ書く意味ないから。おもんないから。俺が。
でもちゃんとネタバレとは言えない範囲で書くから。大丈夫そこは。LiLiCoの映画紹介よりぼかせば多分大丈夫だから。LiLiCo基準でいきます。
物語の舞台は大分の小さな港町。
よく言えばのどかでアットホーム、悪く言えば閉鎖的なその田舎町に越してきた主人公の女性は、そこで田舎特有の視線に晒されながら居心地悪く孤独に暮らしている。
そんな中でとある少年と出会う。
彼もまた、この小さな町で孤独に苦しんでいる。
そんな彼の現在の傷から発する声なき声、そして彼女自身の過去の傷と向き合いながら物語は進んでいく。
この作品は52ヘルツのクジラをメタファーとして、人間という同種の中で声にならない声を上げ続けて孤独に苛まれている人間たちを描いている。
って感じの話。
ね?大丈夫だったでしょ?これでアウトならLiLiCoも一緒に捕まるから。俺が捕まったら司法取引によりLiLiCoも芋づる式で投獄されるから。死なばもろともだから。謎の自称35歳の男とLiLiCoが捕まったら察して。
勘違いしてほしくないのがさ、この作品は決してマイノリティに人権を。とか、多様性を認めて。みたいな作品ではなく、ただ孤独の中で誰にも聴こえない歌を歌いながら、自分の声が届く人を探し続ける作品なのよ。似てるようでさ、全然違うのよ。
この作品には親からの虐待描写とかも出てきて、それが読者的には大分しんどいんだけどさ、外面のいい人間から受ける虐待というのはやっぱ外には届かないのよ。孤独なのよ。
しかし彼らはそんな苦しみの中でありながら自分の人生の苦しみを誰のせいにもすることなく、ただ孤独の中で生きている。
そんな二人が52ヘルツの声で出会う。
過去の自分を救えなかった苦しみを抱えた主人公と、今現在苦しみの中にいる男の子。彼らは時や性別を超えて深い海の中で繋がる。
誰にも届かない苦しみを持っていたからこそ、お互いの声に気付くことができた。
そして二人で乗り越えていく。
そんな悲しさと力強さをもった名作。そして力作だね。力作の定義分からんけど、うん。俺は力作って感じたよ。いい意味でね。力強いもん。この作品。
あと、この作品ってこんな重いテーマなのに暗すぎないんだよね。それどころかちょっとくすっとするようなところもある。
それがまたいいよね。
【子育て世代にぶっ刺さり】
本ってのはさ、読むタイミングというものがあると思うんよ。
例えばドストエフスキーの罪と罰は10代のうちに読むべきだと思うんよ。
俺自身も18歳であれ読めて本当に良かったと思ってるよ。あれ読んでなかったら今頃俺どっかのババアの首を斧で落としてたかもしれん。いや、そこまで大それたことはできないから万引きで捕まってたかも。いやごめん。俺もっとしょうもないからネットで政治と陰謀を熱く語って日々存在しない敵と喧嘩してたかも。あれ読んでなかったら。マジで。
ってくらい読むタイミングって大事。
とはいえ全ての作品がガキの時分に読めたらいいというものでもない。
個人的にはこの52ヘルツのクジラたちは子供がまだ小さい、若い親にぴったりの作品じゃなねえかなって思うんよ。若くなくてもいいけどさ。
んで、俺自身も現在息子が2歳なんだけど、やっぱ今読んで本当に良かったと思ってるよ。
完全に偶然なんだけど、このタイミングで読めたことはまさにめぐりあわせという他ないね。
逆に独身時代にこの作品を読んでいてもここまで感情をゆすられることはなかったんじゃねえかな。
んで、自分が子育てを終えた世代でもまた違った感想になっていたかもしれないなとも思う。まあそれはそれで面白そうだけど。
で、俺としてはやっぱり、自分のガキが52ヘルツの声で歌わないといけないクジラにならないようにしてあげたいなって思うよね。
そして、彼の周波数に気付いてあげたい。何歳になってもさ。マイナス5000ヘルツとかでもさ、7億ヘルツとかでもさ、くそうるせえかもしれんけど、まあ親である俺くらいはさ。
っつってすーぐなんでも子育ての教訓にすんのはつまんねえじゃん。
そんな子育てほのぼのエッセイじゃないからこれ。
ラストいい感じにまとめようとするとなんでもかんでも子供子供ってガキに頼ってさ、悪い癖だよほんと。オチは無理矢理LiLiCoでオトすくらいの気概を見せろよ。牙はどうした創作者としての牙は。
このままだと「ねえ、そのすぐ子供子供って言うのやめたら?だって君が君のエッセイの主人公でしょ?」
ってイケメンに言われたら禁断の恋しちゃうよ?ポチャンと落ちちゃうよ?
というわけで自分に置き換えてみるとさ、そもそもこのエッセイそのものがまあクジラの歌みたいなものよね。
ていうか俺に限らず作品を発表してる人たちは大なり小なりクジラだよ。
だって、自分が面白いと思う周波数の作品を書いては、真っ暗で無限に広がる深海の中に投げ込んでるわけじゃん俺達はさ。
それが共感されやすい周波数で群れに届いて人気者になれるクジラもいれば、変な周波数すぎて全然誰にも届かず泣きながら歌い続けてる悲しいクジラもいるのよ。
俺もたいがい周波数おかしいという自覚はあるよ。だから今日もこうして孤独に鳴いてんのよ。
でもさ、まあ何年も続けてたらたまに俺の周波数を傍受してくれる変な個体の読者様がいてくれてさ、やっぱそういう時は鳴いててよかったなって思うね。
このエッセイをいつどこでどんな人が読むかわかんねえけど、こんなの読む人はさ、まあ多分奇特な周波数で鳴いてる変なクジラが多いだろうからさ、お互い諦めずに鳴き続けましょうね。
そういう意味ではみんな、孤独なクジラという仲間なんだよ俺達は。
俺も。
あなたも。
あ、あとLiLiCoも。




