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はりぼて伯爵家の狂騒(三)




 コレットとの合同演奏会を行う、と唐突に思いつき、本人を誘い、練習に誘い、演奏会に向けて突き進んでいるジュリエットであったが、天才ゆえの浮世離れからかそもそも演奏会とはどうやって開催されるものなのか、という極めて現実的な問題に関しては、欠片ほどの関心も抱いていなかった。

 何せこれまでジュリエットは常に請われ、招待され、演奏会でヴァイオリンを奏でてきた。

 自分で演奏会を主催したことなど、一度もなかったのだ。

 演奏会など黙っていれば勝手に開かれるものだ、とすら思っていた。

 そういった天才の不備を埋めてくれていたのが、リュミエールである。

 リュミエールはコレットとジュリエットに同行してヴァロア伯爵家を訪れ、暁の聖母の譲渡を済ませると、そのまま伯爵邸に滞在して諸々の準備に取り掛かったのだ。

 二人の練習の進捗を確かめつつ、演奏会の日程を決め、演奏会の場所を決め、招待客を選別して招待状を送り、演奏会で着用する衣装を手配し、劇場と相談しつつチケットの販売の段取りを行い、ジュリエットが暁の聖母を持って初めて演奏するという宣伝活動に至るまで全ての道筋を作ってしまった。

 ヴァロア伯爵夫妻としては気が気でない。

 コレットさんと一緒に演奏会をするの! と喜んでいた娘が、毎日コレットを追いかけ回してその演奏に夢中になっている一方で、本来圧倒的格上のグランヴェル伯爵令嬢を働かせているのだ。

 しかしヴァロア伯爵自身も、ジュリエットの音楽活動についてはこれまで全てをグランヴェル伯爵に丸投げしてきていたのだから、演奏会に関する知識は全くないので、これに関しては娘に強く出るという訳にもいかない。

 夫妻揃って、どんな小さなことでもお手伝いできることがあればなんでもやります! という姿勢に落ち着いた。

 リュミエールもそんな夫妻の気持ちを汲んで、招待状の代筆を頼んだり、演奏会の衣装や会場に飾る花についての相談を行ったりと仕事をいくつか回してくれたので、夫妻の心は救われた。

 今回のことで夫妻は愛娘がすっかり変わってしまったことに驚きつつ、グランヴェル伯爵だけではなく伯爵令嬢にも一生頭が上がらないなあ、などと語り合うのだった。




 リュミエールは客室の机を使用し、父に宛てた手紙を書いている。

 現在の客室はベッドが一つも室内になく、床に三組分の寝具が直接整えられているという異様な状態である。

 ヴァロア伯爵家の使用人たちも、このような奇妙な指示を受けたことなど一度もなく、大いに戸惑いながら何とか形にした代物だった。

 その客室の扉が開かれ、ジュリエットが入ってきたので、リュミエールは手紙を書いていた手を止めた。


「リュミエールさん、相談がございますの!」


 何だろう、演奏会についてのことだろうか。

 しかしここ最近のジュリエットは床で寝ると言い出したりと突拍子もないことを言い出すほど浮かれている。

 ほんの少し嫌な予感を覚えながらもリュミエールは微笑む。


「はい、もちろんよろしいですよ。どんなご相談でしょうか?」


 問いかけると果たしてリュミエールの予感は見事に的中した。


「コレットさんを怒らせるには、どうしたら良いと思われますか?」

「……えっ?」


 一瞬呆気に取られかけたリュミエールだが、そろそろ心に耐性がついてきた。

 天才とは、どこか欠落したものを持っているものなのかもしれない。

 床で寝る、と言い出したときにはただ戸惑ったものだが、結果として確かにジュリエットの演奏だけではなく、コレットの演奏も力が増しているようにリュミエールには思えた。

 今回も、何か深い理由があるのかもしれない。


「ジュリエットさん、もう少し詳しくお聞かせ願えますか?」


 そう言ってソファに促し、向かい合って座る。

 ジュリエットの表情は輝いていて、よくぞ聞いてくれました、と口をひらく。


「わたくし、コレットさんの音が世界で一番格好良いと思っていますの」

「はい、私もです。同じですね、ジュリエットさん」


 学院のサロンでコレットの演奏に対してつまらない、中身が空っぽ、と言い放ったことをリュミエールは覚えていたが、それはこの際忘れることにした。

 ここ最近のジュリエットの態度は、サロンでの出来事が幻であったかのように変貌を遂げている。

 きっとジュリエットもお姉様が大好きなのだ。そうであるならば、二人は進んで手を取り合うことができるはずだ。


「わたくし、コレットさんを注意深く観察いたしましたところ、ついにコレットさんの音の魅力の秘密に辿り着きましたの。リュミエールさんはおわかりになりますか?」

「秘密、ですか。そうですね、やはり一生懸命さですとか、努力ですとか、そう言ったものの積み重ねではないかと思いますが」

「違います」


 キッパリと否定され、頭の中でジュリエットと繋がれていた手はあっさり振り解かれた。

 やはりジュリエットとお姉様大好き同盟を組むことは不可能かもしれない。


「それではジュリエットさんは、お姉様の演奏の秘密についてどのようにお考えなのですか?」

「わたくし、どういったときのコレットさんの音が一番格好良いか考えましたの。それは……コレットさんが怒ったときですわ。間違いありません。コレットさんが怒ったときの演奏が一番素晴らしいのです」

「……なるほど」


 リュミエールは思わず頷いた。

 ジュリエットの意見はそれなりに同意できるものだったからだ。

 先日の音楽室でのコレットの演奏はこれまで何度もコレットの音を聞いてきたリュミエールにとっても最高のものだった。

 そしてそのときのコレットの態度は、確かに何かに対して苛立ちを募らせ、怒っていたようにも見えた。

 それで最初の話に繋がるのか、とリュミエールは察した。


「わたくし、コレットさんにはもっともっと素敵な演奏をしていただきたいと思っていますの。ですから、コレットさんには是非怒っていただこうと考えたのですけど、わたくしコレットさんを怒らせたことが一度もございませんから、ぜひリュミエールさんのお考えを聞きたくて相談にきましたの」


 なぜそれを私に聞くのか、とリュミエールは内心で思った。

 そもそも、リュミエールとコレットは仲良し姉妹だ。父グランヴェル伯爵も二人の仲の良さにはいつも満足している。

 リュミエールはコレットのことが大好きだし、コレットもリュミエールのことが大好きなのだ。

 だからコレットがリュミエールに対して何かを怒るなど想像もつかないことだ。

 むしろコレットを怒らせるとしたらそれはジュリエットの方が適任ではないか。

 ジュリエットと違ってリュミエールはそれを口に出すようなことはしなかったが。


「さあ……想像もつきませんわね。お姉様はとてもお優しくて、怒るということをあまりなさらない方ですから、なかなか難しいかもしれません」

「そうですか。リュミエールさんでもコレットさんのことはよくお知りでいらっしゃらないのね。けれど、コレットさんには是非怒っていただきたいの。一緒に、どうすればコレットさんが怒ってくださるか考えましょう!」


 またしても無神経にリュミエールを煽りながら、ジュリエットは提案する。

 こうして、最高に前向きで最低な方向に間違えたコレット怒らせたい作戦が開始されたのである。




 ◇




 コレットにとって食事の時間は癒しの時間である。

 連日ジュリエットの奇行によって疲弊していたコレットの心を喜ばせてくれる、至福の時間と言っても良い。

 何故かジュリエットがコレットの隣で食べたいと言い張ったため、リュミエールとジュリエットに挟まれた座席には若干胃痛を覚えるが、些細なことであった。

 その日の夕食は、ヴァロア家が誇る料理人が腕を振るった、最高級の仔羊のローストだ。

 あまりの美味しさに、精神的に疲弊していたコレットの頬も緩む。

 路地裏時代ではとても自分の口には入らないであろう食材にこれのためならどんな辛いことにも耐えられる、と奇妙な前向きさすら覚える。

 そんな嬉しそうなコレットにジュリエットが尋ねた。


「コレットさんがお好きな食べ物って、何ですか?」

「お肉」


 ここ数日でコレットのジュリエットに対する印象は大きく変わった。

 こいつは天才だ。間違いなく大天才だ。自分とは比べ物にならないほどの才能を秘めている。

 しかし、変な奴だ。

 変な奴の対応は、これで十分だとばかりに短く答える。

 そうして、コレットがフォークを伸ばし、皿の上の最もジューシーな肉塊を口へ運ぼうとした――まさに、その瞬間だった。

 横から、すっと白い手が伸びてきた。ジュリエットである。

 彼女は躊躇なく、コレットが狙っていたお肉を自分のフォークで突き刺すと、そのまま無造作に己の皿へと拉致していった。

 一瞬、何が起こったかわからなかった。

 フォークの先が、主を失った空っぽの皿を、カチカチ、カチカチと虚しく叩く。

 その間にジュリエットはコレットから奪った肉をあっさりと自分の口に放り込んだ。


「コレットさんのお肉、いただいちゃいました」


 まるで歌うように、言った。

 コレットは激怒した。

 必ずこの邪悪な天才を除かねばならぬ。

 私の肉の仇をとるのだ。

 孤児時代、兄弟こそいなかったが、路地裏では食料を巡って奪い奪われの地獄を生き抜いてきたのだ。

 はりぼて令嬢となった今でも、彼女にとって食べ物を奪われる恨みは、命を狙われるよりも根深い。

 ヴァロア伯爵夫妻は、人生でこれ以上驚くことなどあるものか、という思いをここ数日で更新し続けていたが、この瞬間さらに最高値を更新した。娘の行動に声にならない悲鳴を飲み込む。

 もう駄目だ。どのような叱責を受けようとも文句など言えぬ。せめて娘への罰が軽くなるよう懇願することしか出来ぬ、と悲壮な覚悟を持ちはしたが、伯爵はリュミエールに縋るような視線を投げた。

 もはや初手からリュミエール頼りである。

 伯爵の期待通り、リュミエールは動いてくれた。


「お姉様、怒っておられますか?」


 その言葉を聞いてコレットは奥歯を思いきり嚙み締めた。

 怒っている。めちゃくちゃに怒っている。なんなら令嬢と呼ばれるようになって今が一番怒っている。

 しかし、食べ物を取られて怒ることは、令嬢らしくない。

 ここで怒れば、結局また食べ物の奪い合いの泥の底に逆戻りだ。

 その意識が何とかコレットを押しとどめた。

 表情筋を総動員して何とか引きつった笑顔を形作る。


「い、いいえ。ちっとも怒ってなんてないわ。ジュリエットさんは、お腹が空いていたのでしょう」


 その言葉にヴァロア伯爵夫妻は若干なりとも安堵した表情になり、ジュリエットは目に見えて萎れた。


「怒ってないんですか……?」


 自分で肉を奪っておいて怒っていないのかとはなんという言い草か。しかもどうして残念そうにする。

 怒っている、怒っているに決まっている。しかしここで怒っては負けだ。


「ええ、怒っていません」

「そう、ですか……」


 しゅん、と落ち込んだ様子のジュリエットは皿に残っていた自分の肉をコレットの皿に移してきた。

 本当にジュリエットが何をやりたいのかさっぱりわからない。

 これがコレットを怒らせたい作戦であることを知っているのはリュミエールだけなのだ。

 食堂の給仕たちもジュリエットの奇行を見て見ぬふりをしているし、ヴァロア伯爵夫妻は信じられないものを見て硬直している。


 コレットはジュリエットへの印象をさらに改めた。

 こいつは天才かもしれないが。

 とてつもなく変な奴だ、と。






 深夜。

 ベッドがすべて別室にたたき出され、床に三組の寝具が直接整えられているヴァロア伯爵邸の客室は、不気味な静寂に包まれていた。

 真ん中の布団に横たわるコレットは、目を閉じたまま、心の中で血の涙を流していた。


(眠れない……。眠れるわけがない……)


 連日の気疲れと、夕食時の肉強奪事件のストレス。

 肉体と精神の疲労はとっくに限界を迎えている。今すぐ意識を失いたい。

 だが、両隣から放射される異常な気配が気になって眠れない。

 じ、と。右側の布団から、闇を貫くような、爛々とした視線を感じる。

 ジュリエットである。彼女は一晩中、こちらを凝視している。

 かと思うと、左側の布団からは寝返りを打つ衣擦れの音がして、妹のリュミエールが囁き声をあげた。


「ジュリエットさん。今が絶好の機会ですわ」


 言葉の意味が全く理解できない。

 深夜の寝室で一体何を始めようと言うのか。

 私は疲れているのだ。もう寝かせてくれ、と心底思った。

 しかし無情にも右側の布団がガサリと音を立て、怪物が音もなく、しかし恐ろしい圧力でコレットの顔のすぐ横まで這い寄ってきた。


「コレットさん。寝ているところ申し訳ありません」


 起きてはいる。起きてはいるが、とてつもなく変な奴であるジュリエットの奇行には付き合わない方が良いかもしれない。

 コレットは寝たふりを決め込んだ。


「コレットさんの好きな色は、何色かしら?」


 全くもってどうでもいい質問だった。深夜に、人の顔を覗き込んで聞いてくる内容ではない。

 コレットはピクリとも動かず、完璧な寝たふりを演じ続けた。無視だ。

 無視を決め込めば怪物は諦めて巣に帰るはずだ。だが、天才の探究心と粘り強さを、元孤児は甘く見すぎていた。


「……お答えいただけないのは残念だわ。深い緑かしら。それとも、コレットさんの音を象徴するような、濁った琥珀色? とても興味深いわ。では次の質問よ、コレットさん」


 ジュリエットの鼻息が、コレットの耳元にかかる。

 だんだん恐怖感が沸き上がってくる。

 ジュリエットとリュミエールの目的がさっぱりわからない。

 わからないから、このまま寝たふりを続けるのが良いのか、反応した方が良いのかわからない。


「コレットさんの嫌いな食べ物は、何かしら? わたくし、コレットさんのすべてを知りたいの」


 セロリ、と短く答えようとした言葉を飲み込む。

 怖い。ひたすら怖い。

 音楽学院で演奏する際、常に最前列に位置したジュリエットからの視線に感じていた恐怖を思い出す。

 知ってどうする、それが何の意味を持つ。

 やっぱりわからない。

 さらに、今度は左側から妹の言葉が飛ぶ。


「ジュリエットさん、私はお姉様の精神的な価値観に踏み込んだことも知りたいですわ。好きな言葉などをお聞きしてみては?」

「リュミエールさん、素敵な助言をありがとう。……コレットさん、コレットさんの好きな言葉は何かしら?」


 イライラが、頂点に達する。もう我慢も限界だ。淑女の仮面なんて知るか。

 今すぐ跳ね起きて、この二人の胸ぐらを掴んで、夜明けまで交互に往復ビンタしてやっても良いのだ。元孤児はそのくらいのことやって出来ないことはないのだ。

 コレットはついに両目をカッと見開き、激怒の咆哮をあげようと、布団を跳ね除けて勢いよく上半身を起こした。


「いい加減に……!」


 しかし。怒声は、夜の静寂に虚しく消えた。


「すー……、すー……」


 たった今しがたまで、狂気のごとき質問責めを行っていたジュリエットは、自分の聞きたいことを一通り喋って満足したのか、コレットの布団の袖をぎゅっと握りしめたまま、信じられないほどの速さで睡眠に入っていた。その顔は、まるで天使のように安らかで、どこか幸せそうだった。

 そして左側を見ると、リュミエールもまた、満足気な微笑みを浮かべて完全に夢の国へと旅立っていた。静まり返る深夜。

 怒りの拳を振り上げたまま、静寂の闇の中に一人、ポツンと取り残されるコレット。


(……寝た? 私の睡眠を邪魔するだけ邪魔して自分たちは先に寝た……)


 怒りの行き場を失ったコレットの全身が、ワナワナと小刻みに震え出す。頭に血が上った影響か痛みがある。目が冴え渡って、眠れる気がしない。

 それでもギリギリと歯をかみ合わせながら再び横になり、目を閉じる。


 ジュリエットとリュミエールのコレットを怒らせたい作戦は、見事に成功と言ってよい結果を導いたのである。

 ……当の本人たちに成功の自覚がないまま。




 ◇




 グランヴェルの街にある格式ある劇場の舞台裏からジュリエットと並んで一歩足を踏み出した瞬間、地鳴りのような歓声と、眩いばかりの照明の光がコレットを包み込んだ。

 演奏会の舞台の上、朝焼けの空の色を宿した名器『暁の聖母』を優雅に携えるジュリエットが少し歩いたところで立ち止まり、コレットはさらに進んだところで立ち止まる。

 淑女の仮面の裏側で、怨嗟のこもった眼差しでジュリエットを見つめていた。

 ヴァロア伯爵邸での合同練習は散々であった。あの夕食での容赦なきお肉横取りや、深夜の執拗な睡眠妨害の地獄を思い出すだけで、今でも胃がひっくり返りそうだ。

 二階の個室客席を見渡せば、愛娘が今回の舞台を完璧に整えて悦に浸っている義父グランヴェル伯爵と、そんな父親の隣で「さあ、お姉様の輝かしい未来の始まりですわ」と完璧な聖母の笑みを浮かべる義妹リュミエールの姿がある。さらにその向こうには、我が娘の晴れ舞台に涙ぐんでいるヴァロア伯爵夫妻の姿まであった。

 周囲の重い期待が満ち満ちる空間で、しかし元孤児のはりぼて令嬢だけは、全く違う次元の恐怖と戦っていた。


(……ここで生半可な演奏をしたら、あのとてつもなく変な天才は『物足りないわ、もっと練習しましょう!』と、今度はグランヴェル伯爵家にまで押し寄せてくるに違いない。毎日あの夜這い質問攻めを受けるのよ!? それだけは、絶対に阻止しなければならない!)


 義父と義妹が整えてくれた最高の舞台という、完璧な令嬢を演じ通す保身の義務。そして何より、あの天才の包囲網から完全に脱出するという、野生の防衛本能。


(やってやる。完璧に弾ききって、叩きのめして、二度と私に近づかせないようにしてやる……!)


 そう決心し、コレットは自分の無銘のヴァイオリンを強く抱え直し、ジュリエットの奏でる最初の一音を待った。


 劇場全体の空気が張り詰め、観客が息を呑む。


 ————結局コレットは、平穏な未来を勝ち取るため、そんな内心の怒りと防衛本能のすべてを、これから始まる演奏にぶつけるのだった。





慎重に検討を進めた結果、お姉様大好き同盟の結成は時期尚早との結論に至りました。


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