第9話 先客
朝の光がすっかり満ちるころ、私たちはまたカーライル子爵邸の門をくぐった。
私たちを出迎えたのは、大輪のバラと、あのカスミソウたち。
エリシア様とリンちゃんが、またカスミソウの花壇の前に立った。
「やはりいいな、カスミソウは」
「うん、かわいいね。それに……」
「……それに?」
「……昨日とちょっと違う……」
「……違う?」
「……なんか……うれしそう……」
ふわっとそよいだ風に揺らいだ花たちが、それに答えたように見えた。
少しばかり、佇むふたりを見ていると、ルナとロッテがスッと寄ってきて小声で囁いてきた。
「先客のようです、副団長」
ルナの視線の先、馬車の待機所に1台停まっている。
これは困った。
ここでの訪問は、少しご迷惑になるかな?
エリシア様に報告しようとした時、家令殿が玄関先に現れた。
「これは家令殿、ちょうどよかった」
小走りで家令殿の元に行く。
「お客様が居られるようですな。お邪魔せぬよう私たちはお庭を見させていただいておりますので、子爵閣下がお手隙になりましたらお声掛け下さい」
だが、家令殿の返答は全く逆だった。
「いえ、今のお客様がおいでになった時に、主から、領主閣下と皆さまがいらっしゃいましたら、構わずご案内するよう申し使っております。
どうぞ、お入り下さいませ」
構わずに、とわざわざ家令殿に――
ヒゲを一撫でする。
「……歓迎すべからざる客というわけですか」
家令殿が頭を下げた。
「私の口からはなんとも……。
ただ、そうしていただければ、皆さまにお出しするお菓子が、少しだけ豪華になりましょう」
ふふ、いい回答だ。
相変わらず堅い表情だが、それ一辺倒の人物ではないようだ。
「ロッテ、エリシア様たちを呼んできてくれ。
ご案内いただこう」
家令殿が、また恭しく一礼した。
家令殿に案内されて応接室に向かう。
近づくに連れ、応接室の中の会話が漏れ聞こえてきた。
確かに和やかな会談ではないようだ。
「失礼致します。旦那様、お客様をお連れ致しました」
入室の許可も待たずに家令殿がドアを開けた。
最初に見えたのは、安堵した様子の子爵閣下の顔。
次いで、突然の事に唖然とする先客の顔だった。
まだ30代後半か。
痩せた顔に掛けられた眼鏡が、知的な雰囲気を醸し出してはいるが、その奥にある目の鋭さが、冷徹さと神経質そうな印象を与えている。
第一印象としては後者の勝ちだ。
「おお、よくおいでくださいました。歓迎しますぞ」
子爵閣下の歓迎に、男の冷やかな声が被った。
「家令殿、いささか無礼が過ぎますな。会談の途中で別の客を案内するなど――」
先客の叱責を意に介さず、家令はしれっと一礼して出ていった。
矛先を失った先客が、今度は子爵閣下に食って掛かった。
「カーライル殿、これはどういうおつもりか。まだ話は終わって――」
「先触れもなく貴殿が突然来訪した。
家令を通じて来客の予定があると説明したのに、聞き入れてもらえなかった。
ではお客様がいらっしゃるまでならと念押しして会談を受け入れた。
そのお客様がいらっしゃったから、会談は切り上げた。
何かこちらに落ち度でもあるのかな」
旗色が悪い先客が、今度はこちらに矛先を向けた。
眼鏡の奥のあの目が、私たちを値踏みする。
「であれば君たちにはご遠慮願おう。
見たところ市井の者のようだが、今は子爵同士で重要な会談をしているところだ。出ていきなさい」
「な、何を言う!やめんか、クラウス子爵!
そのお方は独立都市テーゼの領主エリシア閣下だぞ!」
カーライル閣下の制止に、男――クラウス子爵は、少しばかり眉を顰めた。
「……おお、これは失礼致しました。
知らぬ事とはいえ、テーゼ領主閣下に対しての無礼な言動、慎んで謝罪致します。
改めまして、セドリック・ライナー・クラウスと申します。現在は子爵位を賜っております、領主閣下」
全く感情のこもっていない謝罪だ。
しかも「現在」は子爵位――
イヤらしい言い方をする……
「……エリシア・ベルベットです……」
この言い様に、エリシア様の眼差しも不愉快さを残す。
しかしクラウス子爵は意に介さず、また視線を私たちに滑らせた。
「領主閣下が何故にカーライル殿のもとに?
いささか興味がございます」
「貴殿には関係のない事だ」
カーライル閣下が露骨な苛立ちを示すが、全く動じない。
「小なりとはいえ、物流の要衝たるテーゼの領主閣下がわざわざお運びになったのです。私にもその事情の一端をご教示いただき、知る光栄に浴したく存じますな」
『小なりとはいえ』を少し強めに言ったところに、またクラウス子爵の我が窺えた。
表面上の礼は外していないが、言葉の端々にこちらを軽く見ているフシがある。
エリシア様は……
うん、笑顔は湛えているが、こめかみが引きつっている。
リンちゃんは結構イヤそうな顔をしてる。
「小都市の領主風情の訪問理由など、子爵様にとっては取るに足らない些事でありましょう。お気になさいますな」
エリシア様が皮肉たっぷりに返したが、当人には全く響かないようだ。
「いえいえ、お近づきの契機にもなろうという重大事項です。ぜひともご教示を」
エリシア様が諦め顔で軽くため息を吐いた。
「……絵です。子爵所蔵の絵を見せていただきに参りました」
クラウス子爵の目が冷やかに笑い、逆にカーライル子爵閣下の唇が苦々しく歪んだ。
「ほう、カーライル殿所蔵の絵を……。
それは残念だ。領主閣下のご来訪が来月であれば、ここではなく私どもの私邸にお招きできたのに」
「……止めぬか、まだそうと決まったわけではない……」
「これは失礼、少々口が軽くなりました」
なんとも嫌な感じがした。
どういう事だ?
来月ならクラウス子爵様の私邸に?
リンちゃんが、エリシア様の袖を掴んだ。
背もたれに置かれていたカーライル子爵閣下の右手の指先が、わずかに強く木肘を掴んだのが見えた。
「領主閣下……、子細は後ほどご説明致します」
カーライル子爵閣下の声が低く沈んだ。
逆にクラウス子爵からは蔑みの眼差しと冷淡な笑みがこぼれる。
「領主閣下、私はとあるお方のお勧めもあって、近々、私設博物館を立ち上げる予定です。
完成しましたら招待状をお送り致しますので、ぜひともお越しを」
「……博物館を?」
「左様です。歴史に名を残すに足る品々を厳選し、後世に伝える。
文化の継承。実に有意義な事業だ。
そうお思いになりませんか?
私は国内外に様々なルートを持っておりまして、貴重な歴史的遺物の数々を展示物として準備しているところです」
クラウス子爵が自慢げに滔々と語るほど、この嫌な感じが深まっていく。
リンちゃんの袖を掴む手に力が入り、そこにエリシア様の手が重なる。
「また、間もなくとある人物の所蔵品が手に入れられる予定でして。目録では雑品の類いも多いようだが、逸品と言っても過言でない品々もございます。その辺りをきちんと分別し、整理したうえでお披露目したいと考えております」
カーライル閣下の語気が強くなった。
「……分別……?……整理だと……?」
だが、クラウス子爵はまるで意に介さない。
「当然でしょう。博物館は記念品箱ではありません。歴史的価値のない雑品など分類の末に除外するでしょうな。展示価値のない品を抱え込んでいては、蒐集全体の格が落ちる」
リンちゃんの肩が、ほんの僅かに震えた。
私とエリシア様が反射的にリンちゃんの前に立ち、その所蔵品を問い質そうとした時、
「……価値?……価値だと……?」
カーライル閣下の声が響いた。
低く、鋭く、今までで初めて明確な熱を帯びていた。




