第5話 矜持
今日は開国祭開会式と国王謁見式だ。
開国祭期間中で最も堅っ苦しい式典……なのでリンちゃんはお留守番になった。
誰が残るかというところは、ロッテが手を挙げた。
「昨日は食べ歩きメインでしたが、今日はリンちゃんといろいろお買い物してきます」
ロッテがエリシア様以外の護衛対象との関係性構築に心を配っている。
大変に喜ばしい。
そう。
彼女は元来、穏やかで心根の優しい女性なんだ。
チョットだけ……ホントにチョットだけ執着対象の事になると……、見境なく滾ってしまう……、ただそれだけなんだ。
❖ ❖
謁見式会場に着いた。
と言っても我々護衛が、謁見式が執り行われる大広間に入れるわけはない。
終わるまで、ロビーや馬車待機場で待機する事になる。
入口で剣を預け、ロビーに入る。
ロビーは、大広間ほどではないのだろうが、それでも立派なサロンのような趣きだ。
各国王家の近衛や、貴族直轄の騎士団が陣取り、その前を給仕たちが足繁く回っている。
護衛とはいえ、ほぼみんな貴族なのだろう。
自分を卑下するつもりはないが、やはり少々居心地の悪さを感じる。
「副団長〜、飲み物もらってきました〜」
ルナはそのあたりの事を全く気にしないな。
このおおらかさは貴重な資質だ。
「ありがとう、いただくよ」
ふたりでソファに座り、ロビーを見渡す。
たいていの護衛は酒を控えているようだ。
当然と言えば当然。護衛たる者、任を疎かにするような振る舞いは言語道断――
と思ったのだが、やはりどこにでも愚か者はいるらしい。
酔って給仕の女性にぶつかったくせに、居丈高に相手を罵倒している輩が目に入った。
見れば、まだ若い。歳の頃はルナと大差あるまい。
こういう堅苦しい式典で、末席に据えられた若手ほど、妙な意地の張り方をするものだ。
“出世の道は上への阿りではなく、下への威張りで示す”——そう履き違えている手合いだろう。
こぼれたワインが制服にかかったらしい。
“無礼者“と、しきりに喚いている。
私は、この言葉が心底嫌いだ。
自分が“礼を尽くされて然るべき“だと信じて疑わない、思い上がった人物ほど、これを口にする。全く度し難い。
やれやれと立ち上がると、もうルナは隣にいなかった。
素早く給仕の傍らに走り、泣いているその娘を優しく励ましている。
「さあ、気にしないで。お仕事続けて下さい」
酔ったどこぞの護衛がまだ後ろで喚いているが、お構いなしだ。
「おい!キサマ!ジャマをするな!今私がーー」
「うるさいですね、ちょっと濡れた程度です。拭けば落ちますよ」
同じ制服の同僚らしき数人が、気まずげに目を逸らした。
止めに入るでもなく、かといって加勢するでもない。
ただ、こういう時に限って自分の杯に興味が移ったフリをするのが、こういう連中の常だ。
一方、隣に陣取っていた他国の近衛たちは、あからさまに眉をひそめている。
……無理もない。他国の王宮で自国の恥を晒されているようなものだ。
「何を言うか!この制服は我が騎士団の誇り!それを蔑ろにされては―――」
「じゃあ、おばあちゃんから聞いた生活の知恵をひとつ。レモンを搾って揉み込めば、大抵の染みは消えるそうです。
さあ、ここはもういいですから、あなたは行きなさい」
給仕が涙目で感謝しつつ、その場を去った。
「こ!こら待て!何を勝手な!まだ話は――」
見送るルナの左肩に、男が後ろから手を掛けた。
空気が、変わった。
いや、変わったのはルナの纏う気配だけだ。周りは誰も気づいていない。
ただ、私だけはその変化に気づき、思わず息を止めた。
次の瞬間
ビュッ!
振り向きもせず、ルナの左手刀が男の喉元でピタリと止まった。
「!!」
動けなくなる男。喉仏のすぐ上で止まった刃のような指先を見て、顔から血の気が引いていく。
周囲の給仕たちからも、小さな悲鳴じみた息遣いが漏れた。
「あなたの制服はワインで濡れるのは許さないが、女の子の涙で濡れるのは構わないと……。
どうやら騎士の矜持も、そのワインと一緒にどこかにこぼれてしまったようですね」
手刀をピクリとも動かさず、男に向き合うルナ。
うむ、よく言ってくれた、ルナ。
騒ぎに立ち止まって動けなくなっている給仕のトレイから、ひとつレモンを手に取った。
ルナの肩に手をやり、少しだけ後ろに下がらせ、男の前に立つ。
「もうよろしいでしょう、お引き下さい」
少し面食らった感じだったが、喉元から手刀が
なくなり、多少イキオイが戻ったか、男がまた喚き始めた。
「何だキサマは!この無礼な女の上役か!」
そんな言など意に介さず、イヤミなほど丁寧な礼を示してやる。
「彼女でしたら確かに私の部下です。貴官が仰る無礼な女というのは誰の事かはわかりかねますが」
「ふざけるな!この制服は我が騎士団の――!」
「ですから、彼女がおばあちゃんの知恵袋をご披露したでしょう。
……ルナ……」
そう言ってさっきのレモンを、ルナに手渡す。
ルナは私とレモンを一往復見る。
一拍置いて、ニッコリと笑った。
ルナが黙って男にワイングラスをグイッと押し付ける。
「な、な、なんのつもり――」
男が戸惑うのを無視しつつ、眼前にレモンを突き出した。
親指・人差し指・中指で縦に摘むように持たれたレモン。
「いきます」
次の瞬間、
三本指がグシャッとレモンを押しつぶし、大量の果汁がワイングラスにこぼれ落ちた。
ギュウ……と最後まで搾り尽くされた残骸がポチャンと音を立てグラスを満たし、金糸雀色の香りがフワリと周囲に薫った。
誰かが小さな声を漏らした。
先ほど目を逸らしていた同僚か。
他国の近衛も、唖然として口が開きっぱなしだ。
当の男だけが、事の重大さに気づかぬまま、ただ呆然とグラスを見つめていた。
茫然自失の男に慇懃に礼を示し、小さいが確実に聞こえる声で、ソッと囁く。
「それで制服をお拭き下さい。しっかりとね。
染みだけじゃなく、つまらない見栄と虚勢にも多少は効くと聞きますよ」
その声が男の脳に染みわたるのに少し間が必要だった。
ようやくその辛辣さに顔を苛立ちと羞恥で歪め、また食ってかかろうと口を開いた時。
「やめんか!この愚か者が!!」
背後からの一喝、ビクッと男が縮み上がった。
「……ふ……副隊長殿……」
見ると、同じ制服を着た偉丈夫が、大股でこちらへ歩み寄ってくる。
歳の頃は四十半ばといったところか。頬から顎にかけて古い刀傷が一筋、彫像のように刻まれている。
射抜くような眼力、佇まいの重心の低さ……ただ肩書だけで威張っている手合いではないと、一目でわかる。
叩き上げの匂いがする。
「所用を済ませ戻ってきたら、何たるザマだ!
かような場で騒ぎを起こすな!バカモノが!」
周囲の同じ制服連中にも、その鋭い視線をぶつけた。
「キサマらはいったい何をしておるのだ!
なぜこの恥知らずを止めん!酒宴の席でのおちゃらけた余興程度に思っとったのか!!」
さっき目を逸らしていた同僚たちが、揃って背筋を伸ばした。
中には青ざめて杯を取り落としそうになった者もいる。
一方、他国の近衛たちの視線から険が消え、代わりに「なるほど、あの部隊にも道理はあるか」という色が浮かんだ。
「一同、心に刻んでおけ。
“剣を預けた場こそ、その者の地金が出る“。
俺の副隊長職は、この一事をもって拝命したと言っても過言ではない」
なるほど。信条を持った男の言葉だ。軽々しく口にする者の言葉とは重みが違う。
であれば、この部隊にも救いがある。
偉丈夫が私とルナの前に進み出た。
う〜ん、職責の“重み“というヤツを十二分に備えているな。
我が騎士団長とは多少趣きは違えど、通ずる部分はかなり多い。
副隊長サンが丁寧に謝罪の礼を取る。
「我が部隊の愚か者が大変失礼なマネを致しました。
小官はシュルツ第3―――」
副隊長サンが名乗りをしようとするところを、サッと制した。
「いえ、名乗りはご無用に願います。貴部隊全体の愚行にする必要はございません。
いつでも、どこにでも、酒精に惑わされる者はいるものです。
その方も、酔いが覚めて、その染みとレモン汁を見れば、酒のそれとは違うお顔の赤さを感じる事でしょう」
それを聞き、ホッとした様子を浮かべる。
が、すぐに苦笑いを浮かべ、片眉を上げた。
「……そう言われると、こちらの立つ瀬がありませんな。
名も名乗らせず、恩まで着せて去っていく、と。
噂に違わぬ食えないお人だ」
ほう、この男、ただ実直なだけではないらしい。
再び副隊長サンが私に礼を示した。
「……さすが『流刃』殿、感服致しました」
周囲がざわついた。
『流刃』?……あの『武神』の後継者……?
そんな囁きが……
いや、そんな大げさな……。
他国の騎士団はともかく、近衛たちにまでその名が伝播しているとは思わなかった。
中には、噂に聞く二つ名の主を値踏みするような目でこちらを見る者もいる。
まあいい。値踏みされて困るような立ち回りをした覚えはない。
「ほう……、キサマらもご高名だけは知っておるか。
帯剣しておらんでよかったな。
もしも抜刀でもしていたら、4〜5人まとめて5秒で膾斬りにされておるぞ」
「いやいや、ご勘弁下さい。ハハハハ……」
小さく頷く副隊長殿の目はどこか眩しそうに私を見ていた。
「実を言えば……、小官もかつては、貴殿のような立ち回りに憧れた口でしてな。
尤も、今の小官はこの有様だ。若い者を律する事に汲々として、剣より小言のほうが得意になった」
自嘲じみた響きだったが、卑屈さはない。
ただ事実を事実として語っている、そういう声音だった。
副隊長サンがルナに視線を向けた。
暖かい眼差しだ。
「小官と違って、『流刃』殿はよい部下をお持ちのようだ。
うらやましい限りです」
ルナがピッと姿勢を正した。
少し照れたような笑顔が浮かぶ。
「そ、それでは、私たちはこれで」
それだけ言って、ルナにヒソっと声を掛けた。
「もうこのロビーには居られん。馬車で待とう。
だが――」
ポンッとルナの背中を軽く叩いた。
「よくやった」
ルナはほんの少し固まったようだった。
だが、すぐに顔をほころばせ、
「はいっ!」
と応えて、スキップ気味に私についてきた。
歩き出しながら、先程の副隊長の横顔を思い出す。
律する事に汲々として、剣より小言のほうが得意になった——か。
いずれ自分もああなるのだろうか。
いや、隣で無邪気に跳ねているコイツがいる限り、それは杞憂だろう。
なぜかそう思えた。




