第9話 眠ったままの木材
翌日、悠人は網を繕う手を休めながら、コウガに素朴な疑問をぶつけてみた。
「観光とか抜きにして、単純な話、船って新しく造れないんですか」
「造れるもんなら、とっくに造ってるさ」
コウガは苦笑しながら、木槌で古い船板を叩く手を止めた。
「船大工の腕がある奴は、戦争でほとんど戦線送りにされて、帰ってきていない。それに、まともな木材だって、もう底をついてる」
「木材は、どこかで手に入らないんですか」
「一応、な。この町の外れに、王国軍の旧補給廠がある。戦時中、船を造るための木材やら道具やらを、山ほど溜め込んでたって話だ」
「それを、使わせてもらうことはできないんですか」
コウガは肩をすくめた。
「終戦後すぐ、村の連中で何度か掛け合いに行ったさ。だが、返ってくるのは『申請書類に不備がある』だの『管轄が違う』だのって話ばかりでな。まともに取り合ってもらえたことがない」
「一度も、ですか」
「そのうち、みんな疲れちまってな。行くだけ無駄だって、誰も足を運ばなくなった。生きていくだけで精一杯なのに、あんな役所仕事に付き合ってる余裕なんて、もう誰にもないのさ」
その諦めきった口調に、悠人はふと違和感を覚えた。物がある。使われていない。それなのに、誰も使えていない。
「今から、僕が行ってみてもいいですか」
「は?」
コウガは目を丸くしたが、悠人は至って本気だった。
「暇そうな余所者が一人、無駄足を踏むくらい、いいじゃないですか」
「変わった奴だな、お前」
コウガは呆れたように笑いながらも、大まかな場所を教えてくれた。
その日の午後、悠人はリゼットを連れて、町外れの旧補給廠へと向かった。
「無駄足になるだけだと思うがな」
リゼットは呆れながらも、結局は付き合ってくれた。
補給廠は、大きな倉庫がいくつも並ぶ施設だった。倉庫の壁には、色褪せた王国の紋章が刻まれ、かつての規模の大きさを物語っている。
だが、敷地内を歩く人影はまばらで、閉ざされたままの倉庫の扉には、蜘蛛の巣が張っているものまであった。
受付らしき小屋には、書類の山に埋もれた一人の若い役人が座っていた。
「……何のご用でしょうか」
声にも疲労の色が濃い。目の下の隈が、彼がどれほど根を詰めて働いているかを物語っていた。
悠人が事情を話すと、役人は深いため息をついた。
「木材のことでしたら、以前にも何度かご相談を受けています。ですが、正式な返還手続きには、対象地域の世帯からの連名申請が必要でして……」
「連名申請、ですか」
「はい。個人からの申し出だけでは、上への説明がつかないのです。何と言いますか……戦後の手続きが、山積みになったまま止まっておりまして」
役人は申し訳なさそうに、書類の山を見やった。悪意があるわけではなく、ただ単純に、手が回っていないだけらしい。
「正直に申し上げますと、木材がスペースをかなり取っているため、どかしたいのは山々なのです。が、規則ですので……。書類さえきちんと揃えば、私としても通したい案件ではあるのです」
その一言に、悠人はわずかな希望を見出した。
「連名申請に必要な署名の数は、どのくらいですか」
「町の主だった世帯、二十戸ほどでしょうか。前回も住民の方にお伝えしたのですが、面倒くさいだのゴネられまして…」
悠人はその数字を、頭の中で繰り返した。
(面倒くさいって、どんだけ短気なんだよ!――署名数が決まっているなら集めればいいじゃん)
単純な話だ。単純だが、これまで誰も、その一歩を踏み出せずにいた。
「リゼットさん。手伝ってもらえませんか」
「……何を企んでる」
「町のみんなに、署名を集めに行きます」
「本気か……」
リゼットは呆れたようにため息をついたが、その口元には、微かな笑みが浮かんでいた。
「まあ、金にならない仕事だが、付き合ってやらんこともない」
「ありがとうございます」
補給廠を後にしながら、悠人は改めて、この町の人々の疲弊ぶりを思った。誰も悪くないのに、誰もが少しずつ、諦めることに慣れてしまっている。ならば、その最初の一歩を、自分が踏み出せばいい。それだけのことだと、悠人は思った。




