第7話 海に沈んだもの
「船を出せる人を紹介してほしいんです」
崖から町へ戻る道すがら、悠人がそう切り出すと、リゼットは眉を寄せた。
「正気か。昨日の今日でか」
「白ひげ様を、間近で見られたら――きっと、遠くからでも人が来ると思うんです。この町に」
「……まあ、お前の勝手だ。案内料はもらってるしな」
リゼットは小さくため息をつきながらも、悠人を漁師たちが集まる小屋へと連れて行った。
小屋は、潮風にさらされて灰色に変色した木造りの建物だった。
中に入ると、魚を干した匂いと、油を塗り込んだ縄の匂いが混じり合って鼻をつく。
数人の年配の男たちが、壁際に腰掛けて黙々と網の手入れをしていた。その中心にいたのが、ひときわ厳しい顔つきの老人――漁師頭のドルンだった。
「リゼットの連れか。何の用だ」
悠人は正直に、崖で見た光景と、船を出して観光客を案内する構想を語った。
話し終える前から、ドルンの表情は目に見えて険しくなっていった。手にした網を握る指に、力がこもるのが分かった。
「――白ひげ様の海域に、遊びで船を出すだと?」
低く、抑えた声だった。だが、その奥に燃える怒りは隠しようもなかった。
「あの海域は、な。開戦の年、俺の息子が乗ってた輸送船が、嵐に巻かれて沈んだ場所だ。他にも大勢の若い衆が、あの海に沈んでる」
小屋の中が、しんと静まり返った。壁際の漁師たちも、手を止めたまま、じっと俯いている。
「白ひげ様は関係ない、ってのは分かってる。だがな、あの海を見るたびに、俺たちは今でも思い出すんだ。戻ってこなかった連中のことをな」
ドルンは、握りしめた網を睨みつけるように見つめた。
「あの日も、こんな風に穏やかな海だったんだ。嵐が来るなんて、誰も思っちゃいなかった。輸送命令さえ出てなけりゃ、あいつは今も、この小屋で網を繕ってたはずだ」
言葉の端々に滲む後悔と怒りに、悠人はかける言葉を失った。
「……知らずに、すみませんでした」
悠人は素直に頭を下げた。だが、ドルンの怒りは収まらない。
「知らなかった、で済む話じゃない。お前らみたいな余所者は、綺麗な景色だ何だと騒ぎ立てるだけでいい。だが俺たちは、この先もずっとここで生きていかなきゃならんのだぞ」
「……」
「見世物にされてたまるか、あんな場所」
それだけ言うと、ドルンは悠人に背を向け、再び網の手入れに戻ってしまった。
他の漁師たちも、気まずそうに目を逸らすだけで、誰も助け舟を出してはくれなかった。
ただ一人、隅に座っていた片足の悪そうな若い漁師だけが、ちらりと悠人の方を見た気がしたが、それもすぐに俯いてしまった。
彼が何を言いかけたのか、悠人が知るのは、もう少し先のことになる。
小屋を出た後、悠人はしばらく無言のまま歩いた。潮風が、やけに冷たく感じられた。
「……言い返せなかったな」
ぽつりと呟いた悠人に、リゼットが横目を向ける。
「当然だ。あの人の怒りは、正しい」
その言葉に、悠人は思わず足を止めた。
「リゼットさんも、同じように思いますか」
「俺の故郷を焼いたのも、戦争だ。海と森の違いはあれど、似たようなもんさ」
その一言だけで、リゼットが多くを語らない理由が、なんとなく分かった気がした。傷ついた者は、みな同じように、簡単には語れない痛みを抱えている。
リゼットはそう言うと、それ以上は何も語らず、先を歩き続けた。その背中には、いつもの素っ気なさとは違う、どこか重たいものが滲んでいるように、悠人には見えた。
悠人はその背中を見つめながら、自分の中にあった単純な高揚感が、急速にしぼんでいくのを感じていた。
景色が綺麗だから、見せたい。ただそれだけの気持ちで踏み込んでいい場所ではなかったのだと、今更ながらに思い知らされた気分だった。
(――綺麗な景色を見せたい、というだけじゃ、足りないのか)
答えはまだ、どこにも見えなかった。それでも、このまま何もせずに引き下がることも、なぜか悠人にはできそうになかった。
夕暮れの宿へ戻る道すがら、悠人はドルンの言葉を、何度も頭の中で反芻していた。




