第52話 走り出す約束
西の砂丘へは、駱駝で丸一日かかった。
昼の砂は、足の裏を焼くほどの熱を放ち、夜には一転して、肌を刺すような冷気が降りてくる。それでも、悠人たちは、ジールの案内で、迷うことなく砂の海を進んでいった。星の位置と、砂丘の波の向きだけを頼りに歩く彼の背中は、頼もしかった。
翌日の昼、砂丘を越えた先に広がっていた岩場の陰で、一行は足を止めた。
「ここだ」
ジールの声が、わずかに震えていた。
西の砂丘を越えた先、風化した岩肌の陰に、それは静かに眠っていた。
半ば砂に埋もれた、巨大な鉄の車体。長く伸びた流線形の車両は、まるで砂の海を泳ぐ、巨大な蛇のようだった。車体の側面には、複雑な魔法陣が刻まれ、先頭の車両の中心には、大きな結晶が、鈍い光を放っていた。
「これが……魔法の砂漠列車」
悠人は、思わず声を漏らした。想像していた以上の、圧倒的な存在感だった。車輪の代わりに、車体の下には、幅広い板のようなものが、いくつも取り付けられている。砂の上を、滑るように走るための仕組みなのだろう。
フィンは興奮を抑えきれない様子で、車体の隅々まで書き写していく。ジールも、初めて目にするその姿に、目を見開き、そして、そっと車体に手を触れた。
「……じいさんが、よく話してた。この列車に乗って、街まで果物を売りに行ったって。風が、歌ってたって」
ジールの声は、静かだった。冷たい鉄の肌を撫でる指が、微かに震えている。
車内には、砂に半ば埋もれた座席が、整然と並んでいた。窓は、砂で曇っているが、割れてはいない。天井には、星の形に似た金属の飾りが、ずらりと取り付けられていた。
「当時の連中は、随分と洒落た造りを好んだんだな」
フィンが、感心したように呟いた。
だが、詳しく調べていくうちに、問題も見えてきた。中心の結晶には、大きなひびが入っている。
「これじゃ、魔力を十分に蓄えられない。動くには動くだろうが、本調子には程遠いな」
フィンが険しい顔で報告した。
「直せそうですか」
「ひび自体は、応急処置くらいならできるかもしれん。だが、完全に元通りにするには、専門の職人と、質の良い魔石が要る」
その言葉に、悠人はふと思い出した。
「――バルドグラムなら、良質な鉱石を扱ってましたよね」
「そうか、あそこの連中の腕なら、あるいは」
バロックが、商人らしい素早さで頷いた。
「早速、話を持ちかけてみるか。今後の商売にも、悪くない話だ」
昼食に、ライラが持たせてくれた薄焼きのピザを、皆で分け合った。冷めても、香ばしさは失われず、噛むたびに、甘酸っぱい果実と、チーズの塩気が、口の中に広がる。
「うまいな」
ジールが、ぽつりと言った。
「あの街の連中が焼いたピザを、またこうして食える日が来るとは、思ってなかった」
その日は、ひとまず応急の修復に取り掛かることにした。ジールと悠人たちで力を合わせ、ひび割れた部分に、砂漠の民に伝わる古い技法で応急の封じを施していく。粘り気のある樹脂を、細い刷毛で、一筋ずつ、結晶の割れ目に塗り込めていく。
夕暮れ時、結晶がわずかに光を強め、車体全体が、低い唸り声を上げて震え始めた。
「――動いたぞ!」
フィンの声に、皆が息を呑んで見守る中、列車はゆっくりと、しかし確かに、砂の上を滑り出した。ほんの数十メートルほどの、短い試走だった。それでも、長年眠っていた巨獣が、再び目を覚ました瞬間だった。
砂を巻き上げながら進む列車の窓越しに、赤く染まった砂丘が、ゆっくりと流れていく。風が、車体の隙間を通り抜けて、微かな音色を奏でていた。
「……歌ってる」
ジールが、そっと呟いた。その頬を、一筋の涙が伝っていた。
「これが完全に直ったら、街と砂漠の民の集落を、あっという間に行き来できるようになる」
「その日のためにも、一緒に直していきましょう」
悠人がそう言うと、ジールは涙を拭って、力強く頷いた。
数日後、悠人たちは、次なる目的地へと旅立つ準備を整えていた。
「俺は、ここに残るよ。この列車を、ちゃんと動くようにするまではな」
見送りに来たジールが、そう言って笑った。
「族長にも、街の連中にも、まだまだ言うべきことが山ほどある。忙しくなりそうだ」
「また、いつか」
「ああ。次に会う時は、この列車に乗せてやる」
乾いた風が吹き抜ける中、悠人たちは、少しずつ甦り始めた砂の国を後にした。
水を分け合い、共に技術を掘り起こした、この国での日々。それは、悠人にとっても、忘れがたい旅の一幕になった。




