第51話 眠れる巨獣
水の融和が始まってから数日、ヴァディアの市場には、少しずつ活気が戻り始めていた。
街の品と、砂漠の民が持ち込む織物や香辛料が、並んで売られる光景は、以前には考えられなかったものだという。色鮮やかな染め布が、風にひらひらと揺れ、クミンやシナモンに似た香りが、広場いっぱいに漂っていた。
広場の一角では、ライラのピザ屋台に、長い行列ができていた。窯の火は絶えることなく赤々と燃え、板の上には、砂漠の民から仕入れ直した、とれたての果実と山羊のチーズが、山のように積まれている。
「ほら、いつもの。熱いから、気をつけてね」
ライラが、焼きたてのピザを、列に並んでいた砂漠の民の老人に手渡した。老人は、うやうやしくそれを受け取ると、一口かじって、目を細めた。
「……ああ、この味だ」
その光景を、隊長が、少し離れた場所から、感慨深げに眺めていた。
「まさか、また同じ市場で肩を並べる日が来るとはな」
悠人がその様子を見ていると、市場の隅で、年老いた砂漠の民の女性が、子供たちに囲まれて、興味深い話をしているのが耳に入った。
「――昔は、この砂漠にも、巨大な列車が走っていたんだよ」
「列車、ですか」
悠人が思わず尋ねると、老女は懐かしそうに目を細めた。
「魔力で動く、鉄の巨獣さ。砂走りって呼んでね。オアシスとオアシスを、あっという間に繋いでくれたもんだ。あれに乗ると、風の音が、歌に聞こえたもんさ」
「その列車、まだ残っているんですか」
「さあねえ。戦争で使われなくなって、今じゃ、砂に埋もれちまってるがね。動くかどうかは分からないよ。でも、遺跡は今も、西の砂丘の奥にあるはずさ」
その話を聞いて、悠人の中で、何かが強く疼いた。
「――魔法の砂漠列車、ですか。ロマンがありますね」
「相変わらず、そういう話に目がないな、お前は」
リゼットが呆れたように言いつつも、まんざらでもなさそうな顔をしていた。
「列車、か」
バロックが、顎に手を当てて、にやりと笑った。
「もしそいつが動くなら、荷の運び方が、根本から変わるぞ。駱駝で何日もかかる道のりが、一日で済むんだからな。新鮮な果実もチーズも、傷まないうちに、遠くの街まで届けられる」
商人らしい目が、きらりと光る。その視線の先には、すでに、まだ見ぬ荷の山が見えているようだった。
「地図も、描き直しだな。砂漠の距離感が、まるごと変わる」
フィンも、目を輝かせていた。
その夜、悠人はジールを訪ね、遺跡の話を伝えてみた。砂丘の上で、二人並んで腰を下ろす。遠くでは、天幕の焚き火が、小さく瞬いていた。
「――知っている。昔、族長たちがよく話していた」
ジールは意外にも、詳しい様子だった。
「あの列車が動いていた頃は、砂漠の民も、街の民も、もっと自由に行き来できていたらしい。だが、動かし方を知る者は、もうほとんど残っていないはずだ」
「見に行ってみたいです。もし直せるなら、街と砂漠の民を繋ぐ、新しい絆になるかもしれません」
ジールはしばらく考え込んでいたが、やがて小さく頷いた。
「――俺も、同行しよう。族長の許可も、取っておく」
「本当ですか」
「水路の件では、世話になったからな。それに」
ジールは、どこか照れくさそうに続けた。
「あんたらのやることは、退屈しなさそうだ」
ジールは、そう言って、ぷいと砂丘の向こうへ視線を逸らした。その横顔には、初めて会った夜の険しさは、もう残っていなかった。
翌朝、悠人たちは、水と食料を、念入りに準備した。ライラが、旅の弁当にと、冷めても美味しい薄焼きのピザを、人数分、包んでくれた。
「無事に帰ってきたら、もっと美味しいのを焼いて、待ってるから」
「ありがとうございます。楽しみにしてます」
悠人が受け取った包みは、まだ、ほんのりと温かかった。リゼットが、その包みを、ちらりと横目で見ながら言った。
「……お前、また食い物で懐柔されてるぞ」
「懐柔というか、純粋に嬉しいんです」
「分かってる。そういうところだよ、お前は」
リゼットは、呆れたように笑って、先に歩き出した。
こうして、悠人たち一行に、ジールを加えた面々が、西の砂丘へと向けて出発することになった。
砂の中に眠る、かつての絆の象徴。それを掘り起こす旅が、始まろうとしていた。




