第50話 同じ水を分けて
数日後、水路の入り口――あの壁画のある場所で、話し合いの場が設けられることになった。
隊長をはじめとする街の代表と、ジールに連れられてきた砂漠の民の族長。両者の間には、張り詰めた空気が流れていた。双方の後ろには、それぞれ、数人ずつの者たちが控え、互いの出方を、じっと窺っている。
「――随分と、勝手な真似をしてくれたものだな」
族長は、まず苦々しげにそう切り出した。フードの奥の目には、深い疲労と、消えない不信の色が滲んでいた。
「水を独り占めしておいて、今さら手を組めというのか」
「独り占めするつもりなど、なかった」
隊長も、負けじと言い返した。
「水路が崩れて、皆で生き延びるだけで精一杯だったんだ。あんたらだけを、狙って苦しめたわけじゃない」
「その『精一杯』のせいで、我らの子供が、何人死んだと思っている」
その一言に、広場が、しんと静まり返った。族長の声は、低く、押し殺されていたが、そこには、抑えきれない痛みが滲んでいた。
「……」
隊長は、返す言葉を失ったように、唇を噛んだ。街側の後ろに控えていた者たちの中にも、俯く者がいた。
険悪な空気が漂う中、悠人は静かに、あの壁画の写しを二人の前に広げた。
「これを、見ていただけますか」
族長は、しばらく無言でその絵を見つめていた。やがて、震える声で呟いた。
「――この衣装は。我らの祖先の、装束だ」
「水路の奥に、こんな絵が残っていたんです。昔、皆さんのご先祖と、街の方々のご先祖が、一緒にこの水路を作ったんだと思います」
族長は、深いため息をついた。
「そういえば、幼い頃、祖母から聞いた話がある。かつて、砂漠の民と、この街の民は、同じ井戸を分け合う、兄弟のような間柄だったと」
「今の状況からは、信じがたい話だがな」
隊長がぼそりと呟いた。だが、その声に、以前ほどの刺々しさはなかった。
「戦争が、多くのものを壊した。信頼も、その一つだったんだろうな」
悠人は、二人の様子を見守りながら、静かに口を開いた。
「水路は、もう直りました。以前ほどではないにせよ、水量にも余裕が出ています。今なら、また分け合うことができるはずです」
「――簡単に、信じられる話ではない」
族長がそう漏らすと、ジールが横から口を挟んだ。
「族長、俺も同じ気持ちです。でも、あの若造は、命懸けで水路の魔物と戦ったと聞いています。少なくとも、口先だけの男には見えません」
しばらくの沈黙の後、族長は重い口を開いた。
「――試しに、ということでいい。以前の配分に、すぐに戻せとは言わん。まずは、少しずつ、様子を見ながら分け合う形からだ」
「それで構わない」
隊長も、静かに頷いた。
「それと、一つ、提案がある」
隊長が、続けた。
「水路の見回りは、今後、街の者と砂漠の民の者で、共に行わないか。互いの目で、水の量を確かめ合えば、疑い合うこともなくなるだろう」
「……共に、か」
族長は、しばらく考え込んだ後、ジールの方に視線を向けた。
「ジール。お前が、最初の見回りに行け」
「俺が、ですか」
「お前なら、街の者とも、まだ口が利けるだろう」
ジールは、少し照れくさそうに、しかし、はっきりと頷いた。
その時、広場の入り口から、香ばしい匂いが漂ってきた。見ると、街の広場でピザを焼いていた、あの女性が、大きな板を抱えて、駆けつけてくるところだった。
「あの、これ、皆さんで食べてください。ちょうど、焼きたてなんです」
ライラと名乗ったその女性は、板の上に載ったピザを、両陣営の真ん中に置いた。熱々のチーズが、ぷつぷつと泡を弾けさせている。上に載った、干した果実と山羊のチーズは、昔、砂漠の民が街に納めていたものだった。
「この果実とチーズ、本当は、あなたたちから、また仕入れさせてほしいんです。もう一度、昔みたいに」
その言葉に、族長は、はっと目を見開いた。
「……お前たちの窯の火が、まだ、燃えていたのか」
「燃やし続けてましたよ。細々とですけど」
ライラは、涙ぐんだ笑顔で言った。族長は、しばらく黙っていたが、やがて、無言でピザを一切れ、手に取った。一口かじると、深い皺の刻まれた目元が、微かに緩んだ。
「……懐かしい味だ」
完全な和解には、まだ程遠いだろう。積み重なった不信は、そう簡単には消えない。
それでも、二人は、確かに同じ場所に立ち、同じ水路を見つめ、同じピザを分け合っていた。
それだけで、十分な一歩だと、悠人は思った。




