第49話 共に築いたもの
瓦礫の奥から現れたのは、砂色の甲殻に身を包んだ、巨大な蠍型の魔物だった。
「厄介そうだな、その尻尾」
リゼットが警戒しながら距離を取る。太い尾の先には、鋭い毒針が禍々しく光っていた。
「悠人、フィン、下がってろ!バロックも、荷物纏めて隅に寄れ!」
狭い水路の中での戦闘は、これまでにない緊張を強いられた。天井が低く、剣を大きく振れば、石壁に当たってしまう。リゼットは、水路の縁を蹴り、壁を伝って、魔物の背後へと回り込んだ。悠人は、足元の砂利を掴んで投げつけ、魔物の注意を逸らす。
幾度かの攻防の末、リゼットの一撃が、ようやく魔物の急所を捉えた。断末魔の叫びと共に、魔物は崩れ落ちるように動かなくなった。
「――終わったか」
肩で息をしながら、リゼットが剣を鞘に収めた。
松明を掲げて、魔物のいた奥を照らす。そこには、天井の石組みが大きく崩れ落ち、水路の幅いっぱいに、瓦礫が積み重なっていた。大小の石と砂が、湿った粘土で固まり、水は、その隙間から、細く染み出しているだけだった。
「これは、ひどいな」
フィンが、崩れた天井を見上げて眉をひそめた。
「迂闊に石を抜けば、上の石組みが、まとめて落ちてくる。まず、支えを作らないと」
「それなら、任せろ」
バロックが、荷馬車から降ろしてきた荷を解いた。中から出てきたのは、太い縄と滑車、そして、頑丈な木の角材だった。
「行商には、何が必要になるか分からんからな。備えあれば、ってやつだ」
「助かります」
悠人たちは、まず、崩れかけた天井の下に、角材を何本も立てて、支えを組んでいった。フィンが石組みの癖を読み、どこを支えれば崩れないかを、的確に指示する。リゼットが、重い角材を肩に担いで、所定の位置に据えていった。
支えが組み終わると、いよいよ瓦礫の撤去が始まった。
上の方の小さな石から、一つずつ手渡しで運び出す。悠人たちは、水路の通路に一列に並び、石を籠に入れ、隣へ、また隣へと、受け渡していった。籠は、次々と通路の奥へ運ばれ、空けられては、また戻ってくる。
砂と粘土は、水を含んで、驚くほど重かった。悠人の腕は、すぐに悲鳴を上げ、手のひらには、水ぶくれができて、じわりと破れた。それでも、手を止めるわけにはいかなかった。
「無理するな、少し休め」
リゼットが、悠人の隣で、黙々と巨大な石を転がしながら言った。
「大丈夫です。まだ、いけます」
「……お前の大丈夫は、当てにならないんだ」
そう言って、リゼットは、悠人の籠を、さりげなく半分、自分の方へ引き取った。
大きな岩は、縄と滑車の出番だった。バロックが縄を石に回し、リゼットとフィンと悠人が、掛け声に合わせて、一斉に引く。岩が、ずず、ずず、と地面を擦りながら、少しずつ動く。
「せーの!」
幾度目かの掛け声で、最後の大きな岩が、ごろりと転がった。その瞬間、岩の隙間から、細かった水の流れが、ごぼりと音を立てて、勢いよく溢れ出した。
「出た……!」
悠人が思わず声を上げた。透き通った水が、水路を満たしながら、ゆっくりと、しかし確かに流れ始める。水音が、地下の空間に、柔らかく反響した。
数時間に及ぶ作業の後、誰もが泥と砂にまみれ、その場にへたり込んでいた。それでも、その顔には、疲労を越えた笑みが浮かんでいた。
やがて、水の流れが落ち着いた頃、悠人は、壁の方に目を向けた。流れ出した水が、壁に積もった泥を洗い流し、その下から、何かの模様が、浮かび上がってきている。
「これは……」
石壁には、古い時代の意匠で、人間と、フードを被った砂漠の民らしき人々が、共に水路を掘り進める様子が刻まれていた。互いに道具を手渡し、笑い合っているような、穏やかな表情まで描かれている。
「――昔は、一緒に作ったものだったんですね、この水路」
悠人が呟くと、フィンが興奮した様子で壁画を写し取り始めた。
「間違いない。この水路は、街の民と砂漠の民が、共同で築き上げたものだったんだ」
「今の対立からは、想像もつかない話だな」
バロックが、感慨深そうに壁画を見上げた。
悠人は、その壁画をじっと見つめながら、静かに考えを巡らせた。
(――これを見せたら、何かが変わるかもしれない)
憎み合う理由も、確かに存在する。だが、それ以上に長い時間、共に生きてきた歴史もまた、確かにここにあった。
「この壁画のことを、街の人にも、砂漠の民にも、伝えるべきだと思います」
「そうだな。俺も、そう思う」
リゼットが珍しく、迷いのない声で頷いた。
水路を戻る道すがら、勢いを取り戻した清らかな水の流れが、松明の灯りに美しく反射していた。
地上に出ると、待ち構えていた隊長が、水路から流れ出す水の量に、驚いたように目を見開いた。
「これは……本当に、直ったのか」
「はい。それと、もう一つ、お伝えしたいことがあります」
悠人は、フィンが写し取った壁画の写しを、静かに差し出した。
隊長は、それをしばらく見つめた後、言葉を失ったように立ち尽くしていた。
乾いた国に、小さな、しかし確かな変化の種が蒔かれた瞬間だった。




