第46話 乾いた国
砂の国シャムサールへの道のりは、これまでのどの旅よりも過酷だった。
照りつける太陽、果てしなく続く砂丘。遠くの地平線では、空気が揺らぎ、ありもしない湖が、ちらちらと浮かんでは消えた。フィンの地図にも、この先はほとんど記載がなく、道と呼べるものすらおぼろげだった。
「水は、計画的に使えよ。ここから先は、補給が利かない」
道中で調達した駱駝の手綱を引きながら、リゼットが念を押した。悠人は、喉の渇きよりも先に、肌を刺すような日差しの強さに驚いていた。汗は出た端から蒸発し、唇は、あっという間にひび割れていく。
二日目の午後には、突然、地平線の彼方に、黄色い壁のような砂嵐が現れた。一行は、駱駝を座らせ、その陰に身を伏せて、嵐が過ぎ去るのを待った。耳元で、砂が唸りを上げて通り過ぎていく。
「……生きた心地がしませんでした」
「これくらいで音を上げてたら、この先、持たんぞ」
そう言いながらも、リゼットは、悠人の肩に積もった砂を、さりげなく払ってくれた。
数日をかけて辿り着いたのは、砂漠の中にぽつりと浮かぶ、オアシス都市ヴァディアだった。
遠目には、緑豊かな楽園のように見えたその街も、近づくにつれ、また違った顔を見せた。
街の中心にある大きな井戸の周りには、武装した見張りが立ち、水を汲む人々が、長い列を作って順番を待っている。
「――随分と、物々しい雰囲気だな」
フィンが小声で呟いた。
水を分けてもらおうと近づいた悠人たちに、見張りの一人が鋭い視線を向けた。
「旅の者か。悪いが、水の配給は決まった量しか出せない」
「そんなに、水が貴重なんですか」
「戦争前は、もっと余裕があったんだがな」
見張りは、警戒を解かないまま、ぼそりと語った。
「砂漠の民との間で、水源を巡ってひと悶着あってな。それ以来、井戸の管理は厳しくせざるを得ない」
「砂漠の民、というと」
「遊牧の民さ。昔は、俺たちと水を分け合って暮らしてたんだが……。まあ、詳しい話は、そう簡単にできる話じゃない」
それ以上は、多くを語ろうとしなかった。
街の広場を歩いていると、市場と呼ぶにはあまりに寂しい、品数の少ない店先が目についた。かつては隊商で賑わっていたであろう痕跡が、ところどころに残っている。
「これは、また骨が折れそうな話だな」
バロックが、商人らしい視点で市場を見渡しながら呟いた。
夕暮れ時、広場の片隅で、香ばしい匂いが漂ってきた。粘土を固めて作った大きな窯が、赤々と火を宿している。窯の前では、中年の女性が、長い木の板を操りながら、薄く伸ばした丸い生地を、次々と窯の中へと滑り込ませていた。
「いらっしゃい。旅の人かい」
「その、焼いているのは?」
「ピザさ。この街の名物だよ」
女性は、窯から取り出したばかりの一枚を、板ごと悠人に差し出した。薄い生地の縁は、こんがりと膨らみ、上には、干した果実と、山羊の乳で作ったチーズ、乾燥させた香草が、たっぷりと載っている。熱々のチーズが、ぷつぷつと小さな泡を弾けさせていた。
一口かじった瞬間、悠人は目を見開いた。パリッとした生地の香ばしさ、チーズの塩気、そして、干した果実の濃い甘みが、口の中で鮮やかに混ざり合う。
「――美味しい。何ですか、この組み合わせ」
「甘いのとしょっぱいのを一緒に載せるのが、昔からのやり方さ。砂漠じゃ、汗をかくから、塩気も糖分も要るんだよ」
女性は、少し寂しそうに笑った。
「ただね、最近は、小麦も水も足りなくて、一日に焼ける枚数が、昔の半分以下なんだ。窯の火も、時々、絶やしたくなっちまうよ」
リゼットとフィンも、黙々とピザを頬張りながら、無言で頷いていた。
その夜、宿の窓から見た砂漠の夜空は、悠人がこれまで見たどの星空よりも澄み渡っていた。満天の星の下、遠くの砂丘の稜線に、ちらりと人影らしきものが動くのが見えた気がした。
(――あれが、砂漠の民、なのかもしれない)
水を巡る対立。それがどれほど深いものなのか、悠人にはまだ、想像することしかできなかった。
それでも、この乾いた国にも、きっと何かできることがあるはずだと、悠人は静かに思いを巡らせていた。




