第41話 崩れた峡谷道
「――このあたり、地図上じゃ普通の街道のはずなんだがな」
バルドグラムを出て二日、フィンが持参の地図と、目の前の光景を見比べながら唸った。
切り立った断崖が左右から迫る峡谷を、細い街道が縫うように続いている。
見上げれば、空は細い帯のようにしか見えない。足元には、谷底を流れる川の水音が、重たく反響していた。
その道は、行く手で大きく崩れた岩盤に阻まれ、荷馬車どころか、人が一人通るのもやっとという有様だった。
「戦争の余波か、それとも単に手入れ不足か。どっちにせよ、これじゃポルテナとバルドグラムを行き来する商隊なんて、まず通れないな」
「俺の荷馬車も、随分と遠回りを強いられてたわけだ」
バロックがうんざりしたように肩をすくめた。荷台には、岩鳴りの樽が、ずらりと積まれている。崩落した岩に挟まれでもしたら、一大事だった。
崩れた岩の隙間を悠人が覗き込むと、奥の暗がりから、複数の光る目がこちらを見返してきた。
「――魔物ですね」
「岩場に巣食う、群れで動くタイプだな。厄介だが、数さえ把握できれば、大したことはない」
リゼットは冷静に剣を抜くと、フィンに向かって指示を出した。
「フィン、お前は下がってろ。バロックも、荷物纏めて距離を取れ」
「言われなくても分かってるさ」
リゼットが先陣を切って岩陰に踏み込むと、複数の魔物が一斉に飛び出してきた。鋭い牙を持つ、犬に似た魔物の群れだった。
「悠人、隙間から回り込む奴を頼む!」
「分かりました!」
悠人は戦闘の中心には立たず、リゼットが崩した敵の退路を塞ぐ役に徹した。かつてポルテナで見た戦いぶりとは違い、今の連携には、迷いのない呼吸の合わせ方があった。リゼットの髪には、あの銀色の木の葉が、戦いの最中でも、かすかに光っている。
しばらくの攻防の末、群れは統率を失い、散り散りに逃げていった。
「――終わったか」
リゼットが剣を鞘に収めながら、額の汗を拭った。
「魔物を狩ること自体が目的じゃない。あくまで、道を通すための手段だ」
「はい。よく分かってます」
悠人がそう答えると、フィンが崩れた岩盤を見上げながら口を開いた。
「魔物は追い払えたが、この崩落自体は、俺たちだけじゃどうにもならんぞ。土木の専門家が要る」
「バルドグラムに、頼めないでしょうか。あそこなら、岩の扱いには慣れてるはずです」
「なるほどな。渡りに船ってやつか」
バロックが顎に手を当てながら頷いた。
「戻って、ゴルドの旦那にでも相談してみるか。ちょうど、あそこの若い連中も、腕試しの場を欲しがってた頃合いだろう」
その夜、一行は、峡谷の少し開けた場所で野営をすることにした。焚き火を囲み、フィンが、懐から、油紙に包んだ小さな包みを取り出した。
「最後の一切れだ。エルフの婆さんのパイ。保存の魔法が、まだ効いてるらしい」
「いつの間に、残してたんですか」
「大事に食べてたんだよ。お前らみたいに、一気に食うのが勿体なくてな」
フィンは、パイを四つに割って、皆に配った。一口かじると、甘酸っぱい果実の香りが、冷えた夜の空気の中に、ふわりと広がった。
「……美味いな、やっぱり」
リゼットが、ぽつりと呟いた。ふと、フィンが、にやりと笑って彼女の髪を指差した。
「その髪留め、似合ってるじゃないか」
「うるさい。つけてるだけだ」
「別に何も言ってないだろ」
顔を赤くして背を向けるリゼットを、悠人は不思議そうに眺めていた。
夜が更けると、峡谷には、風の音と、遠くを流れる川のせせらぎだけが響いていた。バロックは、荷馬車の樽を大事そうに撫でながら、早々にいびきをかき始めている。悠人は、一人で、焚き火の火を見守っていた。
「眠れないのか」
リゼットが、毛布を肩にかけたまま、隣に腰を下ろした。
「少し、考え事を。この道が繋がったら、どんな景色になるんだろうな、って」
「……お前は、いつもそうだな。先の景色ばっかり見てる」
「リゼットさんは、見えませんか?」
「見えないわけじゃない。ただ、俺は、足元を見るので精一杯なんだ」
リゼットは、焚き火の炎を見つめたまま、小さく笑った。その横顔を、悠人は、ほんの少しだけ、綺麗だと思った。
悠人は、峡谷の向こうに続くはずの道を見つめた。
三つの街を、実際に繋げるという仕事は、思っていた以上に、地道な積み重ねになりそうだった。
それでも、確かに一歩ずつ、道は開かれていく。
悠人はそう信じて、翌朝、来た道を引き返した。




