第4話 港町ポルテナ
五日間の荷馬車旅を終え、悠人が降ろされたのは、緩やかな坂道の上だった。
「ここから先は歩きだ。俺はこっちで別の仕事があるんでね」
商人はそう言うと、悠人に軽く手を振って、来た道とは別の方向へ荷馬車を進めていった。
礼を言って見送ると、悠人は坂の下に広がる景色に目をやった。
潮の匂いが、ふわりと鼻をかすめる。
その懐かしさに一瞬顔がほころびかけたが、すぐに違和感に変わった。
潮風に混じって、どこか湿った、寂れた匂いも漂ってきたからだ。
港には、ぽつぽつと小舟が浮かんでいるだけで、活気と呼べるようなものはどこにもない。
桟橋の半分は朽ちて崩れ落ち、通行できないよう縄が張られている。
かつて市場だったのだろう広場には、板を打ち付けられたままの屋台がずらりと並び、開いている店の方が少なかった。
遠くに見える白い灯台も、上部が欠けたまま、寂しげに海を見下ろしている。
(想像していた「港町」とは、だいぶ違うな)
坂を下りながら、悠人はゆっくりと町の中を歩いた。
人影は少ない。すれ違うのは、荷物を背負って俯きがちに歩く老人か、痩せた野良猫くらいのものだ。
時折すれ違う住人たちは、旅人姿の悠人を見ると、一瞬だけ視線を向け、すぐに逸らして通り過ぎていく。
朽ちかけた商店の看板には、かろうじて「乾物屋」の文字が読み取れた。
扉の隙間から中を覗くと、埃をかぶった木箱がいくつも積まれたまま、誰も出入りしていない様子だった。
かつては、この通り全体に、威勢のいい売り声が響いていたのだろう。
想像すると、今の静けさが、余計に重く感じられた。
壊れた漁具小屋の陰で、一人の老漁師が黙々と網を繕っているのが見えた。声をかけてみる。
「すみません、この辺りは以前から、こんな様子なんですか」
老漁師は手を止め、じろりと悠人を見上げた。
「見りゃ分かるだろう。戦時中、船はほとんど徴用されちまってな。輸送やら何やらに使われて、そのまま戻ってこなかった船が半分以上だ」
「船が、戻ってこない……」
「乗ってた連中もな」
その一言に、悠人は言葉に詰まった。
老漁師は再び網に視線を落とし、ぼそりと付け加えた。
「戦は終わった終わったって、王都の連中は喜んでるらしいが。ここいらにゃ、まだ何一つ終わっちゃいねえよ」
「今も、漁は続けてるんですか」
「続けてるも何も、それしか能がねえからな。ただ、船が足りねえから、獲れる量なんて、昔の半分にも満たねえよ」
「船を新しく用意することは、できないんですか」
「言うほど簡単じゃねえよ。木材も、船大工の腕も、金も、何もかも足りちゃいねえ。ないない尽くしさ」
老漁師は、それ以上話す気にはなれないとでも言うように、また網へと視線を戻した。
返す言葉が見つからないまま、悠人はその場を後にした。
日が傾き始め、そろそろ宿を探さなければと思い、通りを進んだ。
看板に「宿」と書かれた建物を見つけたものの、扉には板が打ち付けられ、営業している気配はない。
もう一軒、もう一軒と歩いても、状況は同じだった。三軒目の宿の前で、悠人はさすがに肩を落とした。
(今夜はもしかして、野宿かもしれないな)
途方に暮れかけたそのとき。
路地の奥から、獣の唸り声と、何かがぶつかり合うような鋭い音が響いた。
「――っ!」
思わず駆け寄ると、そこには一人の若い女性が、剣を構えて大型の獣――町を彷徨い込んだらしい魔物と対峙している姿があった。
犬に似た体躯に、鋭い牙と、赤黒く光る目を持つ、見るからに危険な魔物だった。
女性の動きは鋭く、無駄がない。
だが、石畳の隙間に足を取られたのか、獣の爪が彼女の肩をかすめ、体勢が崩れる。
「危ない――!」
悠人が思わず声を上げたその瞬間、女性は歯を食いしばりながら体勢を立て直した。
低い姿勢から踏み込み、剣を一閃。獣はけたたましい悲鳴を上げながら地面を転がり、そのまま低く唸りつつ、路地の奥へと逃げていった。
荒い息を整えながら、女性はゆっくりと振り返り、見慣れぬ旅人姿の悠人を、鋭い目つきで見据えた。
額に汗を滲ませ、肩からはうっすらと血が滲んでいたが、それを気にする素振りすら見せなかった。
「……何だ、お前。見ない顔だな」




