第38話 満月の鍛冶場
満月まで、あと七日。ドルフは、工房の奥にこもったまま、ほとんど姿を見せなくなった。
夜更け、悠人が差し入れのスープを持って様子を見に行くと、工房の床には、丸められた紙や、折れた試作品が、そこかしこに散らばっていた。炉の火は赤々と燃えているのに、ドルフの手は、金床の前でぴたりと止まったままだ。
「……ダメなんです」
ドルフは、悠人の方を見ずに、かすれた声で呟いた。
「飾りを凝らしすぎれば、バルガス様の言う通り、ただの玩具になる。かといって、普通の剣と同じ作りにしたら、ここまでやってきた意味がなくなる」
「……」
「どっちに寄せても、誰かを裏切る気がするんです。バルガス様も、親父も、母さんとの約束も」
ドルフの手のひらには、まだ新しい火傷の痕が、赤く腫れていた。何度も打ち直した刃は、そのたびに、わずかな歪みで失敗に終わったのだという。
悠人は、何も言わなかった。下手な励ましも、安易な助言も、今の彼には必要ない気がした。ただ、スープの椀を、そっと作業台の隅に置いた。
「僕には、鍛冶のことは分かりません。でも、ドルフさんが何を守りたいかなら、少しだけ、分かる気がします」
「……俺が、守りたいもの」
「お母さんとの約束と、お父さんの技と、この街の誇り。全部、同じ場所に繋がっているんじゃないでしょうか」
ドルフは、しばらく黙り込んでいた。やがて、ふらりと立ち上がると、工房の隅の古い道具箱に、手を伸ばした。
「……そういえば、親父の道具箱、ちゃんと見たことなかった」
蓋を開けると、使い込まれた金槌や鑿に混じって、一冊の古びた帳面が出てきた。表紙をめくった瞬間、ドルフの手が止まった。
そこには、花の形や、蔦の模様、山並みの意匠を細かく描き込んだ、無数のスケッチが残されていた。どのページの隅にも、同じ文字が、小さく書き添えてある。
『いつか、あいつに、似合うものを』
「……親父」
ドルフの目から、堪えていた涙が、ぽたりと帳面の上に落ちた。
「親父も、作りたかったんだ。ずっと、こうやって」
悠人は、そっと工房を後にした。戸口に立っていたゴルドが、無言で、ただ深く頷いていた。見守るだけで、手を貸さない。それが、師としての、彼なりの覚悟だった。
そして、満月の夜。街の中央にある大鍛冶場には、街中の鍛冶職人たちが集まっていた。
炉の炎に照らされた広間の中央、緊張した面持ちのドルフが、布に包まれた品を手にしていた。
「――見せてみよ」
バルガスの重々しい声を合図に、ドルフはゆっくりと布を解いた。
現れたのは、一振りの短剣だった。だが、それはただの武具ではなかった。刃には、幾重にも折り重ねられた地金の模様が美しく浮かび上がり、柄には、この街の山並みと、鉱脈の輝きを模した繊細な彫刻が施されている。
「これは……」
居並ぶ職人たちから、思わずどよめきが上がった。
「戦うためだけの道具じゃなく、この街の歴史そのものを、形にしたいと思いました」
ドルフは、震える声ながらも、はっきりとそう告げた。
「刃の強度は、実戦にも耐えうるよう鍛えました。彫刻には、戦争で失われたものと、これから再び築いていくものへの願いを込めています」
バルガスは、無言のまま短剣を手に取り、光にかざした。折り重なった地金の模様を、食い入るように見つめている。
「――この鍛え方は」
「親方――いえ、ゴルド様に、基礎から叩き込んでいただいた技法です」
バルガスは、ゴルドをちらりと見やった。ゴルドは、静かに、しかし確かな自信を持って頷き返した。
「……折れるか、折れんか、試させてもらう」
バルガスは、短剣を金床の上に置くと、重い鎚を振り上げた。広間に、鋭い金属音が響き渡る。一度、二度、三度。誰もが息を呑んで見守る中、刃には、ひび一つ入らなかった。
「折れません。折れないように、鍛えました」
ドルフの声は、かすかに震えていた。
長い沈黙が流れた。
「……見事な仕事だ」
バルガスが、絞り出すようにそう呟いた。その目元が、ほんの少しだけ、潤んでいるように見えたのは、気のせいだったのか。
「武具としての強度も、申し分ない。それでいて、これほどの意匠を凝らせるとはな」
バルガスは短剣をゆっくりと台に置くと、集まった職人たちを見回した。
「この街の技術は、剣を打つことだけが誇りではない。剣を通して、我らの誇りと歴史を語れることこそが、真の誇りだったのやもしれん」
その言葉に、広間がどよめいた。
「若造よ。名は何と言った」
「ドルフです」
「ドルフ。お前の仕事を、この街の新たな伝統の一つとして、正式に認めよう。ただし」
バルガスは、鋭い視線を悠人たちに向けた。
「安易な見世物にすることは、断じて許さん。この街の技を披露するのは、あくまで我ら自身の意志と誇りに基づいてのことだ」
「もちろんです。それ以上を望んだことは、一度もありません」
悠人がそう答えると、バルガスは小さく鼻を鳴らし、それ以上は何も言わずに立ち去っていった。
「――やったな、ドルフ!」
ゴルドが、弟子の肩を力強く叩いた。ドルフの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
鍛冶場に、久しぶりに、誇らしげな歓声が響き渡った。




