第35話 打ち直す
鉱脈の開通を祝う意味も込めて、その夜、ゴルドの工房で簡単な宴が開かれることになった。
工房の奥の蔵から、ゴルドが一抱えもある小さな樽を持ち出してきた。樽の表面には、年月を刻んだ黒ずみが浮かび、古びた焼き印が押されている。
「岩鳴りの古酒だ。戦争が始まった年に仕込んだ樽でな。平和になったら開けようと、取っておいたんだ」
「そんな大事なものを、僕たちが飲んでいいんですか」
「お前らが、坑道を開けてくれたんだ。開けるなら、今夜だろうよ」
栓が抜かれた瞬間、芳醇な麦の香りが、工房いっぱいに広がった。杯に注がれた琥珀色の酒は、とろりと濃く、昨日の若い岩鳴りとは、まるで別物の風格を纏っていた。
一口含むと、焼けるような熱さの奥から、深い甘みと、樽の木の香りが、ゆっくりと立ち上ってくる。
「……美味しい。本当に、美味しいです」
「ほう、人間にも、分かるか」
ゴルドは満足げに、にやりと笑った。
強い酒と、香ばしい炙り肉を前に、ゴルドはいつになく口数が多かった。
「正直、腐ってたんだ、俺たちは」
杯を傾けながら、ゴルドがぽつりと漏らした。
「戦争中は、俺たちの技術が、誰かの命を守ってた。それが誇りだった。だが、戦が終わった途端、必要とされなくなっちまってな」
「今も、誇るべき技術には変わりないと思います」
「そう思いたいがな。農具打ちも大事な仕事だが、正直、物足りなさは拭えん」
その時、隅で黙々と酒を注いでいたドルフが、意を決したように口を開いた。
「――親方。俺、最近作ってるものがあるんです」
ドルフは懐から、あの繊細な髪飾りを取り出した。ゴルドは一瞬、眉をひそめた。
「……こいつは、武具の技術じゃないな」
「はい。でも、同じ金属を打つ技術です。俺、これも、うちの街の誇りになると思うんです」
しばらくの沈黙の後、ゴルドはその髪飾りを手に取り、じっくりと眺めた。大きな節くれだった指が、細い金属の線を、壊れ物を扱うように、ゆっくりとなぞっていく。
「――細かい仕事だ。それに、悪くない」
「本当ですか!」
「勘違いするなよ。武具作りを疎かにしていい理由にはならん」
そう言いながらも、ゴルドの声には、以前のような頑なさはなかった。やがて、彼はぽつりと呟いた。
「お前の母さんの髪留めは、お前の親父が打ったもんだった。あいつも、本当は、こういう細工が好きだったんだ。だが、鍛冶の誇りがどうこうと、結局、一度も表には出さずに、戦で逝っちまった」
「……親父が?」
「ああ。俺の、一番の友だった」
ドルフが、目を見開いた。ゴルドは、手の中の髪飾りを見つめたまま、静かに続けた。
「お前を弟子にしたのは、あいつの頼みだったからだ。だが、それ以上に、お前が、あいつの目をしてやがるからだ」
工房に、重い沈黙が落ちた。炉の火が、ぱちぱちと小さくはぜている。
悠人は、その様子を見ながら、静かに言葉を添えた。
「戦うための道具だけが、人を守るわけじゃないと思うんです。誰かの記念になる品や、旅の思い出になる品も、また別の形で、人の心を守るものになるんじゃないでしょうか」
ゴルドは、しばらく黙って悠人を見つめていたが、やがて豪快に笑い出した。
「お前、口だけは達者だな。だが……嫌いじゃない、そういう考え方は」
「じゃあ」
「試作くらいは、許してやる。ただし」
ゴルドは、ドルフに向けて指を突きつけた。
「うちの技術の看板を背負う以上、半端な仕事は許さんぞ。本気で打ち込め」
「はい……!ありがとうございます!」
ドルフの顔が、これまで見た中で一番明るく輝いていた。目の端には、うっすらと涙が滲んでいる。
その夜遅く、宿への帰り道で、リゼットが愉快そうに笑った。
「あの頑固親方が、随分と丸くなったもんだな」
「少しずつ、なんだと思います」
悠人はそう答えながら、夜空に瞬く星を見上げた。
「それにしても」
リゼットが、少し頬を赤らめたまま、ふらりと足を止めた。古酒を、少し飲みすぎたのかもしれない。
「お前は、いつも、誰かの背中を押すのが上手いな」
「そうですか?自分では、よく分からないんですが」
「……そうだよ。自分じゃ、分からないんだ、お前は」
リゼットは、それ以上は何も言わず、少し早足で、宿の方へ歩き出した。その背中を見送りながら、悠人は「酔っているのかな」と、首を傾げていた。
この街にも、ゆっくりとだが、確かな変化の兆しが差し込み始めていた。




