第32話 鉄の匂いのする街
地下都市バルドグラムへの道は、これまでのどの目的地とも違っていた。
森を抜けてから三日、街道は次第に上り坂となり、周囲の景色は、緑から灰色の岩肌へと移り変わっていった。
吹き抜ける風は乾いて冷たく、遠くから、重たい鉄を打つような低い音が、地面を伝って微かに響いてくる。
街道の先に現れたのは、切り立った岩山にぽっかりと空いた、巨大な門だった。分厚い鉄の扉には、精緻な紋様が刻まれ、その奥からは、絶え間なく金属を打つ音が響いてくる。
「これは……圧巻ですね」
悠人が見上げるようにして呟くと、フィンも興奮を隠せない様子で頷いた。
「地下都市の入り口は、地図でしか見たことがなかった。まさか、実物を拝めるとはな」
門番のドワーフに事情を話すと、意外にもあっさりと中に通してもらえた。
「客なら歓迎するさ。今どき、律儀に金を落としてくれる旅人なんぞ、珍しいからな」
その言葉通り、都市の中に足を踏み入れると、外の世界とはまるで違う光景が広がっていた。岩壁をくり抜いて作られた通りには、鍛冶場の炉の明かりが等間隔に灯り、金属を打つ乾いた音が絶え間なく反響している。空気は熱を帯び、炭と鉄の匂いが、鼻の奥まで染み込んでくるようだった。
だが、活気があるかと言えば、決してそうとは言い切れなかった。
通りの半分ほどの工房は、火を落としたまま静まり返っている。以前は賑わっていたであろう市場も、並ぶ品数はまばらだった。
「――戦争が終わった途端、武具の注文がぱったりと止まっちまってな」
案内を買って出てくれた、恰幅の良いドワーフの職人が、ため息交じりに教えてくれた。名をゴルドといい、この街でも指折りの鍛冶師なのだという。
「戦時中は、あちこちの国から武具の注文が殺到してた。だが、平和になった途端、これだ。腕のいい職人ほど、暇を持て余してる」
「今は、何を作っているんですか」
「農具やら、日用品やら。まあ、それはそれで大事な仕事だがな」
ゴルドはそう言いながらも、どこか物足りなさそうな顔をしていた。
通りの角を曲がったところに、大きな樽がいくつも積み上げられた酒場があった。看板には、「岩鳴り亭」とある。店先では、数人のドワーフが、昼間から大きな木の杯を傾けていた。
「ここの酒は、この街の名物だ。地下の岩清水と、山の麦だけで仕込む。名は『岩鳴り』。一口飲めば、岩が鳴るほど喉が焼けるって話でな」
「それは、是非飲んでみたいです」
「やめとけ。お前みたいなひょろい人間は、一杯で倒れる」
ゴルドはそう言って笑ったが、その目の奥には、どこか寂しげな色が宿っていた。
「戦時中は、樽が足りなくなるほど売れた。兵隊どもが、気合を入れるのに、強い酒を欲しがったからな。今じゃ、蔵に売れ残った樽が、山積みさ」
酒場の奥を覗くと、薄暗い蔵の中に、埃をかぶった樽が、ずらりと並んでいるのが見えた。
通りを進むうちに、悠人はふと、鍛冶場の奥に飾られた見事な武具の数々に目を奪われた。
「これ、売り物なんですか」
「いや、あれは飾りだ。我らの技術の証さ」
悠人が感嘆の声を上げると、ゴルドは満更でもなさそうな顔をした。
「見せてもらうこと、できませんか。この街の鍛冶場や、鉱山を」
その一言に、ゴルドの表情が急に険しくなった。
「――見世物にする気か」
「いえ、そういうつもりでは」
「うちの技術は、見て楽しむための代物じゃない。命を守り、生活を支えるための、誇りある仕事だ」
ゴルドはそれだけ言うと、不機嫌そうに背を向けてしまった。
悠人は、その背中を見つめながら、これまでの町とはまた違う種類の壁を、静かに感じ取っていた。
「あの人、怒ってましたよね」
「怒ってるというより、傷つけられたって顔だったな」
リゼットが、ゴルドの去った方角を見やりながら言った。
「自分たちの仕事を、軽く見られたくないんだろう。ポルテナのドルンと、少し似てる」
「……確かに、そうですね」
悠人は、自分の言葉選びの甘さを、静かに反省した。見て楽しむ、という考え方自体が、この街の人々にとっては、誇りを傷つけるものになりうる。その距離感を、見誤ってはいけない。
炉の赤い明かりが、岩壁に揺れる影を落としていた。その影は、街の静かな誇りと、見えない傷の両方を、そっと映しているように思えた。




