第31話 小さな灯り
祭りの翌日、悠人は長老に面会を申し出た。
「一つ、ご相談したいことがあります」
「聞こう」
広間には、昨夜の祭りの名残の光る蔓が、まだ壁に垂れ下がっていた。長老は、疲れの残る顔で、しかし穏やかに悠人を見据えている。
「森の境界の辺りに、あの祭りの舞台のような、小さな見晴らし台を作れないでしょうか。森の奥に踏み込むのではなく、外から森の美しさを眺められる場所として」
長老は眉根を寄せた。
「――余所者を招き入れる仕組みを、作れということか」
「いえ、まずはこの森の人たちのための場所として、です。エルフの皆さんが、自分たちの森を、あらためて誇りに思える場所になればと」
悠人は慎重に言葉を選んだ。
「その上で、もしいつか、信頼できる旅人が現れたときにだけ、皆さんの判断で、その場所を見せてあげられたら。それで十分だと思っています」
長老はしばらく黙り込んでいたが、やがて小さく息を吐いた。
「――一足飛びに、何もかもを変えるつもりはない。だが、その提案は、悪くないように思う」
「ありがとうございます」
「約束はできん。まずは、森の者たちだけの場所として、様子を見ながら考えよう。それと」
長老は、少しだけ言いよどんだ。
「あのパイを、旨いと言ってくれたそうだな。祭りの屋台の、あの女は、我の妹だ。昨夜は、随分と機嫌が良かった」
「そうだったんですか」
「あれも、我と同じで、人間を許せずにいた。だが、お前の言葉が、少しばかり、堪えたらしい」
それは、決して大きな一歩ではなかった。それでも、あの日、頑なに人間を拒んだ長老の口から出た言葉としては、十分すぎるほどの変化だった。
出立の朝、セレアが見送りに来てくれた。その後ろには、あの屋台の女性――長老の妹も、無言で立っていた。
「本当に、行っちゃうんですね」
「また、必ず戻ってきます。見晴らし台が、どうなったかも見てみたいので」
「約束ですよ」
セレアは少し寂しそうに笑うと、ふと真剣な顔になった。
「私、いつか、外の世界も見てみたいんです。すぐには無理だと思いますけど、いつか」
「その時は、僕が案内しますよ」
悠人がそう答えると、セレアは嬉しそうに頷いた。
「……ほら」
長老の妹が、ぶっきらぼうに、布に包んだ大きな包みを、悠人に突き出した。ほのかに、焼きたてのパイの香りがする。
「道中で食べな。あたしのパイが、途中で腐らないように、ちゃんと保存の魔法もかけてある」
「こんなに……ありがとうございます」
「礼はいい。ただし、また食べに来るんだよ。次は、もっと美味い奴を焼いといてやる」
そう言って、女性はぷいと背を向けた。その背中が、少しだけ、震えているように見えた。
森を出る道の途中、森の外れの、木々がまばらになる辺りで、悠人たちは足を止めた。そこには、昨日まではなかった、小さな石が一つ、ひっそりと置かれていた。傍らには、灯りを灯した小さな籠が、風に揺れている。
「……人間たちの、墓標か」
リゼットが、静かに呟いた。
悠人は、その石の前に膝をつき、手を合わせた。リゼットも、しばらく黙って立ち尽くしていたが、やがて、悠人の隣に並んで、深く頭を下げた。
「人間の代わりに、詫びておく」
それは、ほとんど聞き取れないほどの、小さな声だった。
森を抜け、街道を歩き始めた一行に、リゼットが振り返りながら口を開いた。
「――結局、森全体が変わったわけじゃないんだよな」
「はい。それでも」
悠人は、遠ざかっていく巨木の連なりを見上げた。
「凍っていたものが少し溶けた、って長老さんは言ってました。それだけで、十分だと思うんです」
フィンが地図に、新しく書き加えた森の輪郭を見つめながら、満足げに頷いた。
「さて、次はどこへ向かう?」
「地下都市バルドグラム、でしたね」
「ドワーフの国か。あそこも、なかなか難しい相手だという噂だぞ」
リゼットの言葉に、悠人は思わず笑みをこぼした。
「望むところです」
まだ見ぬ土地への期待を胸に、一行は次なる旅路へと歩みを進めた。手にした包みから、パイの甘い香りが、ふわりと立ちのぼっていた。




