第28話 泣く精霊
森の東側、境界線ぎりぎりの場所に、その泉はあった。
黒く焦げた木々に囲まれ、かつて泉だったはずの場所は、崩れた岩と、焼け跡の瓦礫に埋もれている。空気は重く、草木の一本すら生えていない。足元には、炭になった家の柱や、砕けた食器の欠片、錆びついた剣の破片までもが、無造作に転がっていた。
「……酷いものだな」
リゼットが眉をひそめながら呟いた。フィンも、口数少なく地形を書き留めている。その手は、いつもより少しだけ、震えているように見えた。
三人は無言のまま、瓦礫を一つずつ運び出す作業を始めた。焦げた梁を、リゼットが担いで脇へ寄せ、悠人とフィンが、細かな石と灰を、麻袋に詰めて運んでいく。単調で、地味な作業だった。
朝から昼を過ぎても、手を止める者はいなかった。
それでも、少しずつ、埋もれていた泉の縁が姿を現していく。石で丁寧に組まれた、円形の縁だった。かつては、誰かが毎日、この縁を磨いていたのだろう。
半分ほど片付けが進んだ頃、突然、空気が張り詰めた。
「――何だ、あれ」
泉の奥、瓦礫の隙間から、黒い靄のような影が、ゆらりと立ち上った。
人型にも見えるその影は、耳をつんざくような、悲しげな叫び声を上げながら、悠人たちに向かって襲いかかってきた。
「悠人、下がってろ!」
リゼットが剣を抜き、影の攻撃を弾く。
だが、影は苦しむようにのたうちながら、なおも攻撃をやめない。振り回された影の腕が、地面の瓦礫を吹き飛ばし、黒い破片が四方に飛び散った。
その動きを見て、悠人はふと違和感を覚えた。影が叫び声を上げるたび、悠人の頭の中に、断片的な光景が流れ込んでくる。
夜の闇。子供たちの怯えた顔。燃え上がる炎。そして、折り重なって倒れる、エルフと人間たちの姿。
(これは……怒っているんじゃなくて)
「リゼットさん、殺さないでください!」
「なんだと?」
「多分、これは、泣いているだけなんです!ここで起きたことを、ずっと、見続けていたんです!」
悠人は、リゼットが影の攻撃を防いでいる隙に、瓦礫の撤去を続けた。
恐怖はあった。だが、それ以上に、この場所を悲しみのまま放っておきたくないという思いが勝った。
「――ごめんなさい。もっと早く、来られなくて」
影の叫びに向かって、悠人は静かに声をかけた。
「あなたが守っていたこの場所を、ちゃんと綺麗にします。エルフの人たちのことも、そして、ここで亡くなった、人間たちのことも、あなたは、全部、悼んでくれていたんですね」
影の動きが、わずかに緩んだ。
その隙に、悠人は最後の瓦礫を泉の中心から取り除いた。両手の皮が擦り切れ、指先から血が滲んでいたが、痛みを感じる余裕もなかった。
途端、澄んだ水が、地の底からゆっくりと湧き上がってくる。
黒い影は、清らかな水に触れた瞬間、まるで溶けるように形を失っていった。悲鳴のような声は、次第に穏やかな音色へと変わり、最後には、あの夜森で見た光の粒と同じ、優しい輝きへと姿を変えていった。
「……終わった、のか?」
リゼットが荒い息のまま、剣を下ろした。頬には、飛び散った破片でできた細い切り傷が走り、そこから血が一筋、流れていた。
「リゼットさん、怪我を」
「かすり傷だ。それより、お前の手の方が酷いぞ」
リゼットは、悠人の擦り切れた手を掴むと、自分の袖を裂いて、乱暴に、しかし丁寧に巻きつけた。その手つきが、意外なほど優しくて、悠人は思わず言葉を失った。
「無茶しやがって」
「すみません……」
「謝るな。別に、怒ってるわけじゃない」
リゼットはそっぽを向いたが、その耳が、ほんのり赤く染まっていた。悠人は、その理由が分からず、首を傾げた。フィンだけが、少し離れた場所で、こっそりと口元を緩めていた。
泉には、透き通った水が満ち、周囲には、光の粒がふわふわと舞っている。焼け焦げていたはずの地面にも、小さな新芽が顔を出し始めていた。
「――綺麗、ですね」
悠人は思わず、その光景に見入った。
悲しみに沈んでいた場所が、少しずつ、本来の姿を取り戻していく。
その様子を、木々の陰から、静かに見つめる人影があった。
長老だった。




