第27話 荒れたままの泉
森の外れで数日を過ごしていたある夜、茂みの陰から、そっと声をかけられた。
「――悠人さん」
セレアだった。以前よりもやつれた顔をしている。緑のリボンも、どこか元気なく垂れていた。
「大丈夫ですか。処罰は……」
「しばらく、外に出ることを禁じられているだけです。本当は、今もここに来てはいけないんですけど」
セレアは辺りを気にしながら、悠人たちのそばに腰を下ろした。焚き火の炎が、彼女の白い頬を、橙色に照らしている。
「どうしても、伝えたいことがあって」
「聞かせてください」
「長老様のお話を聞いて、私、ずっと考えていたんです。私たち若い者は、何も知らされてこなかったので……。あの日、何があったのか、初めて知りました」
セレアは、膝の上で、ぎゅっと手を握りしめた。
「攫われかけたのは、私と歳の近い子たちだったんです。長老様の息子さんも、その子たちを庇って……。私、そんなことも知らずに、人間は怖くないなんて、軽々しく言って」
「セレアさんが謝ることじゃありません」
「でも……」
セレアは唇を噛み、しばらく俯いていた。その肩が、小さく震えている。
悠人は、かける言葉を探したが、結局、何も言わずに、彼女が顔を上げるのを待った。
焚き火のはぜる音だけが、夜の静けさの中に響いていた。
やがて、セレアはゆっくりと顔を上げた。
「だから、伝えたいんです。精霊の泉のことを。あれから何年も経つのに、あの場所は今も、焼け跡のまま放置されているんです」
「誰も、手を入れていないんですか」
「入れないんです。あそこに近づくと、皆、あの夜のことを思い出してしまって……。誰も、その痛みに向き合う勇気が持てないまま、時間だけが過ぎています」
セレアの声には、もどかしさが滲んでいた。
「泉自体も、瓦礫や、あの夜の炎と魔法の残滓に塞がれたままで。人間の血で穢れた、なんて言う人もいます。本当なら、綺麗な水が湧いているはずの場所なのに。あの場所の周りにあった果樹も、みんな枯れてしまいました」
その話を聞きながら、悠人の中で、一つの考えがゆっくりと形を取り始めていた。
「――その泉、僕たちが手伝うことはできませんか」
「え?」
「森の中に入るつもりはありません。ただ、その場所が森の外れにあるなら、外から手を貸すことくらいは、できるかもしれない」
セレアは驚いたように目を見開いた。
「でも、長老様は、もう関わるなと」
「森に立ち入らず、ただ瓦礫を片付けるだけなら、掟を破ることにはならないはずです。それに」
悠人は静かに続けた。
「言葉で謝ることしかできない僕たちが、せめて行動で示せることが、それくらいしか思いつかなくて」
しばらく考え込んだ後、セレアは小さく頷いた。
「――分かりました。長老様には、私から、それとなく伝えてみます。反対されたら、それまでですけど」
「十分です。ありがとうございます」
セレアは、小さく頭を下げると、ふと悠人の顔を見上げた。
「悠人さんは、どうして、そこまでしてくれるんですか」
「……たぶん、僕がこの世界の外の人間だからだと思います。だから、見て見ぬふりができないんです」
「外の、人間?」
「あ、いえ。遠くから来た、という意味です」
悠人は慌てて誤魔化した。セレアは首を傾げていたが、それ以上は追及せず、微笑んで森の奥へと戻っていった。
セレアの背中が木々の陰に消えた後、リゼットが腕を組んだ。
「瓦礫の片付けなんて、地味な仕事だぞ。しかも下手すりゃ、また追い返されるだけだ」
「それでも、やらないよりはいいと思うんです」
悠人がそう答えると、フィンが肩をすくめながら笑った。
「まあ、お前らしいやり方だな」
リゼットは、それ以上は何も言わなかった。ただ、焚き火の炎をじっと見つめながら、小さく呟いた。
「……人間の尻拭いを、人間がするのは、筋が通ってるかもな」
翌朝、返事を待つ間もなく、悠人たちは荒れ果てた泉の場所へと、静かに向かうことにした。
道具は、フィンが街道の宿場で調達してくれた、鍬と鶴嘴と、頑丈な麻の袋だった。バロックがいれば、もっと良い道具を揃えられただろうが、今は、これで十分だった。
森の東側の外れに近づくにつれ、青々とした木々が、次第にまばらになっていく。空気にも、焦げた木の匂いが、微かに混じり始めた。
結果がどうなるかは、まだ分からない。それでも、動かなければ、何も始まらない。
そう信じて、悠人は一歩を踏み出した。




