第26話 長老の記憶
「――名を名乗れ、人間よ」
「相良悠人と申します。この森の美しさに惹かれて、無理を承知で足を踏み入れました」
悠人は正直に答えた。取り繕った言い訳をしても、この老エルフには見抜かれる気がした。
「セレアには何の非もありません。頼み込んだのは僕です」
長老は無言のまま、しばらく悠人を見据えていた。広間には、木の葉を渡る風の音だけが響いている。やがて、深く息を吐き、静かに口を開いた。
「なぜ、この森がこれほどまでに余所者を拒むか。お前は知っているか」
「いいえ。ただ、それなりの理由があるのだろうとは、思っています」
「――戦が長引いていた頃、この森の東側に、精霊の泉を守る小さな集落があった」
長老の声は、静かだが、深い痛みを孕んでいた。
「ある夜、戦火に追われたという人間の一団が、一夜の宿を求めて訪れた。ぼろぼろの身なりで、子連れの女までいた。我らは哀れに思い、彼らを集落に通したのだ」
「……」
「だが、あれは、偽りの姿だった。彼らの目的は、集落の若いエルフを攫うことだった。我らの若者は、人間の世界では、高値で売れるのだそうだな」
その言葉に、セレアが小さく息を呑んだ。悠人の背筋にも、冷たいものが走った。
「その夜は、里の戦士の多くが、森の奥へ出払っていた。残っていたのは、年寄りと、まだ剣を握れぬ若者ばかりだ。それでも、異変に気づいた者が、声を上げた」
長老は、遠い日を見るように、目を細めた。
「人間どもは、隠し持っていた武器を抜いた。集落は戦場になった。誰かが放った炎が家々を焼き、怒りに任せて放たれた我らの魔法が、泉の周りの森を焼いた。朝になる頃には、人間どもは一人残らず、討ち果たされていた」
広間に、重い沈黙が落ちた。
「だが、我らが失ったものも、あまりに大きかった。集落は焼け、精霊の泉は血と炎で穢れた。……あの日、我が息子も、攫われかけた若者たちを庇って、命を落とした」
長老の握りしめた拳が、微かに震えていた。
「怒りに任せて森を焼いたのは、我ら自身でもある。それも分かっている。だが、それでも、許すことはできん。あの夜を思い出さぬ日は、一日たりともない」
セレアも、初めて聞く話だったのか、青ざめた顔で俯いていた。長老は、そんな彼女に、ちらりと視線を向けた。
「お前のような若い者が、人間の言葉に耳を貸すことが、我にはこの上なく恐ろしい」
「……長老様」
「それ以来、我らは掟を厳しくした。人間を信じた代償が、あまりに大きすぎたからだ」
悠人は深く頭を下げた。
「――教えていただき、ありがとうございます。その痛みを、簡単に理解したなどとは言いません。同じ人間として、あなたの息子さんや、傷つけられた皆さんに、謝る資格があるのかも、僕には分かりません」
「……」
「ただ、話してくださったことに、感謝します。そして、そんなことがあった森に、無断で踏み込んでしまったことを、お詫びします」
「感謝など不要だ。お前たちは、掟を破った余所者に変わりない」
長老は静かに、しかし断固とした口調でそう告げた。
「セレアの処罰は追って沙汰する。お前たちは今すぐ、この森を去れ」
それ以上、交渉の余地はなかった。悠人たちは見張りに囲まれ、静かに森の外へと送り出された。
「――セレアさんは、大丈夫でしょうか」
森の入り口で振り返りながら、悠人はぽつりと呟いた。
「あの様子だと、無事では済まないだろうな」
リゼットが険しい表情で言った。
「あの焼け跡が、そういう場所だったなんてな……。人間のクズどもが」
リゼットの声には、怒りとも、やるせなさともつかない、複雑な響きがあった。
悠人は拳を握りしめた。長老の悲しみは、痛いほど分かる。だからこそ、無理に踏み込むことはできない。
同じ人間が犯した罪の重さを、自分がどう背負えばいいのか、答えは見つからなかった。
「悠人。お前が責任を感じる必要はない。あれは、別の人間が犯した罪だ」
フィンが、静かにそう言った。
「……分かってます。でも、僕は人間として、あの人たちの目を、まっすぐ見られませんでした」
だが、このまま黙って立ち去ることも、どうしても選べなかった。
「――何か、できることがあるはずです」
まだ、答えは見えない。それでも、悠人は諦めるつもりはなかった。




