第23話 閉ざされた森
森は、遠くから見ても異様な存在感を放っていた。
地平線を埋め尽くすほどの巨木が連なり、その梢は雲にまで届きそうなほど高い。
近づくにつれ、空気そのものが変わっていくのが分かった。ひんやりと澄み、木々のざわめきが、まるで意志を持っているかのように聞こえる。
足元の土は、湿り気を帯びて柔らかく、踏みしめるたびに、苔と落ち葉の甘い匂いが立ちのぼった。
遠くで、聞いたこともない鳥の声が、澄んだ笛の音のように、幾重にも重なって響いている。
「――綺麗、なんてもんじゃないですね」
悠人が思わず声を漏らすと、フィンも珍しく興奮した様子で頷いた。
「俺の地図でも、この森の内部は真っ白のままだ。エルフどもが、余所者の立ち入りをずっと拒んできたからな」
森の入り口に続く小道の脇には、見慣れない果樹が何本も並んでいた。淡い紫色の丸い果実が、枝という枝に鈴なりになっている。熟した果実は、ほんのり甘酸っぱい香りを放ち、日差しを受けて、内側から光っているようにも見えた。
「これ、食べられるんでしょうか」
「勝手に取るなよ。森の持ち物だ」
リゼットに釘を刺され、悠人は慌てて手を引っ込めた。ただ、地面に落ちた果実の一つが、割れて甘い蜜を垂らしているのを見て、悠人は思わず喉を鳴らした。
旅の食べ歩きで培った勘が、あれは絶対に美味しいものだと告げている。
「お前、今、よだれ垂らしそうな顔してたぞ」
「し、してませんよ!」
悠人は慌てて口元を拭ったが、フィンの肩が、必死に笑いを堪えて震えているのが見えた。
森の入り口らしき場所に近づくと、巨大な木の根が門のように組まれた場所に、二人の見張りが立っていた。長い耳、整った顔立ち。噂に聞くエルフの姿は、想像していた以上に神秘的だった。緑がかった外套を纏い、腰には細身の剣を提げている。
だが、その視線は、氷のように冷たかった。
「止まれ」
鋭い声とともに、一人が槍を構えた。
「人間が、何の用だ」
「旅の者です。この森を、見せていただければと思って」
悠人が正直に用件を告げると、エルフはあからさまに不快そうな表情を浮かべた。
「見物か。くだらん」
「この森は、我らエルフの領域だ。人間ごときに踏み荒らされる場所ではない」
その声には、単なる傲慢さだけではない、深い憎悪のようなものが滲んでいた。見張りの指が、槍の柄を、白くなるほど強く握りしめている。
取り付く島もない態度だった。リゼットが一歩前に出ようとするのを、悠人は手で制した。
「無理に押し入るつもりはありません。ただ、少しお話を聞かせていただけたら」
「話すことなど何もない。とっとと去れ」
もう一人の見張りが、悠人の背後の果樹を睨みつけた。
「あの木に、手を触れたな」
「いえ、触れてはいません。見ていただけです」
「――どうだか」
疑いの目は、最後まで消えなかった。
その場を後にするしかなかった。遠ざかる背中に、エルフたちの鋭い視線が、いつまでも突き刺さっているのを感じた。
森の外れで焚き火を囲みながら、フィンが悔しそうに呟いた。
「昔から排他的な種族だとは聞いてたが、ここまでとはな」
「何か、理由があるんでしょうか」
「昔、人間との間に、何か大きな揉め事があったって話は聞いたことがある。詳しいことは、誰も知らないがな」
リゼットが焚き火を見つめながら、静かに付け加えた。
「余所者を警戒するのも、無理はないのかもな。ポルテナのドルンだって、最初はあんなだった」
「そうですね。あの人たちにも、きっと、そうなるだけの理由があるんだと思います」
悠人はそう答えながら、揺れる炎に、そっと手をかざした。夜の森は、昼間よりもずっと冷え込んでいた。
その夜、悠人はなかなか寝付けず、焚き火の外に出て夜空を見上げていた。
その時、森の奥に、ぽつぽつと、小さな光が浮かび上がっているのが見えた。蛍のようでもあり、灯籠のようでもある、幻想的な輝きだった。
「――あれは、何だろう」
誰に問うでもなく呟いた悠人の胸に、抑えきれない好奇心が、静かに湧き上がってきていた。
拒まれたくらいで、諦めるわけにはいかない。
この森の奥には、まだ誰も知らない何かが、確かに息づいている。
悠人はそう確信し焚き火へ戻っていった。




