第2話 焼け跡の村、テララ
頬に触れる風が、やけに冷たかった。
悠人が目を覚ますと、そこは見知らぬ草地の上だった。
土と煙の匂いが混じった空気が鼻をつく。
着ているものは、いつもの部屋着のままだ。
夢ではないのかと、頬を強くつねってみたが、ちゃんと痛かった。
体を起こし、辺りを見回した瞬間、彼は思わず息をのんだ。
ファンタジー世界に来たなら、きっと色とりどりの花畑か、賑やかな城下町でも広がっているものだと思っていた。
ゲームや漫画で散々見てきた、あの華やかな異世界の光景を、頭のどこかで勝手に思い描いていたのかもしれない。
だが、目の前に広がっていたのは、まるで違う光景だった。
黒く煤けた家々。半分崩れ落ちた石造りの城壁。
渡し板だけが残った、壊れた橋。
手入れされないまま荒れ果てた畑には、雑草だけが我が物顔で伸びている。
看板だけが虚しく風に揺れる、廃墟同然の商店。
そして、何より悠人を戸惑わせたのは、人の姿がほとんど見当たらないことだった。
物音一つしない村の中を、悠人はしばらく呆然と歩き回った。
「……ここ、本当に異世界なのか?」
声に出してみても、答えてくれる者はいない。
壊れた家の軒先に、誰かが暮らしていた形跡――色褪せた鍋や、割れた食器が転がっているのを見つけるたびに、悠人の胸は小さく痛んだ。
しばらく歩くと、崩れた井戸のそばに、腰の曲がった老婆が一人、洗濯物を抱えて座り込んでいるのが見えた。
この村で初めて目にした、生きている人の姿だった。
「あの、すみません」
声をかけると、老婆は驚いたように顔を上げ、警戒するような目を悠人に向けた。
「……旅の者かい。珍しいね、この村にわざわざ来る者なんて」
「ここは、何という村なんですか」
「テララだよ。もっとも、村と呼べるほどのものは、もう残っちゃいないけどね」
老婆はそう言うと、崩れた家々を見渡し、小さくため息をついた。
「戦争でね、この辺りは特にひどくやられたんだよ。若い者はみんな出て行っちまったし、戻ってくる当てもない。あたしみたいな、動けなくなった年寄りだけが、こうして残ってるのさ」
「戦争って……魔王との、ですか」
「そうさ。もっとも、その魔王様も、もう半年も前に勇者様が倒してくださったがね」
その言葉に、悠人は思わず動きを止めた。
「――倒された? もう?」
「何を今さら。この国じゃ誰でも知ってる話だよ。カイド様という立派な勇者様が、仲間を率いて見事に討伐なさった。おかげで戦は終わった。……終わったはずなんだけどねぇ」
老婆はそう言って、崩れた家々にもう一度視線を落とした。
終わったはずの戦争の傷跡は、まだこんなにも生々しく残っている。
声には、諦めとも、皮肉ともつかない響きがあった。
「あたしの息子も、二人とも戦に取られちまってねえ。一人は帰ってこなかった。もう一人は、今どこで何してるのか、便りすら寄越しゃしない」
淡々とした口調だからこそ、その重みが、悠人の胸にじわりと染み込んでくる。
かける言葉が見つからず、悠人はただ小さく頭を下げた。
悠人の頭の中に、光に包まれる直前に聞こえた、あの慌ただしいやり取りが蘇った。
「――召喚対象者の時系列なんですけど」
「今忙しいので後にしてください!」
まさか、とは思う。だが、あの反応は、明らかに何かがおかしかった。
血の気が引くような感覚と同時に、どこか他人事のような、妙に冷めた諦めが胸の中に広がっていく。
「あの、すみません。この国で一番大きな街って、どこにありますか」
「王都ヴァンドールだね。ここから馬車で三日はかかるよ。もっとも、ここいらの街道もろくに直っちゃいないから、もっとかかるかもしれないけど」
礼を言って歩き出しながら、悠人は小さく息を吐いた。
どうやら自分は、とんでもない思い違いに巻き込まれているらしい。
異世界に来た、というだけでも十分すぎる非日常だというのに、その上、肝心の「魔王討伐」という大仕事は、既に他の誰かがやり遂げてしまっている。
それなら、自分は一体、何をすればいいのだろう。
答えの出ない問いを抱えたまま、悠人は崩れた村の景色を、もう一度ゆっくりと見渡した。
そして――行くあてもなく立ち尽くすくらいなら、まずはこの目で、この世界がどうなっているのかを確かめてみようと、悠人は思った。




