第11話 最初の客
補給廠からの返答は、思ったよりも早く届いた。
木材の搬入が始まると、町の空気は目に見えて変わった。
使われていなかった造船所に、久しぶりに槌音が響き渡る。コウガをはじめ、片足が不自由な者も、年老いた者も、それぞれにできることを持ち寄って、船の修復に汗を流した。
「まさか、本当に木材が届くとはな」
作業の合間、ドルンがぼそりと呟いた。声には、まだ素っ気なさが残っていたが、以前のような刺々しさは薄れていた。
半月ほど経った頃、最初の一隻が完成した。
久しぶりに海へ漕ぎ出した船には、新鮮な魚が山ほど積まれて戻ってきた。
市場には、何年ぶりかの活気が戻り、子供たちがはしゃぎながら魚を運ぶ大人たちの周りを走り回っていた。
その夜、港の広場では、簡単な祝いの席が設けられた。大きな鉄鍋を囲み、皆で分け合ったのは、この町に昔から伝わる漁師鍋だという。
獲れたての魚と貝を、海水で薄めた塩味のだしでぐつぐつと煮込んだだけの、飾り気のない料理だった。
「――美味しい」
一口啜った瞬間、悠人は思わず声を漏らした。魚の旨みと貝の出汁が溶け合った汁は、驚くほど澄んでいて、体の芯まで染み渡るようだった。
「昔は、これが漁師の日常食だったんだ」
鍋をよそいながら、コウガがしみじみと言った。
「戦争が始まってから、こんな贅沢な鍋を、皆で囲む機会もなかったがな」
悠人は、湯気の向こうで笑い合う人々の顔を眺めながら、この一杯を、いつか遠くから訪れる誰かにも味わってもらえたらと、ぼんやり考えていた。
その光景を眺めながら、悠人は静かな充足感を覚えていた。まだ、観光とは呼べない。だが、確かに何かが動き始めていた。
そんなある日、町に見覚えのある荷馬車が入ってきた。悠人をこの町まで運んでくれた、あの初老の商人だった。
「兄さん、まだいたのか。この町、ずいぶん活気づいたな」
「おかげさまで。船を作ったんです」
「そりゃよかった。……そういえば、うちの連れがな、妙な噂を聞きつけて、わざわざここまで来たがってるんだが」
商人が振り返った先には、旅装の若い女性――どこかの街から来たらしい冒険者風の女性が立っていた。
「この辺りの海に、巨大な白い海獣が出るって聞いたの。一度、この目で見てみたくて」
その言葉に、悠人は思わずリゼットと顔を見合わせた。
「見に行くだけなら、船を出せますが」
「本当に!? お願いできる?」
話を聞きつけたドルンが、作業の手を止めてゆっくりと近づいてきた。
「……その船、俺が出す」
「ドルンさん」
「他の連中にゃ任せられん。それに」
ドルンは一瞬、視線を海の方へ向けた。
「息子が最後に見たのも、あの海だ。逃げてばかりいないで、たまには胸を張って見せてやろうと思ってな」
その日の午後、ドルンの操る船が、久しぶりに白ひげ様の漁場近くへと進んでいった。悠人とリゼット、そして旅の女性を乗せて。
やがて、海面が大きく盛り上がり、あの白く輝く巨体が空へと躍り出た。しぶきが陽光にきらめき、女性は歓声を上げてその光景に見入っている。
「すごい……!こんな景色、初めて見た!」
船を操るドルンの表情は、悠人からは見えなかった。だが、その背筋は、どこか誇らしげに伸びているように見えた。
町へ戻った女性は、案内料として快く硬貨を差し出し、興奮冷めやらぬ様子で仲間にも教えると約束してくれた。
「ここに来て、良かった」
その一言を残して、旅の女性は次の目的地へと旅立っていった。
小さな、本当に小さな一歩だった。それでも、悠人にとっては確かな手応えだった。
「――さて、俺はどうするかな」
夕暮れの港を眺めながら、リゼットがぽつりと呟いた。
「案内料はもうもらった。ここで契約は終わりのはずだが」
「これから、他の街にも行こうと思っています。まだ知らない景色が、この世界にはたくさんあるはずなので」
「……物好きにも、程がある」
リゼットは呆れたようにため息をつきながらも、その口元は、わずかに緩んでいた。
「まあいい。少しの間くらい、付き合ってやる」
そう言って、リゼットはふいと視線を逸らした。夕焼けのせいか、その横顔が、ほんの少し赤く染まっているように見えたが、悠人は「夕日が眩しいんだな」くらいにしか思わなかった。
当のリゼット本人も、なぜ自分がこんな返事をしたのか、はっきりとは分かっていない様子だった。
こうして悠人は、港町ポルテナに一つの小さな変化を残し、次の街への旅路につくことになった。




