208 貸しの行く先
「そんなものは知らん」
チャッピーがそう答えると、紫死鳥は再び笑い、そしてチャッピーを見た。
「だが今知った。そしてそれは貴様の血に刻まれている真実だ」
「そんなものは知らん」
頑なに紫死鳥の言葉を否定するチャッピーだが、どうやら身体の方はそれが真実だと認識しているようだ。
今のチャッピーが、明らかに自分より強い紫死鳥の前に立てているのが証拠だ。普段であれば絶対に怖くなって逃げている。
紫死鳥の血が……そうさせているんだろう。
だからこそ……だからこそ俺の隣にいるポチが俺を引き止めたんだ。
だが、元はと言えば俺がポチに行った種族改変の魔術が原因だ。ならばチャッピーはそれに巻き込まれただけ。
満一歳とも言えないこの幼さで、その生涯を絶たれるのはさすがに酷というものだ。
しかし研究者として種の掟に手を出していいものかも悩みどころだ。さて、どうしたものか。
「ちょっと」
そんな考えを巡らせている時、横から俺の袖を引っ張ったのは、アダムス家のお嬢様。
場の空気を珍しく読んだのか、小声だ。ホント珍しい。
「あれどうすんのよ? どう見てもチキンの分が悪いわよ?」
それはそうなんだが……ポチが俺のマントを離してくれないのだ。
インビジブルイリュージョンの魔法は既に解け、ポチがマントの上に前脚を置いているのが見える。
俺の視線に気付いたフェリス嬢とブライト少年は、俺たち……いや、ポチが動かない理由を探っていた。
当然、その理由に気付いたのは俺だけ。
紫死鳥という種族になったポチは、身体で、血で、俺の動きを止めていたのだ。
しかし、置かれた脚の重さはなんともいえない重さのもの。
「絶対に動くな」でもないし、「私は行きませんが、マスターが行きたければどうぞ」という類の重さでもない。ギリギリ……「本当にギリギリになるまでは手を出すな」。そんな意味合いが近いかもしれない。
歯を食いしばる姿にポチの気持ちは見て取れる。
「ええいもうっ、じれったいわねっ!」
しかし――動き出してしまうのがアダムス家のお嬢様。
藪陰から飛び出たフェリス嬢は、目を丸くするチャッピーを横切り、恐れ多くも天獣、紫死鳥様の正面に立ってしまったのだ。
「アンタ、うちのチキンを殺すとかどうとか言ってるけど、コイツはアダムス家の大事な非常食なのよ。許可も得ずに勝手に殺さないでくれないかしらっ」
師匠の許可を得ずに強敵の前に立った小娘が何か言ってるぞ。
だが、フェリスが飛び出してもポチの動きは変わらないな。
ブライト少年も困惑した面持ちだ。
「……何故ここに人間が?」
「フェリス、こんなところに何しに来た?」
「アンタが勝手にどっか行っちゃうからわざわざ探しに来てあげたんでしょうっ。さ、こんなところにいてもしょうがないんだし、さっさと帰るわよ」
「……そうだな」
チャッピーは少し考えてから答えた。きっと無意識の内にここへ来た事を思い出したのだろう。
「待て」
紫死鳥がそう言うも、フェリスの足が止まる事はなかった。
勿論、嘴をフェリス嬢に掴まれたチャッピーも。
それにしてもポルコの娘とはいえ、お転婆娘とはいえ……大した胆力だ。前の俺だったら、足がすくんで動けなくなっていたんだが、やはり戦士向き、そして末恐ろしい女の子だ。
紫死鳥から離れて十数メートル。案の定紫死鳥は羽を広げて二人の正面へ回り込んだ。
……中々速いな。今のレベルになってなきゃ捉えられなかっただろう。
つまり、今の動きが追えたのは俺と、ポチだけ。
そして一瞬。ほんの一瞬だけ込めた紫死鳥の殺気に押されるように、フェリス嬢はその場に尻もちを突いた。
それが恐怖だと認識出来ないだろう。フェリス嬢は震える膝に気付く事なく、立ち上がろうとするも、再び地に突く腰。
訳もわからぬまま黒い影を見上げた先に捉えたものは…………紫死鳥の殺意。
「――ひっ」
漏れた悲鳴が紫死鳥に届くより早く正面へ出たチャッピー。
紫死鳥はそれを見て薄気味悪い笑みを浮かべた。
「そう、それでいい」
まずいな、限界だ。
俺はポチの制止を振り切るようにフェリス嬢の前のチャッピー……その前へ飛び出た。
「父上っ!」
「……お前か」
俺を知っている?
……あぁ、そういう事か。チャッピーと俺たちが同行しているところを空から見かけたからチャッピーをここへ呼んだんだもんな。
俺を知ってても不思議じゃない。
「悪いが手を引いてくれないか?」
手を前に出した俺を、未だ残る殺意で睨む紫死鳥。
「…………およそ人間の魔力ではないな」
「ははは、どうだろうね?」
そうは言っても、いつもよりちょびっとばかし溢れさせているからな。
脅しと圧力で引いてくれるならそれでよし……だが、どう出る?
「………………一族の掟は絶対だ」
……やはり簡単には引かないか。
「悪いけどチャッピーは俺の息子なんだよ。我が一族は夕方五時には帰らないといけない掟があるんだ」
「ふざけた事を……!」
「ふざけてるんだよ」
「何?」
「おふざけで済むならそれでいいんだ。だが、これ以上俺たちの縄張りに入るのであれば、俺も手加減出来なくなる」
俺はそう言いながら、身体の内にある魔力を更に引き出して見せた。
「っ!? 何者だ貴様……!」
「……ポーア」
「ポーア………………」
俺の名を噛みしめるように呟いた紫死鳥は、羽を再び広げ、土煙を上げて舞い上がった。
「勝負は預ける。……ポーア、その名、覚えておこう」
そう言い残し、最後にチャッピーをひと睨みした後、紫死鳥は徐々に空高くへと消えていった。
舞い落ちる紫死鳥の羽根の奥に、再び会うであろうやつの顔を脳裏に刻み、俺は後ろを振り返った。
「探したぞ、チャッピー」
「申し訳ありません、父上」
下げたチャッピーの頭をひと撫でし、俺は未だに腰が抜けてるフェリス嬢の下まで歩いていく。
腰をおろし、彼女に視線を送ると、潤んだ目を隠すようにそっぽを向かれてしまった。
「な、何よ! 出てくるなら別に私が出なくてもよかったじゃないっ」
「申し訳ありません」
今しがたチャッピーから聞いた謝罪の言葉を耳から取り出すようにフェリス嬢に送ると、「ふんっ」というセリフ付きで、今度は反対へ向かれてしまった。
フェリス嬢の行動こそ一番人間らしかった。俺の頭には計算が入り、動きを鈍らせてしまった。
どうするかを考えるよりも、何かしないとと動く事の方が大事な場合もある。
また一つ生徒に教わった気がするな。
「さぁお手を……」
フェリス嬢はそっぽを向きながら俺の手をとり、ゆっくりと立ち上がった。
すると、隠れていたブライト少年が駆け寄ってきた。
「何だ、全員来てたのか。いや、母上はどうした、ブライト?」
「そ、それが……――――」
「――三人とも、ここにいてください」
ちらりと藪の方を見やるブライト少年の言葉の意味を探るため、俺はポチの下へ歩いていく。
隠れていた場所から一歩も動かずにいたポチの姿は、どことなくあの魔王の胎動の時と似ていた。
しかし、あの時よりも恐怖は感じ取れない。それよりも深刻さと不安を表情から読み取れた。
俺が俯くポチの頭に手を乗せると、ポチは静かに呟いた。
「マスター……」
「……どうしたよ?」
「貸しを……あの貸しを使わせてください」
「今? こんな時に一体――――」
そう言いかけた時、俺はポチの思考に追いついたんだ。
血に抗った後のような憔悴し切ったポチの顔が、その意味を理解させた。
もうポチが言う言葉はわかっていた。既に答えはわかっていたが、俺はポチに尋ねた。
「何だ?」
するとポチは再び目を伏せて言った。
「もし……もしもう一度あの紫死鳥がチャッピーの前に現れたら……絶対に、絶対にチャッピーを助けてください……」
なんとも力のない…………ポチの言葉だった。
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