◆116 懐かしい匂い
三年前、アズリーが勉強をした魔法大学の教室。
トレースに連れられて来たティファたち新一年生は、大きな期待を胸に自身のネームプレートをプレート入れに入れて座る。
中にはしっかりとタラヲの名前が記載されたネームプレートも存在した。
「ほぉ、あのトレースとかいう女。覚えておこう」
野太い声でトレースを見据えたタラヲの尻尾は、確かにぶんぶんと振られていた。
トレースの改めての挨拶。
簡潔に明日からの学校生活、時間帯についての説明を受ける。そして、トレースは手慣れた様子で一人一人に二枚の羊皮紙の巻物が配る。
当然それは、白黒の連鎖の契約書だった。
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白黒の連鎖 加入契約書
_____(以下「甲」)と、白黒の連鎖(以下「乙」)の甲乙間において、次の通り契約を締結する。
一、甲は、心身共に鍛錬し、戦士、または魔法士として相応しい姿勢を心がける
二、甲は、魔王襲来の際、聖戦士を全面的に援護し、魔王討伐の参戦に同意するものとする
三、甲は、白または黒の派閥に所属し、乙の団体の活動、思想に同意するものとする
この契約の証として、本書を二通作成、甲乙双方の署名の上、各自一通を保管するものとする。
戦魔暦九十四年四月一日
甲 _____
乙 白黒の連鎖
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「ほぉ、契約書か。…………ぬぅ、難しい文字が多くて読めぬな。ティファ、読んでくれてもよいのだぞ?」
タラヲの言葉など意に介す様子もなく、ティファは契約書を真剣に読む。
(これね、リナお姉ちゃんが言ってた契約書は。強力な魔力が込められた制約。もしこの契約書を書いた者が望めば、それこそ死を恐れない集団が簡単に作れるわ。なるほどね、だからこの魔法を使えって言ってたのね。……ほいのほいのほい、レターエディット)
それは、アズリーがしたのと同じように、文字を強制変更させる魔法。
リナはアズリーに教わり、ティファに教えようとするも、ティファは既にこの魔法を習得していたのだ。
アズリーが残した宿題の中にそれはあった。高度な魔法ではあるが、ティファの非凡な吸収力がそれを叶えた。
ティファはそれを使い、故郷であるフォールタウンの名前を書き変えたのだ。アズリーと同じイベリアルタウンの町長の名前ではなかったが、方法は同じだった。
ティファは入学試験の際、この魔法が有効であると確認し、安堵した。だからリナの教えを断りこの場に臨んだ。
リナがアズリーから教わった魔法と、自分がフォールタウンで習得したレターエディットの魔法が違う公式だとも知らずに。
そう――――いくら待てども、契約書の文字が動き出す事はなかったのだ。
(っ! う、動かない……。発動が失敗したのっ?)
今度は慎重に、ゆっくりとレターエディットの魔法を放つ。しかしやはり契約書の文字はぴくりとも動かなかった。
(どうしてっ。どうしてなの!?)
皆が次々と白の箱、黒の箱に契約書を入れる中、焦りを感じたティファは頭を抱えて考える。
すると隣に座っていたタラヲが言った。
「しかしこの契約書の魔力、相当なものだな。もし契約が受理されれば恐ろしい事になるぞ。時が経つにつれ契約の楔は食い込む。破棄するには相当な魔力が必要であろう」
「っ……!」
小声で訴えるタラヲに、はっと息を飲んだティファは気付く。
自分の魔力が、この契約書を作った者より劣っているから、レターエディットの魔法が発動しないという事に。
リナがティファに教えようとしたレターエディットの魔法は、作者であるアズリーが改良したもの。そしてティファが使ったレターエディットの魔法はその原型なのだ。
三年前、アズリーが使ったレターエディットは、この原型の魔法であったが、それはアズリー自身の魔力が五千年の時を経て強大なものになっていたからである。
しかしティファはこの世に生を受けて十五年。その魔力は人並みこそ外れているものの、レベル相応のものでしかない。
そして、この場にいないリナからそれを教わる事は出来ないし、ティファ自身、アズリーが改良したレターエディットをすぐに描ける訳でもない。
焦燥する表情。
最早このまま名前を書いて提出するしかないと、そう思った時、契約書を出していない人間は、ティファ一人になっていた。
「――ィファさん? ティファさん?」
「っひぁ!」
甲高い声で返事をした、いや、してしまったティファの前には、困った様子のトレースが立っていた。
「もうあなただけですよ? 書けたのですか?」
「あ……いえ、その……」
口ごもるティファにトレースが契約書の中を覗く。
すると、
「書けているではありませんか」
「ぇ?」
「さ、すぐに白か黒の箱にそれを入れてください」
きょとんと口を開けるティファに、トレースが控えめなウィンクをする。
ティファはトレースに助け船を出された。
確かにトレースという名前は、昨日ポチズリー商店のナツから名前は聞いた。しかしティファとの接点は全くなかった。
故にティファにはこの状況が、何故助けられたのかが飲み込めなかった。
踵のヒールを鳴らし、階段状の教室を下るトレースに付き従うように教壇の上に置いてある箱の下まで来ると、ティファは無記名のまま白の派閥の箱に契約書を入れたのだった。
光る眼鏡を上げ、トレースがほほ笑む。
(白の……派閥ですか。優秀な生徒は大歓迎です。リナさんからもアイリーン様からも、最近の白黒の連鎖については色々言われていますからね。無理に入れる必要はないでしょう。アズリーさんの一派ならばなおさらですわね。ふふふ、入学試験でのあの掛け声、アズリーさんにそっくりでしたわ)
魔法大学の入学試験では、勿論実技試験もある。それはアズリーやリナ、オルネルも経験した事である。
当然試験を受け持ったトレースは、ティファのあの掛け声を聞いているのだ。
今や自分でさえ使う掛け声に、アズリーの存在を見出すのに時間はかからなかっただろう。
安堵の息を漏らしたティファは、すぐに自分の席へと戻り、小さく首を傾げるタラヲの頭にデコピンを放つのだった。
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―― 戦魔暦九十四年 四月一日 十七時 ――
「アズリーさんの部屋?」
ポチズリー商店のイツキがティファに質問を返す。
質問は頷きによって返され、イツキは困った様子で頭を掻いた。
「んー……それなら二階の通り側、階段を上がって一番奥の部屋だけど……って、ティファッ。入っちゃダメだからねっ」
話の途中から近くの階段を上り始めたティファは、イツキの言葉を背で受け、そのまま返す。
「入るんじゃないわ」
この言葉にほっとするイツキ。
「侵入するのよ」
「ちっがーうっ! こらこら~っ」
ティファの背を追い階段を登ろうとするイツキだったが、玄関から響くドアベルの音が足を止めさせた。
イツキが階段の手すりの間から玄関を覗くと、それほど身なりのよくない女と、店の中をきょろきょろと見回す女の子の姿が見えた。
ポチズリー商店の生業からこのタイプの人間が来る時は必ずわかるのだ。
「あっちゃ~、お客さんか。ティファー、いいから降りて……あ、いないっ!?」
足音を立てずにイツキの前から消えたティファとタラヲは、既に通り側の二階、その一番奥の部屋の前に着いていた。
他の部屋と変わらないドアの中央上には、部屋の主の名前が掘られた木製のボード、その端に肉球のスタンプが押されている。
それを神妙に眺めるティファの顔を何かと勘違いしたのか、タラヲが一歩前に出る。
「ふっ、ティファ。この中に住む人間を暗殺するのだな。ふふふ、よし、我輩に付いてくるのだ」
しかしティファが前を歩き、ドアノブを捻って開ける。
「ふっ、そうか。我輩は後衛という事だな? 案ずるな。その背中、我輩の肉球にかけて守ってや――――」
そしてタラヲの前でドアが閉められる。
「…………おや?」
アズリーの部屋に入ったティファは、余計なものは特にないような簡素な部屋を見回す。
目立つ物といえば、机に置かれた書類の山と、筆記具。
鏡面台に置かれた櫛とそれに付いている抜け毛くらいなものだった。
そして、ティファの目の端が捉えたのは、床の隅にぼんやりと光る魔法陣の存在。
屈んでそれを見、魔法陣の式を指でなぞる。
(本人認識コードを組み込んだ複雑難解な魔法式…………おそらくこれが、設置型の空間転移魔法……凄い)
部屋の外ではタラヲが淡々とドアに向かって話している。その口調は今でこそ大人しいが、そのうち荒だってくるに違いない。
『これは……そうか、そういう事か。我輩を試すつもりだな? よかろう。このような木くずのドアなど、我輩の魔爪の前では綿菓子も当然。おぉ、綿菓子が食べたくなってきたな。ティファよ、綿菓子が食べたいぞ。……おい、聞いているのかティファよっ』
当然、それを気にするティファではない。
しばらく部屋を見渡すが、それ以外にはこれといって目立ったものはなく、ティファはゆっくりとベッドに腰を下ろす。
そして気付くのだ、鼻孔をくすぐる懐かしい匂いに。三年前、隣で自分の手をとって一緒に魔法を教えてくれた人間の匂い。
その懐かしさに浸り、自然と顔を綻ばせるティファは、「ふふ、ちょっとポチさん臭い」と苦笑するのだった。
匂いに釣られるまま、ティファはベッドに身体を倒し、見慣れない天井を見上げる。
(今日は…………疲れた)
時刻は十七時十分。
アズリーが部屋に戻ってくる五十分前の事である。
ようやく繋がりました。




