【記録 No.007】生活相談
相談所の机には、
昨日採取した金色の樹液と、
以前採取した透明な樹液が並び、
朝陽を受けて静かに光っていた。
窓の外では、フェルガが浜から運んできた丸太を一本ずつ積み上げている。
その足元では、二匹の子ドラゴンがペルの作った木のおもちゃを転がして遊び、ペルはその様子を眺めながら、新しい木片を黙々と削っていた。
拓海は行政リンクを開く。
昨日表示された【地域計画】は、そのまま残っていた。
+
【地域計画】
<< 利用可能事業 >>
□ 漁港整備
□ 保管庫建設
□ 地域加工所
※予算不足
+
ちょうどその時、
丸太を運び終えたフェルガが汗を拭いながら相談所へ入ってきた。
画面を覗き込み、不思議そうに眉を寄せる。
「昨日から気になっていたんだ」
「港や加工所じゃなくて、どうして最初が保管庫なんだ?」
拓海は机の上に置かれていた干し魚を手に取った。
「そうですね。分かりやすい例をあげると」
「例えばペルさん、この干物はどのくらい保存できると思いますか」
突然話を振られたペルは少し考え、窓の外へ目を向ける。
海霧がゆっくり浜辺を流れていた。
「……晴れが続けば、十日くらい」
「でも、この霧が続くと……もっと早い」
そう言って肩をすくめる。
拓海は干し魚を机へ戻し、その隣に並ぶ二本の樹液へ視線を移した。
「この島には、少しずつ価値のある物が増え始めています」
「ですが、それを守る場所がありません」
フェルガは樹液の瓶を見つめる。
拓海は続けた。
「収穫された食べ物の1〜2割は、食べられる状態でも捨てられているそうです」
「そんなにか!?」
思わずフェルガが声を漏らす。
「作れなかったからではありません」
「保管できなかったからです」
フェルガは干し魚と樹液を交互に見比べる。
「なるほど……」
「魚も、薬も、手に入れただけじゃ駄目なんだな」
「はい。行政では、防災用の備蓄でも、まず保管する場所を整えてから食料や資材を集めます」
「置く場所がなければ、備蓄は備蓄になりませんから」
フェルガは腕を組み、小さく笑った。
「竜も同じだ! まず巣を作る」
「餌を集めるのは、その後だ」
拓海も穏やかに頷く。
「考え方は近いですね」
その瞬間、行政リンクが淡く光った。
+
【地域計画】
<< 保管庫建設 >>
実施条件を満たしています。
受注者
・ペル(木材加工)
・フェルガ(資材運搬)
+
拓海は画面を閉じることなく二人へ向き直る。
「では、保管庫の建設を始めましょう」
「ペルさんには木材の加工を、フェルガさんには資材の運搬をお願いします」
二人は顔を見合わせ、小さく頷いた。
「ただし、一つだけ条件があります」
フェルガが首を傾げる。
「無理はしないでください。特にフェルガさんは病み上がりです」
「急ぐ仕事ではありません。体調を優先します」
フェルガは苦笑する。
「分かっている」
「さすがに昨日みたいには無茶はしない」
そのやり取りを聞いていた子ドラゴンたちが、一斉に駆け寄ってきた。
「ぼくも!」
「わたしも!」
「おてつだいするー!」
フェルガは困ったように笑う。
「こらこら、あなたたちは遊んでいなさい」
「やだ!」
「はこぶ!」
丸太へ向かおうとする二匹の前で、拓海はしゃがみ込んだ。
「ありがとうございます」
「でも、そのお願いはできません」
「どうして?」
「おてつだいしたいのに!」
拓海は二匹の目を見て、ゆっくりと言葉を選んだ。
「子どもには、子どもの仕事があります」
「いっぱい遊んで、いっぱい食べて、大きくなることです」
「その代わり、大人には働く責任があります」
「もし皆さんに働いてもらったら、大人がその責任を果たせなくなってしまいます」
フェルガが静かに目を細めると、
拓海は少し笑った。
「でも、一つだけお願いがあります」
二匹は同時に顔を上げる。
「お母さんが頑張りすぎていないか、見ていてください」
「疲れていたら、ちゃんと休むように教えてあげてください」
「それは、ご家族にしか頼めない大切な役目です」
二匹は顔を見合わせる。
「ぼくたちだけ?」
「はい。お母さんを守れるのは、お二人だけです」
二匹はぱっと笑顔になった。
「まかせて!」
「ちゃんとみる!」
フェルガは思わず吹き出す。
「……それは心強いな」
そう言って子どもたちの頭を優しく撫でた。
◇
朝の海霧は、数日前よりも少し薄くなっていた。
相談所の裏手には、新しく切り出した丸太が何本も積まれ、浜辺ではペルが鉋を引いている。
シャッ、シャッ――。
一定の音だけが波音に混ざって響く。
少し離れた場所では、フェルガが丸太を肩に担ぎ、ゆっくりと運んでいた。
傷はほとんど癒えていた。
それでも拓海が一度に運ぶ本数を決め、途中で必ず休憩を挟ませているため、作業は急がず確実に進んでいた。
二匹の子ドラゴンは、その近くで石を積み上げたり、ペルが作った木のおもちゃを転がしたりして遊んでいる。
時折、フェルガが休憩するたびに駆け寄っていき、「だいじょうぶ?」と顔を覗き込むのが、最近の日課になっていた。
相談所の中で、拓海は行政リンクを開く。
+
【地域計画 進行状況】
<< 保管庫建設 >>
進捗 12%
<< 加工所予定地 >>
測量完了
<< 資材備蓄 >>
更新
+
数字だけ見れば遅い。
だが、6人だけで暮らしながら進めていることを考えれば、予定どおりと言っていい。
拓海は画面を閉じ、小さく頷いた。
「行政は、急いで作るより、途中で止まらないことの方が大切です。今くらいの進み方が、一番長続きします」
ちょうどその時だった。
「拓海」
外からフェルガが顔を覗かせる。
「最後の丸太を運び終えた。今日はここまででいいだろう?」
「はい。十分です。病み上がりで無理をされても困りますから」
「そう何度も言われると、本当に無理をしている気分になるな」
苦笑しながら額の汗を拭くフェルガの後ろで、子どもたちが「おわったー!」と声を上げる。
その光景を見ていた拓海は、ふと眉を寄せた。
「……そういえば」
「ここ数日、リリアさんを見かけませんね」
フェルガは少しだけ目を細め、何か納得したように笑った。
「新しい樹液を使った日、お前はあの子に「これからは自宅で静かに暮らしてください」と言っただろう」
「ええ」
「あの子は、その言葉をそのまま受け取ったんだ」
拓海は首を傾げる。
フェルガは丸太へ腰を下ろし、海を眺めながら続けた。
「命令されることには慣れている。勇者だった頃は、それが当たり前だったからな。でも、自分で考えて、自分で決める暮らしは知らない」
「相談所へ行ってもいいのか。行かなくてもいいのか。そんなことさえ、自分では判断できなくなっているんだろう」
その言葉を聞いた瞬間、行政リンクが淡く光る。
+
【巡回相談】
相談受付がない住民については、
職員による訪問相談を推奨します。
+
拓海は画面を見て、小さく息を吐いた。
「なるほど……こちらが来るのを待っているのではなく、相談するという発想そのものが浮かばない可能性がありますか」
「そういうことだ」
フェルガは静かに頷いた。
「困っている者ほど、自分から助けを求められない。それは人族も竜も変わらんだろう」
その会話を聞いていたペルが立ち上がる。
「……ぼくも」
一緒に行こうと一歩踏み出しかけると、フェルガが穏やかに首を振った。
「今日はやめておこう」
「……?」
「あの子は今、自分を誰にも見られたくないはずだ。まして、自分より先に居場所を見つけたお前が隣にいたら、余計に話しづらくなる」
ペルは少しだけ考え、静かに頷く。
「……わかった」
拓海は立ち上がり、帽子を手に取った。
「では、少し様子を見てきます」
波の音だけが、静かな朝の島に響いていた。
◇
海沿いの小道を抜けると、
小さな木造の家が見えてきた。
フェルガ親子たちの大型住宅とは違い、
一人で暮らすには十分な広さだ。
窓からは海が見える。
波の音が静かに聞こえていた。
拓海は玄関の前で足を止める。
家の脇には薪が積まれていた。
だが、数日前に渡した時とほとんど高さが変わっていない。
軒先には小さな水桶。
水は半分ほど残ったまま、
表面には細かな砂が浮いていた。
玄関脇には木箱が一つ。
相談所から届けた生活用品だった。
蓋は開いている。
だが、中には包帯や食器がそのまま残っていた。
必要最低限の物しか持ち出していないらしい。
拓海は静かに行政リンクを開く。
+
【生活確認】
居住:確認
訪問履歴:なし(4日)
相談所利用:なし(4日)
生活活動:推定低下
※訪問確認を推奨します
+
拓海は小さく息を吐いた。
薪はほとんど減っていない。
生活用品も手つかずのまま残っている。
暮らしてはいる。
だが、ここで新しい生活を始めようとしている気配は、どこにもなかった。
拓海は玄関の前へ歩み寄り、ゆっくりと扉を叩く。
「リリアさん。拓海です」
返事はない。
少し待ってからもう一度声を掛けようとした、その時だった。
家の奥で、小さく何かが倒れる音がした。
◇
小さな呼吸が聞こえた後、
扉が勢いよく開いた。
「わっ、ごめん! ちょっと待って、今片付けするから!」
言いながらリリアは、玄関脇に置いてあった空の木箱を慌てて壁際へ寄せる。
部屋は十分きれいだった。
「なんか片付けるのが癖になっちゃってさ。はい、どうぞ」
拓海は一礼して家へ入る。
潮風が窓から静かに吹き込み、薄いカーテンを揺らしていた。
「お茶くらいしか出せないけど、ちょっと待っててね」
リリアはすぐに湯を沸かし始める。
慣れた手つきだった。
「砂、入ってないかな。あ、椅子大丈夫?」
「このコップ欠けてないよね?」
湯呑みを置きながら笑う。
「それで?」
「今日はどうしたの?」
拓海は湯呑みに手を伸ばしながら答えた。
「最近、相談所へお見えになっていませんでしたので。何かお困りごとでもあるのかと思いまして」
「……ああ、そのこと?」
リリアは照れくさそうに笑う。
「大丈夫、大丈夫。島に来てから色々あったでしょ?」
「ちょっと疲れちゃっただけ」
「少し休んだら、もう元気だから」
拓海は返事をせず、部屋をゆっくり見渡した。
使われている食器は一組だけ。
薪はほとんど減っていない。
窓は開いているのに、洗濯物は見当たらない。
読みかけの本は、同じページを開いたまま机に伏せられていた。
壁際には、布を掛けられた一本の長いものが立て掛けられている。
柄だけが少しだけ覗いていた。
その時、行政リンクが静かに淡く光った。
+
【生活相談】
<< 推奨支援 >>
・自立支援
・就労支援
・住民登録
+
拓海は画面へ一度だけ目を落とし、静かに口を開いた。
「……リリアさん。正式に灯り島の住民になりませんか?」
笑顔が、ほんの少しだけ止まる。
部屋に、小さな沈黙が落ちた。
リリアはしばらく俯いたまま湯呑みを見つめ、
やがて小さく笑う。
「ねえ、今日来たのって……」
「拓海さんとして?……それとも、行政の人として?」
「もちろん、行政担当としてです」
その返事を聞くと、リリアは静かに立ち上がる。
窓の向こうでは、海霧がゆっくりと流れていた。
「……そっか……そうだよね」
少しだけ息を吸い、
振り返らないまま絞り出した。
「行政の人として来たなら……」
「今日は……帰ってくれるかな」
「……ごめんね」
部屋が静まり返る中、
行政リンクだけが、機械的に支援制度を表示し続けていた。




