【記録 No.026】勇者の血に残る記憶
「……竜には恵み、人には毒……」
「つまり、拓海はあの実のせいでこうなったのか……!?」
「そんな……」
リリアの身体が小さく震える横で、フェルガが床に落ちた赤い実を見つめ、声を荒らげた。
「いや、待て! それならば……なぜ、リリアは毒に侵されていない?」
「リリアは昨日も、今日もそれを食べていたんだぞ!? なぜ無事なんだ!」
『貴様、その問いを口にする前に、己の言葉を選べ』
半開きの扉の外から、低く鋭い声が響いた。
顔を出したのは、顔面に独特の白い紋様を描き、大角獣の骨を肩にあしらった島詠み族特有の毛皮装束を纏った大柄な男だった。手には、同じく獣骨を削り出した巨大な斧を携えている。
その脇から、同じく目元に漆黒の刺青を施し、研ぎ澄まされた木製の長槍を抱えた若い男がフェルガを鋭い眼光で威圧する。
「待て……ザグ」
「そして、ミハル。……二人とも、いいから外で待っておれ」
「……ですが! ここは我らが守り続けてきた島です。何者かも分からぬ者が、我らの記録にない者を囲っているなど——」
「やれやれ、若い者は元気で敵わん」
「聞こえなかったか? これから先は、わしが話す」
「……承知しました」
二人は静かに扉の陰へと姿を消す。
「すまんな。若い者は、島を守ることばかり考えて融通が利かぬ」
老人が改めて一同を見渡すと、リリアは一瞬息を呑み、固まった後、激しく首を振った。
「分からない……っ」
「私にも分からない……! だって……私も、私だって食べたのに……っ!」
自分が拓海を殺しかけている——その残酷な現実が、リリアを追い詰めた。
だが、老人はその取り乱す姿を静かに見つめると、語り始めた。
「……お主が無事だったのは、お主が……普通の人間ではないからだ」
◇
「……それは……どういう、意味……?」
「その身体には、かつて竜の毒すら退けた力が残っておる」
「……勇者の血だ」
「お主は意識しておらずとも、その身体は幾多の呪い、毒、魔物の禍々しき力に晒され、打ち克ってきた。……その歴史が、血に刻まれている」
ミアがペルの服の裾をぎゅっと握りしめ、小さな声で呟いた。
「だから……」
「リリアさんだけ……人間なのに、平気だった……?」
「そうだ。人の身でありながら、その実の毒性を退けるほどの耐性を持っておるのだ」
老人は、全てを見透かしたような眼をリリアに向けた。
フェルガが鋭い目つきで老人を睨みつける。
「……なぜそこまで分かる。あなたは、何者なのだ?」
老人は静かに杖を床につく小さな息を吐く。
「それは……我らが、この島『御環島』の民だからだ」
「灯り島に最初に住み着いたのは、我ら『島詠み族』。森や海、竜族との関わりを、何百年と見守り、記録してきた」
老人は遠い目をして、誰も立ち入らぬ森の奥を指す。
「拓海という若者がこの地に現れるより遥か前から、我らはこの島におったのだ」
「それなら……なぜ、拓海の記録に存在しない?」
「移住者でも、先住者でもない……そんな扱いになっているのだ」
「我らは、お主らの作った島に『住んでいる』のではない。はじめから、この島と共にあるのだ。……記録される民ではなく、記録を残す民だからな」
その時、ずっと拓海の傍らで手を握っていたペルが、ふと顔を上げた。
「……あ」
「どうした、ペル?」
「……前……拓海と森を調べていた時」
「誰かが……加工した、石や道があった」
老人は、じっと沈黙していたリリアへ視線を向けた。
「お主の名前、リリア……家名は『アストレア』というのでは、ないのかな?」
その瞬間、リリアの顔から血の気が完全に引いた。
「……どうして……あなたが、その名前を……」
「やはりか。勇者アストレアの血筋……忘れようもない」
「昔折、我ら島詠み族は勇者と交流があった。魔王討伐の旅の果て、勇者はこの灯り島へも立ち寄られたのだ。『竜と人が共に生きられる場所を守る』……そう固く約束を交わしてな。だからこそ、我らはその一族を忘れぬ」
「……つまり」
「私が……拓海に食べさせなければ……こんなことには……っ!」
「私が食べて平気だったから……みんなにも喜んでほしくて……! 拓海はいつも、島のみんなが幸せになるようにって……自分のことなんて後回しで頑張ってたから……だから、私も……っ!」
溢れ出す涙が、床に落ちた赤い実を濡らす。
「私が……拓海を殺そうとしたんだ……!!」
「バカ言うな!!」
フェルガが胸を張り、力強い手でリリアの肩を掴んだ。
「拓海が目を開けた時、そんな顔見たいと思うか!? お前が持ってきたのは悪意じゃないだろ!」
長老も静かに頷き、温かい手をリリアの頭に置いた。
「そうじゃ。知らなかったことまで罪にするなら、この島で笑える者など誰一人いなくなる。……自分を責めるのはおよし」
だが、リリアの胸を苛む激しい罪悪感は、消えることはなかった。
◇
「……それで、どうすればいい」
「どうすれば、拓海は助かるだ。この島と共に生きて来たのなら、知っているのだろう!?」
「竜の蜜による拒絶を止めるには……同じ島の理を持つ『打ち消すもの』が必要じゃ」
「そんなものが、この島に存在するのか!?」
「あるには、ある……だが」
「それは島の奥。誰も踏み込まぬ、禁足の地に眠っておる」
「かつて、お主の先祖である勇者も、そこへ向かった」
リリアが濡れた瞳を持ち上げる。
「……私の……祖先が……?」
「そうだ。そして無事に帰ってきた時には……竜と人が共に暮らすための『答え』を持ち帰っていた」
「拓海とやらを救いたいなら、行くしかなかろう」
「己の過去と、この島の真実に立ち向かう覚悟があるならばな」
老人はゆっくりと立ち上がり、杖を静かに叩いた。




