【記録 No.024】禁じられた果実
相談所の机の上には、
昨日リリアとミアが持ち帰った赤く小さな果実が、木皿にいくつか並べられていた。
朝の静けさの中、拓海はノートの手を止め、その果実に視線を向けた。
「そういえば、リリアさんが美味しいと言っていましたね……」
一粒だけ指で摘み上げ、じっくりと観察した。
表面は艶やかで、傷もない。拓海はそれを口に含み、軽く噛みしめた。
甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がる。
「……美味しいですね」
クセもなく、後味も爽やかだ。
「これは、使えそうですね……」
島固有の貴重な果実だ。
もし群生地が見つかり、定期的に収穫できる目途が立てば、食料事情は一気に安定する。
拓海はノートの端に『赤果実:用途検討(保存食・加工品)』と書き留めた。
◇
同じ頃、相談所から少し離れた島の東側の森。
「あ、あった! やっぱりここだ!」
木々の隙間から差し込む陽光の下、リリアが歓声を上げた。
目の前には、背の低い木々が群生し、枝という枝にあの赤く小さな果実が鈴なりに実っていた。
「わあ、たくさん……!」
後ろから追いついたミアが目を輝かせる。
「ルク、一気に食べちゃダメだよ! 籠に入れる分も残してね」
「分かってるよ!」
ルクは元気よく返事をすると、一番熟した実がついている高い枝へ勢いよく飛びついた。
──ボキッ。
「あっ」
「わあぁぁっ!?」
枝を抱えたまま、ルクが地面へ豪快に転がり落ちる。
「あはははっ!」
リリアは思わずお腹を抱えて吹き出した。
「だから言ったでしょ! ちゃんと摘まないと!」
「だ、大丈夫! 僕、竜だからこれくらい平気!」
ルクはすぐに起き上がると、折れた枝から赤い実を器用に外した。
「ほら! ちゃんと取れた!」
「……それ、枝を折っただけじゃない?」
リリアが呆れながら笑う。
「でも、実は取れたよ!」
「もう……ルクは力加減を覚えないとね」
ミアが苦笑する。
ルクがしょんぼりすると、リリアは笑いながら頭を撫でた。
「でも助かったよ。ありがとう」
「……本当?」
「うん。でも次は枝じゃなくて実を取ろうね」
「分かった!」
ルクが元気よく頷く。
すると今度は、ルクが折った枝の影から、赤い実がいくつも落ちていることにミアが気付いた。
「……結果的には、たくさん集まった」
「ほら! やっぱり成功!」
「成功の基準が違う気がするけど……」
三人の笑い声が、静かな森へ響き渡った。
……だが。
その笑い声の最中、リリアの身体がピタリと止まった。
それは、幾度も魔物の待ち伏せを見抜いてきた、本能にも近い感覚だった。
誰かが私を見ている……。
敵意ではない。
だが、確実にこちらを観察している視線。
リリアの表情から一瞬で笑顔が消えた。
右手は無意識のうちに、腰に差した剣の柄へと伸びている。
ゆっくりと、静かに森の奥の深みへ視線を向けた。
「……誰か、いる?」
小さく呟くが返事はない。
森を渡る風だけが、静かに枝葉を揺らしていた。
「……まあ、隠れるなら別にいいけど」
リリアはふっと息を抜き、いつもの笑みを浮かべて見せたが、その瞳の奥には鋭い警戒の光が宿っていた。
その視線の主──鬱蒼と茂る樹木の影らは息を潜め、リリアたちを見つめていた。
「あの実を、口にするとは……」
若い男が小さく呟く。
隣の老人は答えず、自分たちの潜む方角を正確に見定めたリリアだけを、じっと見つめ続けていた。
「……やはりだ」
老人の目が静かに見開かれる。
「あの御方も……誰より先に、我らへ気付かれた」
「どうしますか、長老?」
木漏れ日が少女を照らす鮮やかな赤い髪。
そして、腰に下げた一振りの剣。
老人は深く呟き、静寂だけが森の奥を包み込んでいた。
◇
午後。風が心地よく吹き抜ける海岸沿いの高台。
拓海はフェルガ、ペルと共に、将来的な港の建設候補地となる入江を見下ろしていた。
「潮の流れ……悪くない」
「あの岩場……防波堤になる……船、つけやすい」
ペルが短い言葉で解説し、羊皮紙の図面に小さく指をさす。
「ふん、削るならあの岩場だな。材木なら山の東側から切り出せば運搬も楽だ」
フェルガも腕を組みながら、狩人の視点で地形を評価していた。
拓海は二人の専門的な意見を逃さず、記録していく。
「ありがとうございます。ペルさんの潮流予測とフェルガさんの搬出ルート案、どちらも非常に説得力があります」
「これなら港湾整備の第一期計画として──」
カチ、とペンを動かしていた拓海の手が、突然止まった。
視線を通したフェルガとペルの姿がぐにゃりと大きく揺れた。
「……拓海?」
足元の感覚がすっと消え去る。
地面を踏みしめているはずの感触がどこにもない。
直後、胸の奥から急速に競り上がってきたのは、強烈な吐き気と激しい眩暈だった。
呼吸がうまくできない。指先から急速に体温と感覚が失われていく。
「拓海! どうした!?」
フェルガの焦った声が、やけに遠くから聞こえた。
拓海の膝からガクリと力が抜け、視界が真っ暗な闇へと呑み込まれていった──。




