【記録 No.023】島の季節を読む
試験区画への種蒔きを終えた昼前。
拓海たちは一度、行政相談所へ戻っていた。
畑作りは始まったばかりだ。
土の状態。水の流れ。日当たり。これから確認すべきことはまだ多い。
拓海が記録用のノートを整理していると、保存庫の前でラグノを眺めていたリリアが、不意に口を開いた。
「ねえ、拓海」
「さっきの野菜って……今貰ってる食べ物とは違うみたいだけど、この世界のものじゃないよね?」
「ああ。この、大豆、紫いも、レンコンのことですか」
そう言いながら、拓海は袋からひとつずつ机に並べた。
「調理方法が分からないかと思い、主に私が使っていましたからね」
「前から気になってたんだけど……あの時作ってくれたスープ」
「私が島に流れ着いた時に飲ませてくれたやつ。あれに入ってた野菜って、もしかして……」
拓海少し思い出しながら口を開いた。
「あれは確か……大豆ですね」
「あれが大豆?」
「はい。加工すれば豆腐や味噌にもできますし、油にもなる作物です」
「豆腐……味噌……やっぱり、知らない名前だ」
リリアは思い出すように目を細める。
「味は初めて食べる感じだったけど、不思議と落ち着く味だったんだよね」
拓海は窓の外、先ほど作った試験区画へ視線を向けた。
「大豆だけではありません。紫いも、レンコンも……私のいた場所では普通に存在していた作物です」
「拓海のいた場所で普通に育っていたなら、この島でも同じように育つのかな」
拓海は少し考えた。
「そこが、問題なんです」
「同じ種でも、育つ場所が違えば結果は変わります。土だけではなく、水、日照まで確認する必要があります」
「そっか、どの地域でも同じ作物が育つ訳じゃないもんね」
「勇者時代に巡った先でも、灼熱や大寒波だったり色んな気候があって大変だったもん」
「……気候」
「この島は、まだ少ししか暮らしてないけど、穏やかな気候だよね」
リリアの言葉に、拓海は静かに頷いた。
「そうです! 気候です!」
「わっ、なに急に……どうしたの?」
「作物も適した気温や雨の降り方が違います」
「灯り島の気候についても、確認しておく必要があります」
拓海は机の上に新しい用紙を広げ、これまでの観測データを書き並べていく。
この島に流れ着いた時も、最初に必要だったのは天候と土地を知ることだった。
◇
あの日、拓海が目を覚ますと浜辺に倒れていた──。
ただ、生きるために水を探し、食料を探し、雨風を避ける場所を探した。
その途中で見つけたのが、現在の行政相談所の基礎となった古い建物だった。
そこには、暮らしに関する記録と、淡い光で表示される不思議な仕組みが残されていた。
拓海は使い方を確かめながら、それを自分なりに整理していった。
後に、それを便宜上「行政リンク」と呼ぶことにした。
拓海は少し前の過去を懐かしむように、リリアに語り始めた。
「人が新しい土地で暮らし始める時に、私の居た世界では、まずその土地の環境を調べ、暮らしの準備を整える必要がありましたから」
「だから、この島でも同じだと思ったんです。最初に必要なのは、土地を知ることだと思っています」
そう言うと、拓海はこれまで自分が書き留めてきた観測の記録を、もう一度見つめ直す。
(海に囲まれた島特有の、穏やかな気候……か)
現代の地球で例えるなら、灯り島は南方の島嶼部と地中海沿岸、その中間に近い環境に思えた。
昼間の気温は24〜27度まで上がり、日差しは暖かい。
現在の季節としては、初夏くらいだろうと拓海は感じていた。
夜間から朝方にかけて、島は14〜18度近くまで冷え込んだ。
山と海が近い地形ゆえ、昼は太陽で暖められた空気が上り、夜は冷えた山気が吹き下りてくる。
「拓海がいた世界では、今ぐらいの時期はどんな気候だったの?」
リリアが興味深そうに尋ねた。
「私が知っている場所では、このくらいの時期は雨量が増える季節でした」
「ですが、この島では雨は短時間に降り、その後は晴れる日が多い。農作業にはむしろ扱いやすい環境です。ただ、朝晩の寒暖差があるため、水と土の保温・排水管理が重要になります」
「へぇ……じゃあ、さっき蒔いた種は大丈夫そうなの?」
「ええ。幸いにも今の気候なら、大豆と紫いも、そしてペルさんが見つけてくれたラグノも、ペルさんが言うには問題なく育ちそうです」
「大豆は夏に向かって活発に育ち、紫いもとラグノは適応力が高いですから」
拓海は少し表情を引き締めて言葉を続けた。
「……ただ、レンコンだけは別です」
「水をしっかり保てる環境を新しく整える必要があります。試験区画Cの排水調整は湿りすぎる土地を防ぐためのものですが、レンコンには逆に水を蓄える場所が必要です。環境作りを並行して進めましょう」
作物が育つ根拠が整理され、拓海の頭の中で今後の計画がより明確になっていった。
◇
数日後の午後。
「拓海、ただいま! これを見て!」
相談所の入り口から、明るい声と共にリリアとミアが探索から戻ってきた。
リリアの抱える竹籠の中には、赤く小さな果実がいくつか並んでいた。その隣には、ミアが採取した葉や花が種類ごとに分けられている。
「島の奥で見つけたんだ。少し食べてみたけど、甘酸しくて美味しかったよ」
ミアも分類した植物を指さし、愛おしそうに説明を添えた。
「これは……匂いがどことなく、お母さんを治してくれた樹液に似てました」
「薬草としても使えたらいいなって。根もすごく甘い香りがします」
どれも、灯り島固有の植物に見えた。
拓海は二人の採取報告を熱心にメモすると、行政リンクを開いた。
+
【業務契約更新】
受託者:リリア
業務:島内地図作成(継続中)
追加項目:島固有果実・有用植物の分布記録
お手伝い:ミア(地域学習記録員)
業務:島固有植物および薬草の採取・分類調査
+
「地図の作成と並行して、果実の生息場所も記録しておいてください」
「ミアさんの植物に関する知識も、今後の医療や農作に欠かせなくなるかもませんね」
「任せて! どんどん描き足しておくね!」
「……わたしも、役に立てて嬉しい」
自分が見つけたものが、ただの「拾った物」ではなく、島の未来を作る記録として扱われていく。
リリアは何気なく笑い、ミアも静かに微笑む。
二人は満足そうに深く頷いた。
◇
拓海は相談所の外へ出た。
そこでは、新しく完成した食料保存庫の仕上がりを見つめるフェルガと、柱の強度を確かめるように手で触れていたペルがいた。
保存庫は建ち、畑の試験区画も整備された。
暮らしを作るための最初の段階を越えた今、次に必要なのは、この島の環境をさらに把握することだった。
「フェルガさん、ペルさん。次のお仕事について相談させてください」
フェルガが振り向き、腕を組む。
「フン……次は何をさせる気だ?」
拓海は二人の希望を尋ねるように視線を送った。
「……今はいくつか住宅があるみたいだが、食物保管庫のように、何かを作るとなった時用に木材を用意しておいた方が良いのではないのか?」
フェルガは顎で背後の山をしゃくった。
「どの木が建材に向くか、獣の通り道がどうなっているか……役に立てると思うぞ」
ペルは海の方角へ視線を向けた。
「……海」
「……壊れた船の欠片。潮の流れ。港になれる場所……探したい」
拓海は深く頷き、行政リンクを開いた。
+
【業務依頼更新】
受託者:フェルガ
担当:山林環境調査
目的:資材用木材の選定・野生動物の生息域把握・危険区域の確認
受託者:ペル
担当:沿岸部・潮流調査
目的:将来的な港湾・係留施設建設の候補地選定
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「以上の内容で業務を発注します。よろしくお願いします」
フェルガは呆れたように鼻を鳴らした。
「また仕事扱いか。いちいち大裟な男だ」
拓海は穏やかに微笑んだ。
「もちろんです。この島では、ただ『力を貸してもらうこと』と、『対等なパートナーとして働いてもらうこと』は違いますから。皆さんの専門性は、この島の立派な財産です」
フェルガの足取りは山へ向かって力強かった。
ペルもまた、小さく頷くと静かに海岸の方角へ歩き出す。
拓海は一度だけ、背後の試験区画へ視線を向けた。
大豆。紫いも。レンコン。
そして、この世界で古くから旅人を支えてきたラグノ。
まだ土の中に眠る、小さな可能性。
それが芽吹くかどうかは、土だけでは決まらない。
この島と、ここで暮らす者たちが、これから共に答えを作っていく。
行政相談所の前には、開拓の記録が刻まれた看板と小さな試験区画。
そして、それぞれの役割を持って歩み出す島民たちの姿があった。
灯り島の風が、初夏の匂いを運んで吹き抜けていく。




