【記録 No.022】みんなで決める畑
行政相談所の裏手では、この数日間、朝から夕方まで木を打つ音が響いていた。
フェルガが山から太い丸太を運び、リリアが柱を組み上げる。
ルクとミアは竹を運び、縄を編み、拓海は木炭で描いた設計図と何度も見比べながら柱の位置を確認していく。
一本ずつ柱を立て、一枚ずつ屋根を重ねる。
少しずつ形になっていくその光景は、この島で初めて「暮らし」を積み上げているようだった。
そして、さらに数日後。
行政相談所の裏手に、新しく木造の頑丈な小部屋が完成した。
そこに建てられたのは、以前から着手していた『食料保存庫』だった。
風通しが良く、直射日光を遮る保存庫中には、竹で編まれた棚と、高床式の保管台が整然と並んでいる。
「ふん……人間は面倒な箱を作るな。獲物はその日のうちに食えばよかろう」
完成した保存庫を見上げながら、腕を組んだフェルガが吐き捨てる。
その隣では、小さな耳をぴこぴこと動かしたペルが、珍しそうに中を覗き込んでいた。
「フェルガさん、食べ物はただ獲るだけじゃ駄目なんです」
拓海は保管台を軽く叩き、ぐらつきがないことを確かめながら静かに言った。
「例えば、この島へ来た時のように……フェルガさんが怪我をして、しばらく狩りへ行けなくなったら」
フェルガの眉がわずかに動く。
「あるいは嵐が何日も続いたり、干ばつで獲物が姿を消したりしたら。その時、一番先にお腹を空かせるのは、大人ではありません」
拓海はルク、ミア、そして保存庫を覗き込んでいるペルへ視線を向けた。
「子どもたちです」
「だから残しておくんです。ルクくんやミアさんが、そんな時でもお腹いっぱい食べられるように。この保存庫は、食べ物をしまう場所じゃありません。親が、子どもを守るための時間を蓄える場所でもあるんです」
「……紅竜族には必要ない知恵だな」
フェルガは鼻を鳴らした。
そう吐き捨てながらも、その視線は一度だけ保存庫の奥へ向けられる。
整然と並ぶ空っぽの棚。
その沈黙を破ったのは、リリアだった。
「……でもさ」
保存庫の中を見回しながら、リリアは苦笑する。
「肝心の入れる物が……まだ、ほとんどないよね」
ルクは棚を見上げ、ミアが指を折って数える。
「ペルが作ってる、干し魚くらい?」
「……山で採った木の実も……少しだけ」
拓海は頷いた。
「ええ。だから次は、この保存庫を満たす仕事を始めます」
「……どういうことだ?」
フェルガが低く問うと、
拓海は行政相談所の前に広がる、陽当たりの良い平原へ視線を向けた。
「ここの土地を、何かに利用できないかとずっと考えていたんです」
フェルガは草を一瞥する。
「草でも刈って詰め込むつもりか?」
「いいえ」
「まずは、この土地を耕して畑にしたら、どんな作物が育つのかを調べてみましょう」
リリアが首を傾げる。
「育つかどうかも分からないの?」
「現代では、畑を作る前に必ず土壌調査を行います」
「……もっとも、私は専門家ではありませんし、専門の道具を使うやり方はこの島ではできません。だから皆さんの力を借りたいんです」
◇
「土の……調査?」
平原の真ん中で、ルクが不思議そうに首を傾げた。
「ええ。作物によって、適した土の深さや湿り気、硬さが違います」
拓海はノートを開き、足元の土を指さした。
「フェルガさん、少しこの地面を掘ってみていただけますか?」
フェルガは無言のまま片手の爪を立てると、地面をひと掻きした。
一瞬で数十センチの深さまで土が鋭く掘り返される。
「……助かります」
拓海は感心しながら穴を覗き込んだ。
「掘り起こされた土に、大きな石は混ざっていませんね。水を含んでも固まりすぎず、程よくほぐれます」
さらにミアが屈み込み、掘り返された土の周りに生えている雑草を指で優しく撫でた。
「……この白いお花が咲いている場所の土……すごく柔らかい」
「植物の種類でも、土の湿り気や質を見分ける出来そうですね」
拓海は速記でノートに記録していく。
「ねえ拓海、この場所なら風も直接当たりすぎないし、日当たりも朝から夕方までバッチリだよ」
リリアが周囲の地形を見渡しながら助言する。
ペルがかがみ込み、指先で土の層をなぞった。
「……下、違う」
「下ですか?」
拓海が穴を覗き込む。
「……表は乾いてる。でも、奥に水がいる……根が苦しくならない」
「……なるほど。外観だけでは分からない土中の状態ですね」
「現代の機械はありません。私一人なら、土を掘って終わっていたでしょう」
「ですが、この島には皆さんがいます。おかげで、この土地の姿がようやく見えてきました」
拓海は素早く速記しノートを閉じると、小さく息を吐いた。
「……ですが、これで終わりではありません」
「土を見ただけでは、本当に作物が育つかまでは分かりません」
行政相談所へ戻ると、拓海は棚の一角から小さな布袋を取り出した。
「これは、島に残されていた備蓄です」
中には、乾燥させた穀物や保存食と共に、いくつかの袋が丁寧に封じられていた。
「長期間保管できる食料だけでなく、再び育てるための種も残されていました」
「非常用として、分けて保管していたものですが……少しだけ使いましょう」
取り出した三種類の作物。
大豆。紫いも。レンコン。
どれも、この世界ではまだ見たことのないものだった。
その時だった。
壁際に積まれた物資の性状を確認していたペルが、一つの重い荷を抱えて歩いてきた。取り出したのは、灰青色の、まるで握り拳ほどの大きさの石ころのような固まりだ。
「……これ、使える」
拓海が受け取り、灰青色の塊の表面を軽く指で叩く。
コンコン、と乾いた固い音が響いた。
「……これは石、ですか?」
「……違う」
「……ラグノ」
「ラグノ?」
「……皮が固い。船に積む。長い旅でも腐らない」
「……割ると、中は柔らかい。火を通すと食べられる」
「なるほど……この世界で保存食として進化した作物なんですね」
拓海は感心したようにラグノを見つめた。
「私が立ち寄ったことのある港町なんかでも、昔から冬越しや遠洋航海用に倉庫に山積みにしてあったわ」
「それなら、試験栽培には最適ですね」
拓海は皆に向き直った。
「私が居た現代から持ち込まれた種と、この世界で昔から育てられているラグノ。まずは土の条件を変えた小さな区画で少しずつ植えて、この土地との相性と必要な手を調べます」
「結果が出てから、本格的に畑を広げましょう」
フェルガが腕を組む。
「また、回りくどいことをするな」
拓海は苦笑した。
「ええ。ですが……畑は、失敗してもやり直せます。」
「でも、島のみんなの食べ物は、やり直せません。だから最初は、小さく確かめます」
フェルガは鼻を鳴らしただけだった。
◇
翌朝。
拓海は麻縄を張り、小さな四角い区画をいくつも地面に描いた。
広い畑を耕す時とは違う。一本一本、縄の内側だけを耕していく。
フェルガが爪で表土を浅く起こし、大きな石や木の根を弾き飛ばす。
その後ろから拓海が木製の鍬で土を細かく砕き、条件を変えながら丁寧に土を均していく。
一区画は、人が三歩歩けば端まで届くほどの小ささだった。
「同じ土地でも、条件が変われば結果も変わりますから」
拓海は木炭で書いた記録を確認する。
フェルガが無言で前へ出ると、爪で表土を浅く起こした。
固い土を砕き、大きな石や木の根を取り除いていく。
その力は、本来なら大規模な開墾に使えるものだった。
しかし拓海は、あえて深く掘らせなかった。
「ありがとうございます。でも、今はこのくらいで大丈夫です」
「……随分と慎重だな」
「最初に知りたいのは、どれだけ広げられるかではありませんから」
掘り返された土を手に取り、指で崩しながら続ける。
「この土地が……何を求めているのか、なんです」
拓海は整然と並ぶ試験区画の前に、削り出した木板を立てた。
そして炭を用いて、一字ずつ丁寧な文字を書き込んでいく。
拓海は削り出した木板を立て、炭で文字を書き込む。
『試験区画A』
『自然土壌』
『作付:大豆』
『試験区画B』
『腐葉土・灰混合』
『作付:紫いも』
『試験区画C』
『排水調整』
『作付:レンコン』
『試験区画D』
『水辺環境』
『作付:ラグノ』
その下に、小さく記録を添える。
『第1期 農業実証試験』
『目的』
『島内土壌との適性確認』
『保存性・収穫量・加工適性調査』
『記録者:拓海』
『協力:フェルガ、ペル、ミア、リリア、ルク』
同じ作物でも、土地の扱い方で結果は変わる。
肥料を変える。
水分を変える。
土の状態を変える。
そして、この島に合う方法を探す。
拓海は最初の種を手に取り、静かに土へ落とした。
この島で最初の畑は、収穫のためだけではない。
未来の暮らしを作るための、最初の記録だった。
◇
夜。
月明かりが泥炭湿地の奥、古代の遺跡跡を静かに照らしていた。
森の闇の中に佇む影が、昼間の気配を遠くに感じながらポツリと呟いた。
『……畑、か』
影は、草に埋もれた古代の水路跡を静かに見つめる。
『あやつらは……どうやら、土地を奪うためではなく、土地に問いかけている』
重い沈黙が森を包む。
『だから土地もまた、あやつらを試しているのだな』
影は静かに闇へと溶け込み、姿を消した。




