【記録 No.017】エリナ・ヴァレン
灯り島の港に停泊したカイルの海賊船の甲板で、拓海とペルを迎えたのは、出航の気配すらない静まり返った船体だった。
エリナの生存。そして、灯台町が存在保護封印によって世界から切り離されている事実。それを知ったにもかかわらず、カイルは灯台の町へ向かおうとはしなかった。
「……行かねぇ」
カイルは船べりに背を預け、前髪の奥の目を伏せた。
「あいつに会う資格なんか、今の俺にはねぇ!」
拓海はバインダーを抱えたまま、静かに問い返す。
「エリナさんが存在していると分かったのに、なぜ会いに行かないのですか。あなたは、彼女に会うためにこの海域へ戻ってきたのではないのですか」
カイルは乾いた笑いを漏らした。
「会うため? 笑わせるな。俺はあいつをあの場所に残した男だ。必ず戻るって言ったくせに、何十年も戻らなかった。そんな俺が、今さらどんな顔をして会えばいい」
拓海はしばらくカイルを見つめた。
そして、ゆっくりと行政リンクを開く。
「それだけなら、あなたは最初から、私に『写真の返却』など依頼しなかったはずです」
カイルの表情がわずかに変わる。
「あなたが求めているのは謝罪ではありません。返却です」拓海は淡々と続けた。「行政において、謝罪と返却は別の手続きです。謝罪は感情の整理です。しかし返却とは、本来あるべき場所へ失われた権利を戻す行為です。カイルさん、あなたは本当に、写真だけを返したいのですか」
カイルは拳を握った。長い沈黙。やがて、錆びた声が漏れる。
「……あの町で、何があったか知りたいのか」
拓海が頷くと、カイルは海を見つめたまま、静かに過去を語り始めた。
「……灯台町には、昔から妙な魔力があった。海の流れも、霧の出方も、全部あの町を中心に歪んでいたんだ。だが、ある日……それが限界を越えた」
カイルの指が、古びた写真を強く握る。
「町全体が、世界から切り離されるような異常が起きた。俺たちは必死で抗った。だが、どうにもならなかった。その時だ。あいつが……エリナが言ったんだ。『私なら、この町を守れる』ってな」
カイルは目を伏せる。
「あいつには、生まれつき特殊な魔力があった。存在そのものを隠す力だ。だが……代償があった。町と繋がっている間、術者自身も外へ出られない。俺は止めた。だが、あいつは笑ったんだ。『カイルが戻ってきてくれるなら大丈夫』って。俺は約束した。必ず戻るって。なのに……」
そこで言葉が途切れる。拓海は何も言わず、行政リンクへ情報を整理していく。
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【依頼内容】 未返却物品の返却
【返却対象】 エリナ・ヴァレン
【確認事項】 本人意思確認
【問題点】 対象者情報不足
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拓海は画面を閉じた。
「カイルさん。あなたが返すべきものは、写真だけではないのかもしれません。ですが、それを決めるのは私でも、あなたでもありません。エリナさん本人です」
拓海は船のタラップへ向き直る。
「本人確認には、関係者の立ち会いが必要です。同行してください。これは業務です」
◇
再び、霧を切り裂いて船は灯台町へ向かった。
ペルが静かに舵を握り、船は白い霧の奥へと滑り込んでいく。
しかし、町へ上陸したカイルを待っていたのは、歓迎ではなかった。
灯台へ続く道。その境界で、透明な壁のような魔力障壁が展開される。カイルが一歩踏み出した瞬間、不自然な衝撃波が走り、弾かれるように後方へ吹き飛ばされた。
「……カイル」
霧の向こうから、凛とした、しかしどこか寂しげな女性の声が響いた。そして、ゆっくりと人影が浮かび上がる。
「あいつ……」
カイルは息を呑んだ。
写真の中の幼い少女ではない。
何十年もの歳月を感じさせる大人の女性の姿。だが、間違えるはずがなかった。あの写真の中で、カイルを真っ直ぐに見つめていた瞳と全く同じだった。
「エリナ……!」
カイルは障壁へ駆け寄り、透明な壁に手を当てた。
「すまなかった……! 俺が……お前を……!」
しかし、エリナは静かに首を横に振った。
「違うよ、カイル。あなたが思っていることと、少し違う。私は……閉じ込められたんじゃない。自分で残ることを選んだの」
拓海は一歩前に出ると、静かに問いかけた。
「では、なぜ現在もこの場所に留まっているのですか。災害が収まったのであれば、封印を解くことも可能だったはずです」
エリナは灯台を見上げた。
「……まだ終わっていないから。この町は、完全には戻っていない」
拓海は行政リンクを起動し、町全体にスキャンをかける。
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【地域情報】
対象:灯台町
取得中……
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数秒後。表示された結果を見て、拓海は息を止めた。
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【人口】 判定不能
【生存状態】 判定不能
【保護対象】 複数存在
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「……この町は」
拓海はバインダーを強く握りしめる。
「消滅した場所ではない。現在も、ここで存在している……?」
エリナは静かに頷いた。
「だから、私はここを離れられない」
カイルは震える手で、胸元から一枚の古い写真を取り出した。
「……これを。返しに来たんだ」
エリナは透明な壁越しに、その写真を見つめる。そして、悲しそうに微笑んだ。
「まだ持っていたんだね」
「……あ、あぁ。ずっと、これだけは忘れなかった」
しかし、エリナは愛おしそうに目を細めながらも、ゆっくりと首を横に振る。
「違うよ、カイル。あなたが返すべきなのは──」
その瞬間。拓海の手元で、行政リンクが鋭い警告音を鳴り響かせた。液晶の奥から、冷徹なログが更新される。
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【対象情報更新】
【対象者】 エリナ・ヴァレン
【状態】 判定不能
【備考】 返却処理未完了
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拓海は画面を見つめた。
「……返却処理?」
エリナは霧の向こうで、静かに目を伏せた。
「まだ、返してもらっていないものがあるの。私じゃない。この町が」
すう、と冷たい風が吹き抜け、灯台の光が一瞬だけ大きく揺れた。
「返してもらうべきものがあるんだよ」




