第一章完【記録 No.018】行政対象外地域 再登録
ドォォォォン……!
地鳴りのような響きとともに、灯台の石畳が大きく跳ね上がった。
地下の魔法陣から噴き出した魔力の澱みが、天を突く光環を濁らせ、白い霧が牙を剥くように展望室へと押し寄せてくる。
「エリナ……!」
カイルが透明な壁に飛びつき、狂ったように叫んだ。
「何を返せばいいんだ!? 俺の命か!? 記憶か!? 言ってくれ、俺はもう、お前を一人にしたくねぇ!」
しかし、霧の向こうのエリナは、ただ悲しそうに首を横に振るだけだった。
「もう維持できないの、カイル。この町は……今度こそ、完全に終わってしまう」
拓海の手元で、行政リンクが狂ったようにバグの警告音を鳴らし続けている。
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【地域情報】
対象:灯台の町
状態:判定不能
理由:行政対象外地域
備考:存在根拠不足
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画面に明滅する『存在根拠不足』の四文字。
それを凝視していた拓海の脳裏に、これまでの全ての違和感が一つの線となって繋がった。
「違います、カイルさん」
押し寄せる霧の風圧に耐えながら、拓海は凛とした声を響かせた。
「エリナさんが返してほしいと言ったものは、写真でも、時間でもありません。この町が世界から失ったものです」
カイルが、そして霧の向こうのエリナが、弾かれたように拓海を見た。
「この町は……存在を失ったんじゃない。存在していたという、行政上の根拠を失ったんです」
「な……んだと?」
「行政は、存在を確認できない場所を管理できません」
拓海は淡々と、しかし確信を込めてバインダーを構え直した。
「管理できない場所は、記録から外れる。でも、それは消滅ではない。世界が、この場所を確認する手段を失っただけです」
拓海はカイルの手から、古びた写真を引ったくるように取り上げ、行政リンクのスキャン光を浴びせた。写真に写っているのは、幼いエリナと、若いカイル。そして背景に広がる、当時の港と街並み。
「……この写真」
拓海の目が鋭く光る。
「ただの思い出ではありません。当時の灯台、港、そして建造物の位置関係が全て記録されている。これは、世界に唯一残された、この町が存在したという『証拠資料』です」
拓海は即座に行政リンクの特例回線を開き、灯り島の本部へ通信を繋いだ。
「フェルガさん、リリアさん! 広域行政通信を開きます。証言者として、私の端末へアクセスしてください!」
ザザ……とノイズが走り、二人の声が展望室に響く。
『拓海か!? 何が起きている!』
「時間がありません! 存在証明を行います!」
拓海は写真をスキャンしたデータを、申請書の添付資料へと叩き込んだ。
「リリアさん、あなたはこの町を知っていますか?」
通信の向こうで、リリアが息を呑む声がした。
『……いいえ。でも、その写真の背景にある建築様式、私が現役時代に回った旧王国の港湾都市のものと完全に一致するわ。カイルたちが嘘をついていないことなら、元勇者として、私がその記憶を証明する!』
「フェルガさん!」
『……我が交易記録を照合した』
フェルガの重々しい声が続く。
『若き日の私の一族が、かつてその座標の港へ寄港した記録が、古い羊皮紙に残されている。元ドラゴン族の長として、かつてそこに行政区域が存在した事実を証明しよう』
「勇者の証言」と「竜族の過去記録」。
世界から消されていたパズルのピースが、行政のフォーマットの上で急速に組み上がっていく。
拓海は霧の向こうで立ち尽くす女性を見つめた。
「エリナさん。あなたはこの町を守っていたんですね。でも、一つだけ間違っています」
「……え?」
「あなたは、この町を消しているんじゃない。存在申請を保留したまま、世界からの拒絶を防ぐために、ここでずっと維持していたんです」
エリナの瞳から、大粒の涙が溢れ出た。
彼女は町を滅ぼそうとしていたのではない。
世界が「存在しない」として消去(除籍)しようとする力から、たった一人で町を踏みとどまらせ、誰かがその「存在の根拠」を認めにきてくれるのを、何十年も待っていたのだ。
拓海は送信画面の最終確認ボタンへ、静かに指をかけた。
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【特別行政申請】
申請内容:行政対象外地域 再登録
対象:灯台の町
申請理由:存在確認資料提出
添付:写真(現物スキャン)、旧住民記録、交易証言
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「エリナさん」
拓海は真っ直ぐに彼女を見据えた。
「この町を、もう一度世界に登録してもいいですか?」
自分で犠牲になることしか選べなかった少女へ、初めて差し伸べられた「誰かに返してもらう」ための選択肢。
エリナは涙を拭い、透明な壁の向こうから、はっきりと頷いた。
「……お願いします」
拓海は親指を押し下げた。
+
【行政処理完了】
対象:灯台の町
状態:登録済
区域分類:灯台町自治区域
存在確認:完了
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画面が清冽な緑色の光を放ち、処理の完了を告げた。
パリン──。
静かな音を立てて、二人を隔てていた透明な壁が、光の粒子となって溶けていった。
同時に、長年町を覆っていた重い魔力が一気に抜け落ちていく。
術式の解除と同時に、全身の力を使い果したエリナが膝から崩れ落ちた。
カイルが駆け寄り、その体をしっかりと抱き留める。
拓海が即座にかざした行政リンクの画面に、エラーではない正常なステータスが表示された。
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【存在保護封印】 終了
術者状態:生命(正常) / 魔力(枯渇) / 管理権限(解除)
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もう、灯台を一人で支え続ける必要はない。
カイルの腕の中で、エリナは疲れ切った、けれど憑き物が落ちたような清々しい笑顔を浮かべた。
「……やっと、終われた」
カイルは涙を拭い、力強く抱きしめ返した。
「……ああ。終わったんだ」
その瞬間──灯台の頂上から放たれた純白の光が、海を、そして街並みを優しく包み込んだ。
「おい! 漁船を出せ! 潮の流れが変わってるぞ!」
「大屋根の瓦礫を退けろ! 倉庫の備蓄を確認しろ!」
パニックや混乱ではない。何十年もの間止められていた「人間の生活」が、今まさに一斉に再開された熱気と喧噪。
世界に登録し直したところで、失われた時間が戻るわけではない。それでも、人々は生きるために動き出していた。
カイルはゆっくりと立ち上がり、エリナの手を握りしめた。
「相談員……俺は海賊をやめる。この町に残って、エリナと一緒にここを立て直す。……今度こそ、約束を守るために」
カイルの胸ポケットから覗く古びた写真。あの日渡せなかった写真は、今、新しい町の歴史を始めるための「未来の第一号資料」となった。
「カイルさん。灯台の町と灯り島の正式な往来については、航路の安全確認と再開手続きが完了してからになります。それまでは、短期滞在許可証を発行しておきます」
カイルは少し驚いたように目を見はったあと、口元を緩めた。
「……ふん。最後までお堅いな。……また、世話になる」
◇
港のタラップを上がり、拓海とペルを乗せた船が、ゆっくりと岸壁を離れていく。
見送りに立ったエリナは、大人になったその姿のまま、カイルと並んで手を振っていた。
海風に髪をなびかせながら、彼女の声が真っ直ぐに届く。
「相談員さん!」
「今度は……こちらから会いに行くね!」
その一言に、拓海は胸を打たれ、深く頷いた。
閉ざされた過去の中にいた彼女が、初めて見せた「未来の約束」だった。
船が静かに波を掻き分け、灯り島へ向けて進み始めると、
ペルが静かな海を眺めながら、拓海の袖を引いた。
「……もう終わり?」
拓海は遠ざかっていく灯台の町を見つめ、手元のバインダーを静かに閉じた。
「依頼は終わりました。ですが、町は長い間、世界から切り離されていました。行政としては、これから再開手続きが必要になります」
ペルが首を傾げる。
「……さいかい?」
「航路の再登録。交易の再開。島同士の往来。……そういう仕事です」
拓海は少しだけ目元を緩めた。
「灯り島の魚も、灯台の町で売れるようになったらいいですね」
ペルの耳がぴくりと動いた。
「……いっぱい捕る」
「ええ。次は、交流を取り戻す仕事です」
拓海は遠ざかっていく灯台の光を、静かに見つめ続けた。
灯台の町は、世界へ戻った。
だが、本当の意味で人と人との繋がりを取り戻す仕事は、これから始まる。
行政とは、ただ書類を通すことではない。
人と町を、もう一度繋ぎ直すことなのだから。




