【記録 No.016】返却不能
灯り島の港に停泊したカイルの海賊船の船室で、男は古びた写真を凝視していた。
その指先は、微かに震えている。
今まで誰にも口にしなかった過去。かつての仲間であるリリアやフェルガにさえ、ひた隠しにしてきた理由。それを胸の奥で反芻しているカイルの手元で、行政リンクの通信音が鳴った。
「カイルさん、聞こえますか。拓海です」
カイルは深く、重い息を吐き出して通信を開いた。
『……ああ、聞こえてる』
「灯台の町で調査を行い、当時の住民名簿からエリナ・ヴァレンさんの名前を確認しました」
一瞬、通信の向こうでカイルの呼吸が止まる。
『……そうか』
「ですが、まだ本人との接触、および安全の確認には至っていません」
『……だろうな』
吐き捨てられたカイルの言葉に、拓海は明確な違和感を覚えた。
「なぜですか? あなたは彼女に会うためにこの海域へ戻ってきたのではないのですか」
カイルは答えない。
ただ、波が船体を叩く音だけが通信越しに響く。
長い沈黙の果てに、カイルはひび割れた声で呟いた。
『あいつは……もう、俺の知っているエリナじゃない』
「生きているのに、なぜ……?」
拓海の問いかけにカイルが応じることはなく、通信は一方的に切断された。
◇
「……もう一度、灯台へ行こう」
拓海はバインダーを握り直し、ペルに告げた。
今回の目的は、単なる町の探索ではない。
明確な「行政手続き」としての再入域だった。
+
【依頼】 未返却物品の所有者確認
【返却対象者】 エリナ・ヴァレン
【必要事項】 本人確認および受領意思確認
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しかし、行政リンクが弾き出した文字は、冷酷そのものだった。
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【本人確認】 失敗
理由:対象者情報不足
【存在状態】 判定不能
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「本人がそこにいる可能性が極めて高いにもかかわらず、システム上の本人確認が通らない……」
拓海は眉をひそめる。存在しているのに定義できない。
それは行政として、最も処理が困難なバグだった。
二人は再び、あの不気味な壁画のあった灯台の地下から、今度は最上階へと続く埃まみれの階段を上った。
最上階の天窓から差し込む光の中心には、見たこともない複雑な魔法装置が鎮座していた。鈍い銀色の歯車と、淡く発光する魔力のライン。それは通常の灯台が持つ「航路を照らすための光源」ではなかった。
拓海が行政リンクをかざすと、装置の本当の機能が暴かれる。
+
【識別】 灯台(仮称)
種別:航路照明施設 ── 誤
正:境界維持装置
+
島で通信を傍受していたフェルガが、低く呻いた。
『やはりか……』
「知っていたのですか、フェルガさん」
『いや、推測だ。拓海、その町が消えたのではない。その灯台が放つ術式が、町という空間そのものを世界から隠し続けているのだ』
◇
「もう一つ、分かったことがあります」
拓海はバインダーの画面をスクロールさせ、地下の壁画から読み取った術式の解析結果を出力した。
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【術式名称】 存在保護封印
対象:灯台町
目的:災害回避
状態:維持中
維持担当者:エリナ・ヴァレン
※詳細情報欠損
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「維持担当者……?」
画面を見つめたまま、拓海は眉をひそめる。
核心的なデータが削ぎ落とされている。
エリナが自ら残っているのか、それとも縛られているのか、この簡易表示だけでは判別がつかない。
その時、通信の割り込みを告げる赤ランプが点滅した。カイルの回線だった。
『……俺が頼んだんだ』
自嘲気味な、しかし隠しきれない重い声が響く。
「何をですか」
『……』
『……あいつにしか、できなかったんだ』
「何が、できなかったのですか」
拓海は問い重ねる。
しかし、カイルはそれ以上答えなかった。ただ最後に、絞り出すように呟いた。
『だから俺は……あいつをここから連れ出せない』
通信の向こうで、話を傍受していたフェルガの声が低く、重く沈む。
『……そういうことか。カイル、だからお前は、この島から離れなかったのだな。救えなかった相手から、目を背け続けていたわけか』
カイルは反論しなかった。
ただ、重い沈黙だけが肯定の証として返ってくる。
拓海はバインダーを強く握りしめた。
「カイルさん。あなたが何十年も返していないものは──彼女の『時間』そのものではないですか」
カイルからの返答はなかった。
◇
灯台の最上階。ガラス張りの展望室の向こう、渦巻く霧の境界に、一人の人影が浮かび上がっていた。
それは、かつてカイルが残したあの写真の中の、幼い少女の姿ではなかった。
しかし、その目だけは拓海にも分かった。
あの写真の中で、カイルが大切そうに抱いていた少女と──全く同じ、すべてを見透かすような目をしていた。
拓海たちはそれ以上近づけなかった。
空間そのものが断絶しているかのような、目に見えない透明な壁が二人を阻んでいる。
「……カイルは?」
鈴を転がすような、しかしどこか寂しげな声が展望室に響いた。
「島で、あなたの帰りを待っています」
拓海はバインダーを抱え直して答えた。
霧の向こうの人影は、少しだけ、愛おしそうに目を細めたように見えた。だが、その輪郭はあまりにも悲しげだった。
「……違うよ」
その声は、透明な隔壁を抜けて拓海の耳へと届いた。
「カイルは、ずっと勘違いしている」
エリナは霧の向こうで、ゆっくりと首を横に振った。
「あの人は、私をここから出せばいいと思ってる」
「でも……違う。返されるべきなのは──私じゃない」
その言葉の本意を拓海が問いかける前に、灯台の魔力が激しく奔流し、人影を再び白い霧の奥へと完全に隠してしまった。




