【記録 No.013】存在しない返却先
相談所の机の上に、一枚の古い写真が置かれていた。
拓海は行政リンクにペンを滑らせ、幾度目かも分からない検索を実行する。
しかし、端末の画面は再び冷徹なエラーメッセージを吐き出した。
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【対象者】エリナ
登録情報:不足
出生記録:なし
死亡記録:なし
存在状態:判定不能
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カイル個人だけでなく、今度はその「返す相手」までもが判定不能。システムは彼女の存在を肯定も否定もしない。
「……この世界に、本当に存在している人なの?」
写真を覗き込みながら、リリアが不安そうに声を漏らす。
「分かりません」
拓海は静かに首を振った。
「ですが、記録がないからといって、存在しないと決めつけることもできません。カイルさん、何か他に思い出せることはありませんか」
通信リンクの向こうで、カイルはタラップに背を預けたまま、小さく息を吐き出した。
「試したさ……。だが、俺の記憶は穴だらけだ。あいつと出会った場所も、年齢も、出身地も、最後に会った日も……どれも霧がかかったみたいに曖昧なんだよ」
「なぜ名前だけを覚えているのだ」
フェルガが腕を組み、疑念の眼光を向ける。
「……あいつが、自分の名前だけは忘れるなって言ったからだ。泣きながら、小さな手で、俺の袖を必死に掴んでな。それだけは、どうしても頭から離れねぇ」
拓海はペンを止め、バインダーの空白の画面を見つめた。
これは単なる人探しではない。行政における最大の障壁──「所有権の証明」が不可能という問題だ。
「物品があり、返還の意思があっても、行政は『所有者不明』『登録なし』『本人確認不可』の状態で物品を引き渡すことはできません」
「でも、本人が名乗ったら渡してあげたらいいんじゃない?」
リリアの素朴な疑問に、拓海は厳しく首を振った。
「行政では、それだけでは足りません。もし偽者が名乗った場合、私たちは『元の持ち主から正当な権利を奪う』という、最悪の加害加担をすることになります。厳密な確認が不可欠なのです」
「ならば処分すればよかろう」フェルガが冷淡に言い放つ。「持ち主の分からぬ不審な物を、いつまでも抱える理由はない。島の安全が第一だ」
「それは違います、フェルガさん」
拓海はフェルガの目を真っ直ぐに見返した。
「『分からないから捨てる』。それは行政ではなく、ただの管理放棄です。確認できるまで、責任を持って預かる。それが公の義務です」
◇
拓海は写真の現物を手に取り、光に透かした。
その裏面の隅、掠れたインクで極小の文字が走り書きされているのを見つける。
『灯台の町で待っています』
「灯台の町……」
拓海が呟く。
「リリアさん、この島の周辺にそんな場所はありますか?」
「うーん、聞いたことないかも……」
リリアが眉をひそめる。
「……ある」
重々しく口を開いたのはフェルガだった。
「東海岸の遥か先、かつて大きな交易港として栄えた町だ。だが──現在は存在しない。数十年前、突故発生した大規模な魔物災害によって、完全に消滅した」
その言葉を聞いた瞬間、拓海の脳裏で、カイルの「判定不能な犯罪歴」が一つに繋がった。海上略奪、商船襲撃、密輸、港湾破壊──。
「カイルさん。あなたのそれらの事件、すべてその『灯台の町』の周辺で起きていませんか?」
バインダーの向こうで、カイルが気まずそうに視線を逸らした。
彼は、エリナを探すために、あるいは彼女に近づくために、手段を選ばずその海域で暴れ回っていたのだ。
「……それでも、犯した罪は罪だ」
フェルガが刃のような声を出す。
「はい」
拓海は拒まない。
「ですから、彼を無罪放免にするつもりはありません。ただ、罪を犯した人間にあっても、果たすべき正当な責任──『返すべきもの』がある可能性は否定されるべきではないのです」
その判断に応じるように、行政リンクの画面が静かに更新された。
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【行政依頼】継続
目的:未返還物の返却
追加条件:返却対象者本人による受領確認
問題:対象者不明
解決条件:返却先の特定
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「行きましょう」
拓海は立ち上がった。
「港町に?」
リリアが目を丸くする。
「はい。カイルさんの過去を穿り返すためではありません。行政として、返すべき相手を特定するためです」
◇
出航の準備を進める中、拓海はもう一度行政リンクを操作し、エリナという人物の広域照会を実行した。だが、返ってきたログを見た瞬間、拓海の表情が張り詰めたものへと変わる。
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【返却対象者】エリナ
検索範囲:世界全域
結果:該当者なし
補足:対象者情報が過去記録から消失しています
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「……消失?」
拓海の呟きに、リリアが傍らから画面を覗き込む。
「消えたってこと?」
「はい。死亡した記録がないのではありません。存在していた記録そのものが、ある時期を境に途切れています」
カイルの存在状態は『判定不能』。
箱の所有者は『確認不能』。
古い海賊船は『登録情報欠落』。
そして、エリナの登録情報は『消失』。
すべてが同じ現象──何らかの意図か巨大な力によって、世界の行政記録からその存在を削ぎ落とされている。
◇
拓海たちは調査船の甲板にいた。
隣に停泊するカイルの船を見上げ、拓海はその意思を告げる。
「俺が行けなかった場所だ」
カイルは自嘲気味に笑った。
「やめとけ。そこに行けば、お前らも知ることになるぜ。俺が救いようのない、ただの悪党だったってことをな」
「それでも行きます」
「……変な奴だな、おい。普通なら、依頼人の過去なんて掘り下げずに逃げ出すだろ」
「行政は、困っている現在を扱う仕事です。ですが、その原因を確認しなければ、本当の解決には届きません。あなたの『判定不能』を解除し、正式な書類にするために、私は行きたいと思います」
カイルは呆れたように肩をすくめたが、その瞳には確かに小さな光が灯っていた。
その背後、波に揺れるカイルの船──誰もいないはずの船室の奥で。一瞬だけ、風に乗って古い女性の声が優しく響いた。
『──カイル?』
「っ!?」
カイルが弾かれたように振り返る。
しかし、そこには白く煙る海霧があるだけだった。
ただ、机の上に残された写真だけが、風もないのに僅かに揺れていた。




